第25話 よそ者
村長に呼ばれたのは、昼前のことだった。
「今日は森へ行くな」
それだけだった。理由は言わなかった。でも——村長が理由を言わないときは、たいてい、言えない理由がある。
「わかった」
「薬草の管理は家でできるか」
「できる。乾燥中のものがある」
「それをやっていろ。夕方になったら教える」
村長が戻っていった。
ノアは家に引き返した。
台所の棚に並んだ薬草の束を見ながら、外の音を聞いた。広場の方から、知らない声がした。荷物を下ろす音。ティナの母の宿屋の扉が開く音。
旅の人間が来た、ということだけは、わかった。
◇
ハンナばあちゃんが、昼すぎに出かけた。
「少し、話してくる人がいる」
「旅の薬師か」
ばあちゃんが、少し目を細めた。
「お前は賢いね。そう、薬師だよ。礼儀正しい人らしい。ティナの母さんが言ってた」
「会うのか?」
「同じ仕事の人間が来たなら、話さないのも不自然だよ。でも——聞かれたくないことは、聞かれないようにする」
「ばあちゃんが行くのか。僕じゃなくて」
「お前はここにいなさい」
ばあちゃんが、静かに言った。
「薬師見習いが話すより、薬師が話す方が自然だ。それに——お前の顔は、噂になってるかもしれない。私の顔は、なっていない」
なるほど、と思った。
ばあちゃんは、いつも考えてから動く。
◇
昼過ぎの家の中は、静かだった。
乾燥中のサルベ草をひっくり返しながら、ノアは箱の蓋を少し開けた。
「ソラ、聞こえるか」
「聞こえています」
「ミオはいるか」
「います。呼びますか」
「頼む」
しばらくして、ミオの声が来た。
「ノア、どうしたの? 森に来てないから気になってた」
「旅の薬師が来た。村長に、今日は外に出るなと言われてる」
「旅の薬師——どんな人か、わかる?」
「まだ会ってない。ばあちゃんが話しに行ってる」
枠の向こうで、クドウが椅子を引く音がした。
「ノア、そいつは噂を聞いて来たのか」
「わからない。でも、村長が警戒してる。それだけで、ある程度は想像できる」
「正解だ」
クドウが、静かに言った。
「こういうことが、これから増える。一人来れば、二人来る。二人来れば、十人来る。噂はそういうふうに動く」
「わかってる」
「わかってるだけじゃ足りない。どう動くか、決めておく必要がある」
ノアは少し考えた。
「村長とばあちゃんは、もう考えてると思う。今日のやり方を見てると」
「村長がいるのは、大きい」
ミオが言った。
「ノアが一人で判断しなくていい。村長がいて、ハンナさんがいて、ティナちゃんがいる。信頼できる人たちが、動いてくれてる」
「うん」
「私たちもいる」
その言葉が、すとんと落ちてきた。
いつも言ってくれる言葉なのに、いつ聞いても、ちゃんと届く。
◇
「美緒さん、ノアは落ち着いてますね」
楓太が、モニターを見ながら言った。
「うん。家の中で薬草の管理をしながら、ちゃんと状況を整理してる」
「昔のノアと違う」
「違うね」
美緒は、モニターの中のノアを見た。台所の棚の前に座って、乾燥中の葉の状態を確かめながら、時々ソラと言葉を交わしている。焦った様子がない。
「最初のころは、知らない人に怯えてたのに」
楓太が言った。
「今は、知らない人が来たら、どう動くかを考えてる」
「それが、育ってるってことですよね」
工藤が、端末から顔を上げずに言った。
「当然だ。一年前と同じなら、何も学んでいないことになる」
美緒は頷いた。
ノアは変わっていた。でも——変わったと感じさせないくらい、自然に変わっていた。それが、本当に変わったということなのかもしれない。
◇
夕方、ハンナばあちゃんが帰ってきた。
「どうだった」
「普通の人だよ。悪い人じゃない」
ばあちゃんが、椅子に座った。
「でも——噂は聞いてた。リント村に、不思議な薬を使う薬師がいると。それを確かめたくて立ち寄ったと、遠回しに言ってた」
「遠回しに」
「直接は聞かなかった。礼儀正しい人だから。でも、聞きたいことは透けて見えた」
「ばあちゃんは何て言ったんだ」
「うちの村は、薬草をよく使う村です、と言った。それだけ」
「それだけか」
「それだけで十分だよ。嘘をつかずに、答えない方法はある」
ノアは、少し考えた。
「その人は、何か言ってたか。他に」
「一つだけ、気になることを言ってた」
ばあちゃんが、少し声を落とした。
「治癒師を呼ばなくても病を収めた村がある、という話が、街でいくつか出ているって。リント村だけじゃない、と」
「他にも?」
「たぶん、全部同じ噂が形を変えて広まってるんだよ。でも——知らない人が聞けば、いくつもの村でそういうことが起きてると思う」
ノアは黙った。
噂というのは、人より先に歩く——そう思ったのは、ベルクが来た朝だった。でも噂は、走りもする。気がつけば、遠くまで行ってしまう。
「村長に話しておく」
「もう伝えた。今夜、うちに来ると言ってた」
◇
夜、村長が来た。
ティナも一緒だった。
「旅の薬師は、明朝出発する。今夜は宿に泊まるだけだ」
村長が言った。
「今回は何事もなかった。でも——次は、もっと目的がはっきりした人間が来るかもしれない。そのために、決めておきたいことがある」
「どういうことですか」
「ノアは、薬師見習いだ。それ以上でも、それ以下でもない。誰かに何かを聞かれたら、そう答えろ」
「わかった」
「薬の話を詳しく聞かれたら——ハンナに習ったと言え。嘘じゃない」
「嘘じゃない」
「知らないことは、知らないと言え。薬師見習いが全部知ってる必要はない」
村長が、テーブルの上で指を組んだ。
「箱については——見せない。話さない。存在を知っている者以外には、永遠に話さない。これは今も変わらない」
「わかってる」
「ノア」
村長が、まっすぐ見てきた。
「お前は、村の薬師見習いだ。それが全てだ。それ以外のことは、俺が守る」
言葉が、少し重かった。
村長は、こういうことを軽く言わない人だ。言ったなら、やる。
「ありがとうございます」
「礼はいらない。当然のことだ」
ティナが、横で小さく笑った。
「村長も、ばあちゃんも、ガルドさんも、みんな同じこと言うね」
「当然のことだから、当然そう言う」
村長が、珍しく少し語調をゆるめた。
◇
みんなが帰ったあと、台所に一人で座った。
箱の蓋を開ける。
「ソラ」
「はい」
「今夜、クドウはいるか」
「います」
「話したい」
しばらくして、枠に明かりが灯った。クドウの顔が映った。
「聞いてた」
「旅の薬師の話か」
「全部。ソラが音を拾ってた」
「ばあちゃんが、うまくかわしてくれた」
「ハンナさんは、頭がいい」
「うん」
クドウが、少し間を置いた。
「ノア、一つ聞いていいか」
「なに」
「その箱を——誰かに奪われそうになったとき、お前はどうする」
予想していなかった問いじゃなかった。でも、急に出てきたから、答えがすぐには出なかった。
「……今夜、考えてもいいか」
「考えろ。急がない。ただ——答えを持っておいた方がいい。いざというとき、迷わないために」
「わかった」
クドウが、頷いた。
「今夜はよく眠れ。旅の薬師は、明日には出る」
「うん」
枠の明かりが落ちた。
台所に、静けさが戻った。
ノアは、箱を膝の上に置いたまま、少し考えた。
奪われそうになったとき。
答えは、まだなかった。でも——考える価値がある問いだということは、わかった。




