第23話 根を張る
薬師見習いになって、ひと月が経った。
日課が、できた。
朝は薬草の採取。ハンナばあちゃんに頼まれたものを先に揃えて、それから自分が気になるものを少し採る。昼前に箱を持って森へ行き、ミオたちと話す。午後は村の薬草の管理と、濾過システムの点検。夜はソラと記録の確認。
それだけのことだ。でも——ひと月続けると、村が少しずつ変わって見えてくる。
どこに何が生えているか、頭に入っている。濾過を通した後の水の透明度が、日によって微妙に違うことがわかってきた。村人の何人かが、薬草の使い方を聞きに来るようになった。
「薬師見習い」という肩書きが、少しずつ体に馴染んできた気がする。
◇
朝の採取から戻ると、ばあちゃんが台所で何かを煮ていた。
「今日も早いね」
「サルベ草が、いい状態だった」
「見せて」
ばあちゃんが手を伸ばして、束を受け取った。一枚一枚、指先でさわりながら確かめる。
「うん。ちょうどいい。もう少し乾燥させてから使おう」
「ミオたちに送った分と、同じ場所で採ったやつだ」
「向こうの分析は、どうだった」
「春の葉と秋の根で成分が違うって話、ばあちゃんが言ってたのと一致してたって。ミオが喜んでた」
ばあちゃんが、小さく笑った。
「そうかい。じゃあ、今夜また話そうかね」
「ソラが待ってると思う」
「律儀な子だね、ソラは」
「眠らないから」
「それは便利だ」
ばあちゃんが鍋に戻りながら言った。
「眠らなくて、疲れないのかい」
「聞いたことある。疲れるという感覚がないって言ってた」
「羨ましいような、寂しいような」
ばあちゃんがそう言って、少し考えるような顔をした。何を思ったのかはわからなかったけれど——ソラのことを、ちゃんと一人の誰かとして考えてくれているのが伝わった。
◇
昼前、森へ向かった。
肩掛け袋の重さに、もう慣れた。最初は革が硬くて肩が痛かったけれど、今は体の一部みたいになっている。ガルドさんの仕事は、使えば使うほどよくなる。
境の樹の根元に座って、箱を取り出した。
「ソラ」
「おはようございます、ノア」
「ミオは?」
「今日は少し遅くなるかもしれないと言っていました。クドウさんが先に来ています」
「クドウが?」
珍しい、と思った。ミオが窓口になっていることが多くて、クドウが最初にいるのはあまりない。
しばらくして、枠に明かりが灯った。
「ノア」
クドウの声だった。
「クドウ、おはよう」
「おはよう。ミオは少し後で来る。今日は俺が先に話しておきたいことがある」
「なに?」
クドウが、何かを手に持った。細長い、薄いものだ。
「これを送る。種の説明だ。ソラが読み上げる。聞いておけ」
「わかった」
隙間から、小さく折り畳まれた紙のようなものが出てきた。ソラがすぐに読み上げ始めた。
「一枚目。カブ。根菜。日当たりのいい場所に種を撒く。間隔は手のひら一枚分。水は毎日、少量ずつ。収穫まで約六十日——」
「待って、ソラ。ゆっくり頼む」
「わかりました。繰り返します」
ノアは、地面に木の枝で簡単な絵を描きながら聞いた。丸い形の根っこ。葉の形。間隔の取り方。
「二枚目。ニンジン。根菜。カブより深く土を掘ること。石や根が邪魔をすると曲がる——」
「曲がるのか」
「曲がります。石を除いてから種を撒く方がいいと書いてあります」
「そういう細かいことが、書いてあるんだな」
「クドウさんが選んで書いてくれたようです」
枠の向こうで、クドウが無言で何かを叩いていた。見ていなければ気づかないくらい、さりげない様子だった。
「クドウ」
「なんだ」
「これ、全部クドウが書いたのか」
「……ソラに手伝わせた」
「ありがとう」
「礼はいい。植えたら報告しろ」
素っ気ない言い方だった。でも——書いてくれた、という事実は変わらない。
◇
「種の説明書き、送れましたね」
楓太が、研究室に入ってきながら言った。
「ソラから聞いた。ノア、受け取ったみたいです」
「当然だ」
工藤が短く言って、端末に視線を戻した。
楓太がモニターを覗いた。ノアが地面に何かを書きながら、説明書きの内容をソラに繰り返させている。
「ノア、メモしてますね。地面に」
「紙がないからな」
「そっか——紙がないんですよね。こっちから送ってあげればよかったかな」
「あちらで使えるものかどうかわからん。植物系の繊維から作った紙なら、虫がつく可能性もある。転送窓を通す前に検査が必要になる」
「毎回考えてるんですね、工藤さん」
「当然だ」
楓太が少し笑って、椅子を引いた。
しばらくして、美緒が来た。コートを脱ぎながらモニターを見る。
「あ、ノアが何か書いてる。地面に」
「種の説明を書き留めてます」
「え、かわいい」
工藤が眉を寄せた。
「かわいいじゃない。実用だ」
「かわいくて実用的なんです」
楓太が言った。工藤が何も言わなかった。
美緒はモニターを見ながら、ノアが一生懸命に地面に絵を描いているのを見た。カブの丸い形。根の深さを示す縦線。種と種の間隔を示す点。
「ノアって——どんな状況でも、ちゃんと学ぼうとするんですよね」
「学ぶことが好きなんだと思います」
楓太が言った。
「好き、というより——習慣なんだろう」
工藤が言った。
「お母さんとハンナさんから、覚えることを当然のこととして育ってきた。だから困ったとき、まず覚えようとする」
美緒は、その言葉を聞きながら、モニターの中のノアを見た。
説明書きの内容を聞き終えて、ノアが顔を上げた。枠に向かって、少し照れたように言う。
「クドウ、カブって——食べられるのか?」
工藤が、ほんの少し、表情を動かした。
「食べられる。甘い」
「根の部分が?」
「葉も食べられる」
「へえ」
ノアが、地面の絵をもう一度見た。
「ばあちゃんに教えてやりたい」
「そのために選んだ」
工藤が、また端末に視線を落とした。
それだけだった。でも——美緒には、それがひどく工藤らしいと思えた。
◇
午後、ティナが来た。
「ねえ、畑、作らない?」
唐突だった。
「畑?」
「種を送ってもらったんでしょ。ソラに聞いた。じゃあ植えるところが要るじゃない」
「……ばあちゃんの家の裏に、少し空き地がある」
「見た。あそこでいい。今日、土掘り起こそう」
ティナが、袖をまくった。やる気になっている顔だった。
「今日、急に?」
「急じゃなくて、ちょうどいいの。この時期に撒かないと間に合わないって、ソラに聞いた」
ソラに聞いたのか、と思った。
ティナはたまに、ソラに直接聞きに行く。ノアがいないときでも話せると言っていた。ソラも、ティナの質問にきちんと答えてくれているらしい。
「わかった。手伝ってくれるのか」
「当然」
ティナが、さっさと裏に回り始めた。
◇
空き地は、大人の歩幅で十歩四方くらいの広さだった。
長いこと使われていなかった場所で、雑草が生えている。でも土は悪くない。ばあちゃんが昔、薬草を育てていた場所だ。
「ここ、前は何があったの?」
ティナが、雑草を引きながら聞いた。
「ばあちゃんが薬草を育ててた。僕が小さいころは、もっとちゃんとしてたらしい。母さんも、よく手伝ってたって」
「お母さん、植物が好きだったの?」
「好き……というより、ばあちゃんのやることを全部覚えたかったみたいだ。ばあちゃんが言うには」
「それ、ノアに似てるね」
そうかもしれない、とノアは思った。
母のことは、あまり顔を覚えていない。でも——この裏の土を踏んでいると、なんとなく、近くにいる気がした。
「ニンジンは石を取り除いてから撒けって、クドウの説明書きに書いてあった」
「石を取るのか。大変だな」
「でも——それをやっておかないと、曲がるらしい」
「じゃあやる。石は全部取ろう」
ティナが、迷いなく言った。
二人で土を掘り起こした。ティナが火の魔法で乾いた根っこを焼いて、ノアが石を取り除いていく。
地面の下から出てくるものが、面白かった。
石の形は全部違う。丸いものも、平べったいものも、尖ったものも。一つずつ取り出して、脇に積んでいく。
「ノアって、石を選んでる」
「選んでない」
「してる。今、丸いやつだけ別に置いた」
「……後で、何かに使えそうだと思っただけだ」
ティナが吹き出した。
「それを選んでるって言うんだよ」
◇
土を掘り起こし終えたころ、日が傾いていた。
「今日はここまでかな」
ティナが、腰を伸ばしながら言った。
「種は明日撒こう。もう一度ソラに確認してから」
「ノア、几帳面だね」
「几帳面じゃなくて——失敗したくない」
「同じことじゃない?」
「違う気がする」
ティナが首をかしげた。でも、それ以上は聞かなかった。
掘り起こした土が、夕暮れの光を受けて赤く見えた。ばあちゃんが昔、母と一緒に使っていた土。今日、もう一度ひっくり返した。
明日、ここに種を撒く。
何十日か後に、何かが育つ。
「ティナ」
「なに」
「一緒にやってくれてありがとう」
「当然じゃない。私も楽しかったし」
「楽しかったか?」
「土を掘るの、意外と気持ちいいんだよ。中身が出てくるから」
「石が、か」
「石とか、根っことか。知らないものが出てくる感じ」
なるほど、と思った。
ティナは、そういうところが面白い。知らないものに、ためらわない。




