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異世界少年と謎の物体と研究室の仲間たち〜森で拾った箱の向こうは現代日本でした〜  作者: gachapin2223


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第19話 きれいな水

朝、ダグが家の前に立っていた。


珍しかった。ダグが僕の家の前で待っているのは、記憶にない。


「なんだ」


「上流に、一緒に行く」


「……なんで」


「お前一人じゃ、重いものが動かせないだろ」


そっぽを向きながら言った。照れているのか、怒っているのか、表情だけではわからない。でも——来てくれた、という事実だけは、はっきりしていた。


「ティナも来る」


「ティナが言い出したのか」


「俺が言い出した」


そうか、と思った。


ダグが言い出した。


「……ありがとう」


「礼はいい。さっさと行くぞ」


 


◇


 


「今日こそ、汚染の根っこを断ちます」


美緒が、朝の打ち合わせで言った。


モニターには、ノアとティナとダグが並んで歩いている映像が映っていた。三人が揃っているのを見て、楓太が「ダグさんも来たんですね」と呟いた。


「ソラ、上流の状況を整理してくれ」


工藤が言った。


「はい。前回のサンプル分析から、汚染の中心は二か所と推測されます。一つは倒木三本が川に接触している地点。もう一つは、その上流約五十メートルにある淀み——水の流れが止まっている場所です。そこに何らかの有機物が沈んでいる可能性が高い」


「獣の死骸か」


「可能性が高いです。嵐の後、増水した川に流れ込んだものが、水が引いたあとに淀みに残った——そういう経緯が考えられます」


「ノアに伝えておく」


美緒がカメラに向かった。


「ノア、今日は二か所確認してほしい。倒木の地点と——その先の、水が止まっている場所」


 


◇


 


上流への道は、昨日より楽に感じた。


ダグがいるからだと思う。倒木を飛び越えるとき、ひょいと先に行って手を差し伸べてくる。受け取るのが少し照れくさくて、でも——断る理由もなかった。


「ここが、倒木の地点」


三本の幹が川に折り重なっている場所に着いた。腐りかけた木が水に浸かって、川面が少し色づいている。


「どうする、これ」


ダグが腕を組んだ。


「川から引き離せれば、腐敗が水に混じらなくなる。幹を岸に上げて、土を盛って水と遮断する」


「やれるか?」


「三人なら、できると思う」


ティナが袖をまくった。


「やろう。私、火で乾かせば少しは軽くなると思う」


「いきなり乾かしたら、また川に引っ張られる。まず引き上げてから」


「そっか」


ダグが腰を落として、幹に手をかけた。


「俺が引く。お前ら、後ろを押せ」


「わかった」


三人で、かかった。


 


◇


 


「すごい、動いてる」


楓太が、モニターに向かって言った。


試作機のカメラ越しに、三人が倒木と格闘している様子が映っている。ダグが前で引き、ノアとティナが後ろから押す。幹が、ゆっくりと、岸の方向へ動いていた。


「子どもたちだけで、あれをやっているのか」


工藤が、静かに言った。


「ダグさん、力ありますね」


「ノアも、押している。体は小さくても、踏ん張り方を知っている」


美緒は画面を見ながら、少し笑った。


三人がそれぞれ違う。力があるダグ。火を使えるティナ。倒木の角度を読んで押す場所を指示しているノア。誰かが誰かを補っている。


「チームになってきましたね」


楓太が言った。


「ずっと前からなってた」


工藤が、短く言った。


 


◇


 


三本の幹を全部岸に上げるのに、ひと刻かかった。


ティナが魔法で乾かして、ダグが土を盛って水との間を遮断した。僕は倒木の根元を確認して、新しい土砂が流れ込みそうな部分に石を並べた。


ミオが枠の向こうから「それでいい」と言った。


「上流、まだあるんだろ」


ダグが汗を拭いながら言った。


「もう少し先。淀みがあるはずだ」


「行くか」


三人で、上流へ向かった。


 


五十歩ほど進んだところで、川が大きく曲がっていた。


その内側に、水が溜まっていた。流れが止まって、色がよどんでいる。匂いも、違った。草の匂いではない、重い、腐ったような匂い。


水面に、茶色い塊が浮かんでいた。


「獣だ」


ダグが、眉を寄せた。


「鹿か何かか。嵐で流されて、ここに引っかかったんだ」


「これが——水を汚してたのか」


「ミオが言ってた、有機物ってやつだ」


「どうやって取り出す?」


「僕じゃ無理だ。ダグ、できるか」


ダグが少し考えてから、太い枝を拾った。


「川に入るのか?」


「入らない。これで引っかけて、引き上げる」


ダグが枝を水面に差し込んで、塊に引っかけた。ゆっくりと、岸の方向に引き寄せる。ティナが別の枝を持って、反対側から補助した。


重い。でも——動いた。


岸に引き上げて、土を盛って埋めた。川から、できるだけ離れた場所に。


「これでいいか?」


僕は箱に向かって聞いた。


「はい、十分です」


ソラが答えた。


「あとは——川が自分で、きれいになっていきます。一週間もすれば、数値が戻るはずです」


「一週間」


「それまでは、水を沸かし続けてください。でも——沸かせば、今の水でも飲めます」


ダグが、川を見た。


さっきより、少し、流れが戻ってきた気がした。


「こんなことで、よかったのか」


「こんなこと、だから——誰でもできる。それが、一番大事だと思う」


ダグは黙っていた。


それから、ぽつりと言った。


「……お前が言うと、なんか、そんな気がするな」


 


◇


 


午後、村に戻ってから——次の仕事があった。


濾過の仕組みを、村に作ること。


ミオが、前日に説明してくれていた。布と、炭と、砂があれば作れる。知識さえあれば、村人が自分で作って、自分で保てる仕組みだ。


「材料は揃ってるか?」


ティナが聞いた。


「布は家にある。炭は竈の残りで作れる。砂は川原で拾える」


「じゃあ、やろう」


村長の許可を得て、広場の端に作業場所を借りた。


ダグが砂を運んできた。ティナが竈で炭を作った。僕が布を切って、木の桶に重ねていく。ミオが枠の向こうから「そうそう、その順番で」と言った。


上から——布、砂、炭、砂、布。


水を入れると、最初は黒っぽい色が混じって出てきた。でも——少しずつ、透明になっていった。


「きれいになってる」


ティナが、目を丸くした。


「魔法じゃないのに」


「知識だよ」


僕は、出てきた水を掬って光に透かした。


透明だった。においもない。


「これを——村の井戸の脇に置く。毎日使えるように。炭と砂は、定期的に変える必要がある」


「誰が管理するの?」


「薬師見習いの、仕事だ」


ティナが、吹き出した。


「なんか、急に立場が変わったね」


「そう、だな」


変わった、と思う。でも——やることは変わっていない。草を探して、水を確かめて、知識を積む。それだけだ。


「ミオ、これでいいか」


「完璧です」


ミオの声が、明るかった。


「ノア、本当によくやった。ノアだけじゃなくて——ダグさんも、ティナさんも」


「三人でやったから」


「うん。三人だから、できた」


 


◇


 


「美緒さん、見てください」


楓太が言った。


モニターの中で、村の広場に人が集まり始めていた。濾過の仕組みを作っているのを見ていた村人たちが、近づいてきている。


「説明してる」


美緒は、画面に顔を寄せた。


ノアが、集まってきた村人に向かって話していた。布と砂と炭の仕組みを、短い言葉で。身振りを交えながら。


子どもが一人、ノアの隣に寄ってきた。ノアが、その子に桶を覗かせた。子どもが目を丸くして、隣の大人の袖を引っ張っている。


「あの子が、村人に説明している」


工藤が、静かに言った。


「誰かから教わったことを、次に渡している」


「ノアのお母さんから、おばあさんから——受け継いできたことが、今日また、次に渡った」


楓太が言った。


美緒は、目を細めた。


モニターの中の、小さな広場。午後の光が、石畳を染めている。ノアが話している。村人が聞いている。


魔法のない世界の知識が、魔法のある世界の、小さな村に根を張っていく。


「記録、取れてますか」


「全部取れています」


ソラが、穏やかに答えた。


 


◇


 


夕方、作業を終えた広場で、ハンナばあちゃんが井戸の水を汲んでいた。


一緒に、濾過した水の匂いを確かめた。


「きれいな匂いがする」


ばあちゃんが言った。


「うん」


「コラルが腹を壊したあの日から、ずっと気になってたんだよ。何かがおかしいと思ってた。でも——どこがおかしいのかは、わからなかった」


「水だった」


「そうだね。水だった」


ばあちゃんは桶の水を一口すくって、飲んだ。


しばらく、黙っていた。


「うん。これは、きれいだ」


言葉が、シンプルだった。それが——一番、嬉しかった。


「ばあちゃん」


「うん」


「僕、役に立てた?」


ばあちゃんが、振り返った。


皺だらけの顔が、やわらかく、笑った。


「役に立った、じゃないよ、ノア」


「……じゃあ」


「みんなを、守ったんだよ」


 


みんなを、守った。


役に立つ、と守る、は——似ているようで、違う。


誰かの役に立つというのは、誰かに必要とされること。でも——守るというのは、必要とされる前に、自分が動くことだ。


誰にも頼まれていなかった。コラルが腹を下したとき、動いたのは僕だ。メルの熱に気づいたとき、森へ走ったのは僕だ。上流を確かめに行こうと言ったのも、濾過の仕組みを作ろうと言ったのも——僕だ。


出来損ない、という言葉が、ふと、遠くなった気がした。


消えたわけじゃない。でも——昔より、遠い。


「ばあちゃん、ありがとう」


「なんの礼だい」


「教えてくれて」


「何を」


「全部」


ばあちゃんが、また笑った。


「それは——お前が受け取ってくれたからだよ」


 


◇


 


夜、枠の前に座った。


「ミオ、今日——ありがとう」


「こちらこそ。ノアたちが動いてくれたから、こちらはただ見ていることしかできなかったのに」


「見ていてくれることが、大事だった」


「そう?」


「うん。一人じゃない、って思えたから」


枠の向こうで、フウタが何かを言った。クドウが短く頷いた。老人が、静かに微笑んでいた。


「ソラ」


「はい」


「今日の水、向こうで分析してもらえるか。きれいになってるか、確かめたい」


「もちろんです。転送窓に入れてもらえますか」


小瓶に水を入れて、隙間に押し込んだ。


「受け取りました。分析します」


しばらくして、ソラが言った。


「基準値以内です。飲料水として、問題ありません」


僕は、川の方向を見た。


暗くて、見えない。でも——あの水が流れている。倒木を取り除いて、獣を埋めて、淀みを解消した川が。


「よかった」


「よかったですね、ノア」


「来週、もう一度確かめる」


「そうしましょう。ノアが確かめて、私が分析する」


「うん」


風が、境の樹を揺らした。


春の夜の、やわらかい風だった。


「ソラ、今夜はよく眠れそうだ」


「それは、よかったです」


「おやすみ」


「おやすみなさい、ノア。よく眠れますように」


箱を洞にしまって、立ち上がった。


村への道を歩きながら、星を見上げた。


知らない並び方の、知らない星たち。


でも——今夜は、怖くなかった。


ただ、きれいだと思った。

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