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異世界少年と謎の物体と研究室の仲間たち〜森で拾った箱の向こうは現代日本でした〜  作者: gachapin2223


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第17話 奇跡と呼ばれて

メルが粥を食べた、という話は、昼前には村じゅうに広まっていた。


それだけなら、よくある回復の話だ。でも——治癒師が来ていない、という事実が、話を変えた。


「ガルドのとこの末娘が、ハンナの薬だけで熱が引いたらしい」


「ハンナさんの薬って、どんな薬だ?」


「聞いたら、遠くの知恵者に教えてもらったとかなんとか」


「遠くの知恵者? そんな人が村に来たのか?」


「来てないらしい。どうやって教わったんだ?」


井戸端で、広場の隅で、村人たちが声を潜めて話している。僕は市場の端っこを歩きながら、その声の断片を拾っていた。


知らないふりをして、でも聞いていた。


◇


「ノア!」


背後から、声がかかった。


振り返ると——ダグだった。


昨日と別人みたいに顔色が戻っている。目の下の隈も、まだ消えていないが、青ざめた昨日の顔よりずっとましだった。


「……メルの様子は」


「今朝から、粥を食えてる。熱も、もうほとんどない」


「そうか。よかった」


「ああ」


ダグが、少し間を置いた。


腕を組んで、足元を見て、それからまた僕を見た。こういう顔をするダグを、初めて見た気がした。何かを言いたいのに、言葉の出口が見つからない顔だ。


「ノア」


「うん」


「お前が——」


また止まる。


「……あの薬。お前が持ってきたんだろ」


「ハンナばあちゃんの薬だ」


「でも、お前が——何かしたんだろ」


否定しなかった。肯定もしなかった。


ダグが、唇をかんだ。


「昨日、邪魔するなって言った。……すまなかった」


予想していなかった言葉だった。


ダグが謝る。それだけで、朝から起きたことの全部が、少しだけ色を変えた気がした。


「怖かったんだろ」


「……うるさい」


「わかってる」


「わかってんなよ」


ダグは顔をそらして、小さく言った。


「お前、すげえな」


「……」


「薬草のこと、ずっとそんなに知ってたのかよ」


「母さんとハンナばあちゃんに教えてもらった」


「そういうの——俺、知らなかった」


ダグが、また足元を見た。


謝り慣れていない人間の、不器用な沈黙だった。


「メルが元気になったら、また来い。あいつ、お前に礼を言いたがってた」


「五歳が、礼を?」


「薬、甘かったって。それだけ言いたいらしい」


思わず、笑いそうになった。こらえて、でも、口の端が動いてしまった。


「わかった。また来る」


ダグが頷いて、踵を返した。背中が、少し、丸かった。


◇


「よかったですねえ」


楓太が、モニターの前でしみじみと言った。


「ダグさん、謝ったんだ」


「ソラの記録では、そう聞こえました」


「あの感じ、わかります。謝り慣れてない人が初めて謝るやつ。見てるこっちも、なんか、じーんとしますよね」


「楓太さん、似たような経験が?」


「俺のことはいいです」


美緒は、モニターを見ながら静かに息を吐いた。


メルの熱が引いたこと。ダグがノアに向き合ったこと。どちらも、昨日の夜には確信がなかったことだ。


「工藤さん、柳瀬先生に報告しないといけないですね」


「もうした」


「え、もうですか」


「朝一番に。回復した、ありがとう、と。それだけだ」


「……なんか、工藤さんらしくないほど早いですね」


「うるさい」


工藤が、端末に向かったまま言った。


その横顔が、いつもと同じ無愛想な顔なのに——どこか、やわらかかった。


◇


昼過ぎ、ハンナばあちゃんが帰ってきた。


ダグの家に朝から付き添っていたらしく、疲れた顔をしていたが、目が穏やかだった。


「メルちゃん、ちゃんと笑ってたよ」


「そうか」


「ガルドさんが、頭を下げてくれた。エーラさんも」


「ばあちゃんへの礼だろ」


「ノアへの礼も、だよ」


僕は黙った。


ばあちゃんが、湯呑みを持ちながら続けた。


「村の人たちが、いろいろ言い始めてる。治癒師もいないのに、なぜ熱が引いたかって」


「……うん」


「どう答えるかは、ノアに任せるよ。私の薬として届けたのは本当のことだから、ハンナの薬で治った、それだけでいい。でも——」


ばあちゃんが、こちらを見た。


「長くは保たないと思う。遠くの知恵者とは何者か、薬はどこで手に入れたか——誰かが、必ず聞いてくる」


「村長が、か」


「そうなる前に、ノアが自分で考えておかないとね」


◇


「ノア、今日の村の様子はどうですか」


夕方、枠の前に座ると、ミオが早々に聞いた。


「騒がしい。メルのことが広まって、みんなが不思議がってる」


「治癒師なしで回復した、ということが?」


「うん。ハンナばあちゃんの薬、って伝わってるけど——どこで手に入れた薬か、誰も知らないから」


ミオが、少し眉を寄せた。


「村長は、何か言ってきた?」


「まだ。でも、ばあちゃんが——長くは保たないと思う、と言ってた」


枠の向こうで、クドウが何かを叩く音がした。フウタが地図のようなものを広げてミオと話し合っている。


「ノア」


ミオが、静かに言った。


「一つ、聞いていいですか」


「うん」


「村長に、話すとしたら——箱のことを、どこまで話せると思う?」


「……わからない。村長が、どういう人かによる」


「どういう人?」


「現実的な人だ。霊だとか精霊だとかを信じない。でも——嘘も嫌いだ。おかしいと思ったことは、必ず調べる」


「それは——」


「怖い人じゃない。ただ、隠し通せる相手でもない」


ミオが、しばらく黙った。


「正直に話すことも、ひとつの選択だと思う」


「箱のことを?」


「うん。全部じゃなくていい。でも——ミオたちのことを、信頼できる人に知っておいてもらう。それは、ノアを守ることにもなるかもしれない」


「守る?」


「今はノアが一人で秘密を抱えてる。でも、信頼できる大人が知っていれば——ノアが何かに巻き込まれたとき、助けてくれる人が増える」


僕は、それをしばらく考えた。


ハンナばあちゃんが知ってくれた。ティナが一緒にいてくれた。だから、今日まで来られた。


「……もう少し、考える」


「うん。急がなくていい」


「でも——村長に呼ばれたら、考えてる時間はないかもしれない」


「そうしたら——そのとき、話して。私たちも一緒にいる」


枠の向こうで、フウタが顔を上げた。クドウも、こちらを見た。


みんな、聞いていた。


◇


「向こうの事情が、動き始めましたね」


楓太が言った。


「治癒師なしでの回復は、あの世界では確かに異常だ。誰かが不思議に思うのは当然だ」


工藤が腕を組んだ。


「村長が動いたとき、どこまで説明するか——それはノアが決めることだ。私たちが決めることじゃない」


「でも、一緒に考えることはできる」


美緒が言った。


「そう。それが、今私たちにできることだ」


ソラが、静かに言った。


「村長がどういう人かを、ノアはよく知っています。現実的で、嘘を嫌う。その人が信頼に値するかどうかも、ノアが一番わかっている」


「信頼できる人間かどうか、画面越しでも確かめられますよね」


楓太が言った。


「ティナさんのときみたいに」


工藤が、静かに頷いた。


「あのとき五秒で笑い返してきた子だ。村長が、どんな顔をするか——見てみたいと思うのは、私だけじゃないだろう」


美緒は、思わず笑った。


こういうことを、工藤が言うとは思っていなかった。


◇


夜になって、村長の使いが来た。


「村長が、明日の朝、話を聞きたいと言っている」


ガルドさんだった。


疲れた顔の中に、少し、申し訳なさそうな色があった。


「メルのことで、いろいろと騒ぎになってしまった。村長は、何があったかを知りたがっている。お前を責めたいわけじゃない。ただ——」


「わかった」


「……いいのか」


「行く。明日の朝、行く」


ガルドさんが、また頭を下げた。ダグによく似た、不器用な頭の下げ方だった。


夜、箱を取り出してソラに話しかけた。


「明日、村長のところへ行く」


「わかりました。ノア、怖いですか」


「少し。でも——ばあちゃんが話を聞いてくれたとき、あんなに怖くなかった」


「それは、話す前から結果が見えていたからじゃないですか。ハンナさんなら大丈夫だって」


「村長は、わからない」


「そうですね。だから怖い」


「うん」


「でも——ノアは、話すことを選んだ」


「選んだかどうかは、まだわからない。でも——逃げるより、話した方がいい気がしてる」


「どうしてですか」


「逃げても、追いかけてくるから。いつかは話さないといけない。なら——早い方がいい」


「それが、ノアなんですね」


「どういう意味?」


「怖くても、逃げない。箱に触れた最初の日から、ずっとそうです」


風が、木々を揺らした。


境の樹の葉が、さわさわと音を立てた。


「ソラ、明日——そばにいてくれるか?」


「います。ずっと」


「ありがとう」


「おやすみなさい、ノア。明日、一緒に行きましょう」


箱を洞にしまって、僕は空を見上げた。


星が出ている。あちらの世界とは違う、知らない並び方の星が。


でも——見上げているのは、向こうも同じかもしれない。違う空でも、同じ夜に。


奇跡、と村の人たちは言い始めている。


でも、奇跡じゃない。ミオたちの知識と、ばあちゃんの手と、ティナの火と、走り続けた僕の足が、重なってできたことだ。


それを、明日——村長に、どう伝えるか。


全部は話せないかもしれない。でも——話せることを、ちゃんと話す。


それだけのことが、今は少しも怖くなかった。

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