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異世界少年と謎の物体と研究室の仲間たち〜森で拾った箱の向こうは現代日本でした〜  作者: gachapin2223


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第16話 夜明けまで

夜の森は、静かだった。


虫の声がして、木の葉が風に揺れて、遠くで梟が鳴いた。それだけで、他には何もない。


僕は境の樹の根元に背をもたれて、箱を膝の上に置いていた。


村には戻れなかった。


戻って、寝台に横になっても、眠れる気がしなかった。メルの浅い呼吸が、耳から離れない。暗い部屋の隅で見た、小さな体が。スプーンを口に当てたばあちゃんの、静かな手が。


「ソラ」


「います」


すぐに、答えが返ってきた。


「眠れないの?」


「うん」


「そうですね」


ソラは、余計なことを言わなかった。ただ、いる、と伝えてくれた。それが、今は一番ありがたかった。


「メルの様子は」


「先ほど薬を飲んでしばらくは変化がありませんでしたね」


「変化がない、ということは」


「悪化していない、ということです。薬が効き始めるまで、もう少し時間がかかります」


「どのくらい?」


「明日の朝から昼にかけて——変化が出てくる可能性があります」


「……そっか」


木の根が、背中に当たっている。冷たい。でも、立ち上がる気になれなかった。


「ソラは、眠らないの?」


「私は眠りません。ずっとここにいます」


「そう」


「ノアが話したいなら、聞きます。話したくなければ、ただここにいます」


僕は、空を見上げた。


木々の隙間から、星が見えた。あちらの世界と違う並び方をしている星。名前も知らない、見たことのない星座。


「ソラ」


「はい」


「母さんのこと、話してもいい?」


「もちろんです」


 


母さんが倒れたのは、僕が十歳の秋だった。


最初は、ただの風邪だと思っていた。熱が出て、少し寝ていれば治ると言っていた。でも、三日経っても熱は下がらなかった。腹を壊して、水も飲めなくなって——治癒魔法をかけてもらったけど、効かなかった。


「強い魔法の使い手じゃないと、難しいかもしれない」


村の治癒師が言った。


「街から呼ぶ? でも時間がかかる」


ばあちゃんが街へ使いを出した。でも——間に合わなかった。


母さんは、それから五日で逝った。


「あのとき——何もできなかった」


「ノアは十歳でした」


「十歳でも、何かできることがあったはずだ。もっと早く水を沸かしていれば。もっとよく症状を見ていれば。今なら——」


「今のノアが知っていることを、あのときのノアは知らなかった」


ソラが、静かに言った。


「知らなかったことは、罪じゃない」


「でも——」


「ノア。あなたは十歳で、お母さんを亡くして、それでも森に通い続けた。なぜですか」


僕は、少し考えた。


「母さんが教えてくれたことを、忘れたくなかったから」


「他には?」


「……森にいると、母さんが近くにいる気がしたから」


「それだけですか」


木の葉が、風に揺れた。


「もし——誰かが同じように倒れたとき、今度は何かできるかもしれないと思ったから」


ソラは、少しの間、黙っていた。


「それが、答えだと思います」


「答え?」


「ノアが知識を手放さなかった理由。魔法が使えなくても、出来損ないと言われても、それでも森に通い続けた理由」


「……」


「誰かを、守りたかったから」


 


木の根の感触が、少し、やわらかくなった気がした。


寒くなってきた。夜の森は、よく冷える。でも——立ち上がる気には、まだなれなかった。


「ソラ」


「はい」


「僕は——本当に、出来損ないなのかな」


風が止んだ。


木々が、しんと静まった。


「違います」


ソラが、はっきりと言った。


「ノアは、出来損ないではありません」


「魔法が使えないのに?」


「魔法が使えないことと、出来損ないであることは——別のことです」


「村では、同じことだ」


「村では、そうかもしれない。でも——私が見てきたノアは、違います」


ソラの声は、いつもと同じ、穏やかな声だった。でも——どこか、いつもより、真剣な響きがあった。


「コラルの腹下しを直感したのは、ノアです。上流の倒木に気づいたのも、ノアです。メルの呼吸数を数え続けたのも、ノアです。今夜、ここに残って眠れないでいるのも——ノアです」


「それは——」


「魔法じゃない力で、できることです。ノアだから、できたことです」


僕は、何も言えなかった。


「出来損ないという言葉は、誰かが誰かを傷つけるために作った言葉です。その言葉に、ノアの価値は、一つも入っていない」


夜の森が、静かに広がっていた。


「……ソラは、どうしてそんなにはっきり言えるの」


「私は、最初からノアを見ています。箱が現れた最初の日から。逃げなかったノアを、見ています」


「怖かったから、逃げられなかっただけだ」


「怖くても、逃げなかった。それが、ノアです」


 


東の空が、少しずつ白み始めていた。


夜が終わる。


僕は膝の上の箱を見た。冷たい、黒い表面。あの日、初めて触れたとき、心臓が速く打っていた。怖かった。声の意味が全くわからなくて、枠の中に知らない人たちがいて——それでも、逃げなかった。


あのとき逃げていたら、今日はなかった。


ばあちゃんが枠の中のミオたちを見て「いい人たちだね」と言う今日も。薬がメルの口に届いた今日も。


「ソラ」


「はい」


「ありがとう。今夜、一緒にいてくれて」


「どういたしまして」


「眠れないのに、付き合わせた」


「眠りませんから、問題ありません。それに——」


ソラが、少し間を置いた。


「私も、話せてよかったです」


空が、橙色になり始めた。


鳥が、一羽、木の上で鳴いた。


 


そのとき、村の方角から、声が聞こえた。


走る音がした。誰かが、息を切らして走ってくる音。


草をかき分けて、倒木を飛び越えて——


「ノア!」


ダグだった。


顔が、赤かった。目が、血走っていた。昨日の、青ざめた顔とは違う。これは——


「熱が!」


ダグが、膝に手をついて、息を整えながら叫んだ。


「熱が——引いたんだ! メルの熱が!!」


 


◇


 


「ソラ!」


美緒が、モニターから身を乗り出した。


「確認できますか」


「はい。ノアのカメラ越しに確認——ダグさんの表情から、メルさんの状態に変化があったと推測されます」


「ノアの顔を見ればわかる」


工藤が、静かに言った。


モニターの中で、ノアが立ち上がった。


箱を抱えたまま、ダグの顔を見ていた。


ダグが——泣いていた。声を上げて泣くのではなく、ただ涙が流れていた。泣いていることに、気づいていないような顔で。


ノアの表情が、ゆっくりと、ほぐれていった。


「よかった」


楓太が、震える声で言った。


美緒は、何も言えなかった。


目の奥が、熱くなった。こらえようとしたけれど、うまくいかなかった。


「泣かないでくださいよ、美緒さん」


「泣いてない」


「泣いてますよ」


「うるさい」


工藤が、端末に向かったまま、小さく息を吐いた。


その横顔が——いつもより、ずっとやわらかかった。


 


◇


 


ダグが泣いているのを、見たことがなかった。


いつも声が大きくて、威勢がよくて、誰かを笑い飛ばしていた。それがダグで、それ以外のダグを、僕は知らなかった。


「本当に——引いたのか?」


「引いた。さっき、ハンナさんが額を触って、笑ったんだ。引いてるって。メルが——目を開けて、水を飲んだ」


「そうか」


「ノア」


ダグが、顔を上げた。


目が赤い。唇が、少し震えている。


「お前が——」


言いかけて、止まった。


続きを言えないのか、言わないのか、わからなかった。


「いい」


僕が言った。


「言わなくていい」


「でも——」


「メルが元気になればいい。それだけだ」


ダグは、また少し黙った。


それから——不器用に、小さく頷いた。


 


朝の光が、森に差し込んでいた。


夜が終わった。


ソラと話しながら越えた夜が。眠れないまま、ずっと耳を澄ませていた夜が。


「ノア」


箱の中から、ミオの声がした。


朝の、少し眠そうな声だった。


「おはよう、ノア。聞こえてた」


「……うん」


「よかったね」


「うん」


それだけだった。


それだけで——十分だった。


木々の梢の向こうに、橙色の空が広がっていた。


新しい朝が、来ていた。

さて、ここまで読んでくださってありがとうございます。


もしこの物語が少しでも心に触れたなら——★評価やフォローをしていただけると、本当に励みになります。

ノアたちの旅は、まだ続きます。次の話では、村がまた少し、動き始めます。

次話も、一緒に歩いてもらえたら嬉しいです。

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