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異世界少年と謎の物体と研究室の仲間たち〜森で拾った箱の向こうは現代日本でした〜  作者: gachapin2223


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第15話 出来損ないの薬

翌朝、ハンナばあちゃんは一番早く起きていた。


僕が台所に下りると、すでに薬草の小袋をいくつか布に包んでいた。手際がいい。関節が痛むはずなのに、指が淀みなく動いている。


「準備、してたの?」


「もちろん。今日、行くんだろ」


「うん。でもその前に——箱を、見てほしい」


「ああ、そうだったね」


ばあちゃんは包みを脇に置いて、僕を見た。


「行こうか、森に」


 


境の樹の根元に着いたとき、朝の光がちょうど木々の間から差し込んでいた。


僕は洞から箱を取り出して、ばあちゃんの前に置いた。


ばあちゃんが、しゃがんで、じっと見た。


触れていい? と目で聞くから、うなずいた。


ばあちゃんの指先が、黒い表面をそっと撫でた。


「冷たいね」


「うん」


「金属じゃない。石でもない。なんだろう」


「わからない。向こうの世界の素材らしい」


ばあちゃんは、もう少し眺めてから、立ち上がった。


「触れてみなさい」


「うん」


手のひらを表面に当てると、光が走った。


 


枠が開いた。


ミオの顔が現れた。朝の光の中で、少し眠そうな目をしている。でも、すぐに枠の前に身を乗り出した。


「ノア——それから、ハンナさん?」


「うん。紹介したくて」


「はじめまして」


ミオが、はっきりとした声で言った。


ばあちゃんは、しばらく、枠の中を見つめていた。


動く絵の中に、人がいる。声が届く。それだけのことが、ばあちゃんにはどう見えているのだろうと、僕は少し不安だった。


でも——ばあちゃんは、笑った。


「はじめまして。ノアの祖母の、ハンナといいます」


ソラが翻訳した言葉が流れる。ミオが、また笑い返した。


「ノアには、いつもお世話になっています」


「こちらこそ」


ばあちゃんは、ミオの顔を、それからクドウの顔を、フウタの顔を、一人ずつ、丁寧に見た。


探るような目じゃなかった。確かめるような目だった。


どんな人たちなのか。ノアを大切にしてくれているのか。信じていいのか。


長い時間、薬師として人を見てきた目が、静かに動いていた。


そして——もう一度、笑った。


今度は、最初より、少し深く。


「いい人たちだね、ノア」


「……うん」


「安心した」


それだけ言って、ばあちゃんは包みを持ち直した。


「さて。行こうか」


 


◇


 


ハンナは、歩きながら考えていた。


動く絵の中にいた若い女性——ミオという人の目が、ずっと頭に残っていた。


心配している目だった。メルのことを。ノアのことを。


見たことのない場所にいて、見たことのない服を着ていて、言葉も違う。それでも——誰かを案じる目の色は、どこの世界でも同じなのだと、ハンナは思った。


ノアがこの一月、毎日森へ通っていたこと。帰ってくるたびに、少し背筋が伸びていたこと。誰かに「すごい」と言われたような顔をしていたこと。


聞かなかった。聞けなかったのではなく、聞かなかった。


この子が話す気になるまで、待とうと思っていた。


ノアの母——エリアが、まだ生きていたころ、こんなことを言っていた。


 


「お母さん、ノアはきっと、普通の子とは違う育ち方をすると思う。押したら折れるから、待たなきゃいけない子なんだと思う」


 


待った。


三年間、ずっと待った。


昨日、台所でノアが話し始めたとき、ハンナは泣きそうになった。顔には出さなかったけれど。


やっと話してくれた、と思った。


それだけで、十分だった。


 


ダグの家が見えてきた。


ハンナは足を止めずに、扉を叩いた。


「ガルド。ハンナだよ」


すぐに扉が開いた。ガルドが出てきて、ハンナの顔を見て、それからノアの顔を見て——眉を寄せた。


「ハンナさん。こいつは——」


「私が連れてきた」


ハンナが、静かに言った。


有無を言わせない、でも穏やかな声だった。


「入っていいかい」


 


◇


 


部屋は薄暗かった。


窓の布が下ろされていて、昼間でも外の光が入りにくくなっている。隅に置かれた水差しから、かすかに湯気が立っていた。ティナが昨日から沸かし続けてくれている水だ。


メルが、奥の寝台に横たわっていた。


布団を顎まで引き上げて、目を閉じている。呼吸が、浅い。胸が小さく上下するたびに、かすかな音が聞こえた。


ハンナはゆっくりと近づいて、額に手を当てた。


「……まだ高い」


目の縁が、少し、動いた。


長年薬師をやってきた。高熱の子どもを、何人も見てきた。治癒魔法の届かない場所で、できることを尽くして、それでも間に合わなかったことも、あった。


この子は——間に合わせなければならない。


「ダグ」


後ろで、ダグが壁にもたれて立っていた。ガルドとエーラも、部屋の端に立っている。


「薬を持ってきた。飲ませたい」


「……どんな薬ですか」


エーラが聞いた。


「遠くの知恵者に教えてもらった。ちゃんとしたものだ」


「ハンナさんが言うなら——」


「待ってくれ」


ダグが、前に出た。


ハンナを見て、それから——ノアを見た。


「そいつが持ってきた薬じゃないですよね」


「ダグ」


「ノアの薬を、メルに飲ませるんですか。出来損ないが持ってきた、どこの——」


「ダグ」


ハンナの声が、静かに遮った。


部屋の空気が、少し変わった。


ハンナは、ダグを真正面から見た。


怒っていない。責めてもいない。ただ——真剣な目だった。


「私はね、ダグ。長いことこの村で薬師をやってきた。お前のお父さんが子どもの頃から、ずっとね」


「……はい」


「その間に、魔法で救えなかった命を、いくつも見送ってきた」


ダグが、黙った。


「魔法は強い。でも——万能じゃない。それを、一番よく知っているのは私だよ」


ハンナは、手の中の小袋を見た。


「この薬は、ノアが繋いでくれた縁から来ている。どこからどう来たかは、今は言えない。でも——私は信じている。この子の目を、長年見てきたから」


「でも——」


「ダグ」


ハンナは、ダグの目をまっすぐに見た。


「お前は今、怖いんだろう。それでいい。怖くて当然だ。大事な妹が、目の前で弱っていく。何もできない自分が、情けなくて、怖くて、誰かにぶつけたくて——その気持ちは、わかる」


ダグの目が、揺れた。


「でも——今は、怒っている場合じゃない」


ハンナは、静かに続けた。


「私が保証する。この薬を、メルちゃんに飲ませていいかどうか——それは、私が責任を持って判断した。薬師として。この村で一番長く、病を見てきた者として」


誰も、何も言わなかった。


ガルドが、妻のエーラを見た。エーラが、小さく頷いた。


ダグが——壁から離れた。


扉の方へ歩いていって、外に出た。


扉が、静かに閉まった。


「……入っていいよ」


ガルドが、低い声で言った。


 


◇


 


ハンナは、メルの枕元に座った。


小袋を開けて、水差しの沸かした水を少し取り、粉末を溶かした。スプーンで静かにかき混ぜる。


「メルちゃん」


低く、優しく呼んだ。


メルが、うっすらと目を開けた。潤いのない目だった。


「薬だよ。甘いから、飲めるよ」


スプーンをそっと唇に当てた。


メルが、少しだけ口を開けた。


一口。


また一口。


ゆっくりと、飲んだ。


ハンナは、その間ずっと、メルの顔を見ていた。


昔、エリアが倒れたときも、こうして枕元に座った。スプーンで水を飲ませた。それでも、エリアは逝った。


あのとき自分は、何もできなかったと思った。今も思う。


でも——今日は、違うかもしれない。


ノアが繋いでくれたものが、この子を救うかもしれない。


エリアの息子が——母親がいなくなった後も、一人で森を歩きながら、知識を積み上げて——その知識が、今日ここに繋がっている。


「エリア」


心の中で、呼んだ。


「見てるかい」


 


メルが、薬を飲み終えた。


また目を閉じた。呼吸は、まだ浅い。


すぐには変わらない。それはわかっている。


でも——始まった。


ハンナは立ち上がって、ノアを振り返った。


ノアが、部屋の入り口に立っていた。


入ってきていいのかどうか、わからないような顔をして。それでも、目を離せないような顔をして。


ハンナは、静かに頷いた。


入っておいで、という意味で。


ノアが、一歩、部屋に入ってきた。


 


◇


 


暗い部屋の中で、メルの呼吸が聞こえていた。


浅く、でも——続いている。


僕は、その音をずっと聞いていた。


消えないでいる、ということが、今この瞬間は、それだけで十分だった。


ばあちゃんが、隣に立った。


何も言わなかった。


ただ、隣にいた。


それで——十分だった。


 


◇


 


「飲んだ」


ソラが、研究室に静かに告げた。


「ハンナさんが、飲ませてくれました」


美緒は、息を吐いた。


気づかないうちに、ずっと息を詰めていた。


「あとは——待つだけですか」


楓太が言った。


「そうだ」


工藤が、短く答えた。


「効くはずだ。柳瀬先生の見立てが正しければ——二日で、熱が引き始める」


「二日」


「待つしかない」


美緒はモニターを見た。


ノアが、暗い部屋の中に立っている。ハンナが、隣にいる。


メルの呼吸の音が、かすかに拾えた。


浅い。でも——続いている。


「ソラ」


美緒が言った。


「何か変化があれば、すぐに教えて」


「はい。ノアが箱を持ってそばにいる間は、カメラ越しに確認できます。何かあれば、すぐにお知らせします」


研究室に、静かな時間が降りた。


画面の向こうで、小さな命が——薬が効くのを待っている。

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