第14話 薬が来ない
ハンナばあちゃんは、すぐに答えてくれた。
「メルちゃんなら、体重は村の記録で確認できる。去年の冬の鑑定のときに計ったはずだから」
「お願いできる?」
「いいよ。で——もう一つの質問は? 体が強く反応したことがあるか、って」
「そう。食べたものとか、触れたものとかで、急に肌が荒れたり、息が苦しくなったりしたことが」
ばあちゃんは少し考えてから、首を振った。
「メルちゃんについては、聞いたことがない。ダグの家は丈夫な子が多いから——ただ、確実じゃないね」
「わかった。体重だけでも、急いで調べてほしい」
「どうしてそんなことを聞くんだい」
ばあちゃんの声が、静かに変わった。
問い詰めているわけじゃない。でも——何かを、確かめようとしている声だった。
「……あとで、全部話す」
「そうかい」
それ以上は聞かなかった。ばあちゃんは立ち上がって、奥の棚へ向かった。
◇
「体重は十八キロ。アレルギーの既往は、確認できませんでした」
美緒がメモを見ながら言った。
「柳瀬先生に連絡します」
工藤が端末に手を伸ばした。
返答はすぐに来た。
「十八キロなら、アモキシシリン二百五十ミリグラムを一日三回。食後に飲ませること。五日間続けること。飲み始めて二日で熱が引いてくるはずだ。もし引かなければ、また連絡してくれ」
「錠剤と、粉末と、どちらが——」
「子どもには、粉末タイプが飲ませやすい。甘味をつけたものが市販されている」
「わかりました」
電話が切れた。
楓太が、すでに棚を開けていた。研究室の救急セットの中に、薬は入っていない。
「どこかに——子ども用の粉末タイプはありませんか」
「近くの薬局に走ります」
楓太が言いながら、財布を掴んだ。
「待て」
工藤が立ち上がった。
「俺が行く。何が必要かを、俺が一番わかっている」
珍しく、工藤が先に動いた。
美緒はその背中を見ながら、思った。口の悪いこの人が、今日一番、急いでいる。
◇
「薬が来た」
ミオの声が、枠の中から聞こえた。
「今、転送窓に入れる。受け取れる?」
「うん」
隙間の奥で、かすかな音がした。
引き出すと——小さな袋が出てきた。白くて軽い。中に、さらに小さな袋がいくつか入っている。粉末が入っているらしく、振るとさらさらと音がした。
「飲み方を教える。沸かして冷ました水に、一袋分を溶かす。朝、昼、夜——食事のあとに飲ませる。五日間、続けること」
「わかった」
「アレルギーが出たら——飲むのをやめて、すぐに教えて。肌が赤くなる、息が苦しくなる、そういう反応が出たら、すぐに」
「うん」
ティナが袋を受け取って、中を確かめた。
「これ、匂いはどう?」
「甘い匂いがする。子どもが飲みやすいように——フウタが選んでくれた」
フウタが、枠の奥から照れくさそうに顔をそらした。
「ありがとう、フウタ」
「別に」
ティナが、こらえきれずに笑った。
「素直じゃないなあ」
◇
「さて」
ティナが、笑いを収めながら言った。
「問題は、どうやってメルちゃんに飲ませるか、だよね」
「うん」
「ダグさんとこは——ノアの薬は受け取らない」
「受け取らない」
「じゃあ——」
ティナが腕を組んだ。
「ハンナばあちゃんに、頼もう」
「ばあちゃんに?」
「ばあちゃんなら、ダグの家に入れる。村の薬師として、薬を持っていくことができる。ノアの薬じゃなくて、ばあちゃんの薬として——メルちゃんに届けることができる」
僕は少し黙った。
「それは——ばあちゃんに嘘をつかせることになる」
「全部を話さなくていい、ってことじゃなくて」
ティナが、まっすぐに言った。
「ちゃんと話すんだよ。全部。ばあちゃんに」
「……」
「前から薄々わかってたと思う。ばあちゃん、ずっと何も聞かないでいてくれてたんじゃないの」
答えられなかった。
ティナの言う通りだった。ばあちゃんはずっと待っていた。聞かないでいてくれた。ノアが話す気になるまで。
「今日が——その日だよ」
◇
ハンナばあちゃんの家に戻ったのは、夕方だった。
台所で、ばあちゃんが夕食の準備をしていた。いつもと変わらない後ろ姿。でも——僕が入ってきたとき、鍋をかき混ぜる手が、一瞬止まった。
「おかえり」
「ただいま」
「メルちゃんの体重、調べておいたよ。十八キロ。去年の秋の記録だけど」
「……もう伝えてある」
ばあちゃんが振り返った。
「誰に?」
僕は、椅子を引いて座った。
ばあちゃんも、向かいに座った。
火にかけた鍋が、静かに音を立てている。窓の外が、少しずつ暗くなっていく。
「ばあちゃん」
「うん」
「ずっと、話せなかったことがある。話したかったけど——どう話せばいいかわからなくて」
「うん」
「森で、拾ったものがある。一月くらい前に」
「うん」
「それは——遠い場所の人たちと、話せる箱だった」
ばあちゃんは、何も言わなかった。
「声が届いて、物も少し行き来できる。彼らは、魔法のない世界の、研究者だって言ってた。最初は怖かったけど——怖くない人たちだってわかって。植物のことを聞いてくれて。コラルのことも、メルのことも——助けてくれようとしている」
ばあちゃんは、じっと僕を見ていた。
「その薬も——彼らから来た?」
「うん。向こうの世界のお医者さんに聞いてもらって。メルの体重に合わせた量を、選んでくれた」
「なるほど」
ばあちゃんが、ゆっくりと頷いた。
「ハンナのサルベ草の塗り薬も——?」
「うん」
「そうかい」
ばあちゃんは、しばらく黙っていた。
怒っているのか。呆れているのか。信じていないのか。
読めなかった。ばあちゃんの顔は、いつもと同じで——穏やかだった。
「その箱、見せてもらえるかい」
「今は森に——」
「明日でいい」
ばあちゃんが立ち上がって、台所に戻った。鍋の火加減を確かめながら、静かに言った。
「ノア。お前が嘘をつく子じゃないのは、生まれたときから知ってる」
「……」
「遠い世界の人たちが、本当にそういう人たちなのかどうか——明日、自分の目で確かめてから、考えるよ」
「ばあちゃんが、メルに薬を届けてほしい。ばあちゃんの薬として——ダグの家に」
「わかった」
「本当に?」
ばあちゃんが振り返った。
少し笑っていた。
「ノアが信じてる人たちなら——試してみる価値はある。それだけのことだよ」
鍋の音が、台所に満ちていた。
僕は、ずっと抱えていたものが、少しだけ、軽くなった気がした。
秘密は消えていない。でも——一人で抱えていたのが、二人になった。
三人か。ティナも含めれば。
「ばあちゃん」
「うん」
「怒らないの?」
「なんで怒るんだい」
「黙っていたから」
ばあちゃんは、しばらく黙ってから言った。
「ノアが言えなかったのは、怖かったからだろ。大事なものを取り上げられるのが怖くて、信じてもらえないのが怖くて」
「……うん」
「それは——しょうがないことだよ。怖いと思う気持ちは、誰にでもある」
窓の外に、星が出始めていた。
「明日、見せておくれ。箱を」
「うん」
「楽しみだね」
ばあちゃんが、また笑った。
その笑い方が——どこか、楽しそうだった。
不思議な人だ、とずっと思っていた。
こんな話を聞かされても、まず「楽しみ」と言えるのは——ばあちゃんだけだと思う。
◇
「ノアがハンナさんに話してくれた」
美緒は、モニターを見ながら言った。
「ソラが記録してた会話から」
「どんな反応でした?」
楓太が聞いた。
「怒らなかった。明日、箱を見せてほしいと言ったらしい」
「怒らなかった……」
楓太が、ほっとしたような声を出した。
「ノアにとって、ずっと重かったんでしょうね」
「うん」
工藤が、端末を閉じながら言った。
「あの婆さん、器が大きい」
「工藤さんにしては、素直な感想ですね」
「うるさい」
美緒は、モニターの中のノアの家の灯りを見た。
台所の窓から、温かい光が漏れている。二つの人影が、並んで夕食を食べているのが見えた。
「よかった」
静かに、言った。
それだけで、十分だった。




