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異世界少年と謎の物体と研究室の仲間たち〜森で拾った箱の向こうは現代日本でした〜  作者: gachapin2223


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第11話 熱

朝、村の広場を横切ろうとしたとき、ダグの姿が目に入った。


走っていた。


ダグが走るのは珍しくない。でも——あの走り方は、違った。いつもの、俺が一番だという走り方じゃない。何かに追われているような、必死な走り方だった。


「ダグ」


呼ぶと、ダグが振り返った。


その顔を見て、胸がざわりとした。

青ざめている。目が、血走っている。


「……なんでもない」


それだけ言って、また走り出した。

その後ろ姿を見送りながら、僕は嫌な予感を覚えた。


夕方になってわかった。


ダグの家の末っ子、五歳のメルが、昨夜から高熱を出していると。


知らせてくれたのはティナだった。


「朝から様子がおかしくて。熱だけじゃなくて、お腹も壊してるって」


「コラルのときと、似てる?」


「もっと重いみたい。コラルのときは熱がそこまで高くなかったけど、メルはずっと下がらないって」


僕は、足元を見た。


高熱。腹下し。下がらない熱。


三年前、母さんが倒れたのも、最初はそういう症状だった。治癒魔法をかけてもらっても、熱は引かなかった。街から呼んだ治癒師が「私の手には負えない」と言った夜のことを、今でも覚えている。


「ノア?」


ティナが顔を覗き込んできた。


「……村の水、最近変わったことはなかったか」


「水?」


「井戸の色とか、匂いとか」


「さあ……聞いてないけど」


僕は顔を上げた。


「ダグの家に行く」


「え、でも——」


「症状を、直接確かめたい」


ダグの家の前まで行ったが、扉は閉まっていた。


中から、子どもの泣き声が聞こえた。低く、かすれた泣き声。体力を使い切った子どもが出す、あの声。


扉を叩こうとしたとき、中から開いた。


出てきたのはダグの父、ガルドさんだった。馬具職人で、体の大きな人だ。その人が、ひどく疲れた顔をしていた。


「何の用だ」


「メルの具合が悪いと聞いて。症状を——」


「お前には関係ない」


「聞かせてもらえれば、力になれるかもしれない。薬草のことなら——」


「薬草で、この熱が引くと思うか」


ガルドさんの声が、低く、硬かった。

怒っているのか、疲れているのか、怖いのか——全部が混ざっているような声だった。


「……治癒師は」


「ダグが街へ走った。戻ってくるまで、二日はかかる」


二日。


「それまでに——」


「わかっている」


ガルドさんは扉を閉めた。

静かに、でも、取り付く島もなく。


◇


僕は森へ走った。


ティナのことも、籠のことも、全部置いてきた。


境の樹にたどり着いて、洞から箱を取り出して、表面に手を当てた。光が走るより前に、もう喋っていた。


「ミオ、クドウ、フウタ——誰か、いる?」


「います」


ソラの声が、先に応えた。


「どうしました、ノア。息が切れています」


「村の子どもが、熱で倒れてる。五歳。昨夜からずっと高熱で、腹も壊してる。下がらない」


少し間があった。


「わかりました。今、ミオさんを呼びます」


枠の中が、すぐに明るくなった。


ミオが飛び込んでくるように現れた。後ろに、クドウとフウタの顔も見えた。三人とも、さっきまでと表情が違う。


「ノア、もう一度。症状を、ゆっくり、教えて」


「五歳の女の子。昨夜から高熱。今朝から腹を壊している。嘔吐もあると聞いた。魔法の治療を試みたが、熱が下がらない」


「熱は、どのくらい?」


「正確にはわからない。でも——触れられないほど、高い、と聞いた」


「水は。最近、その子が飲んだ水は?」


「村の井戸水だと思う。コラルのときと——似てる。でも、もっと重い」


ミオが、クドウに向き直って、早口で何かを話した。クドウがすぐに端末の前に移動して、何かを打ち始めた。


「ノア。水のサンプル、取れる? 今すぐ」


「取れる。何をすればいい」


「村の井戸の水を、何かに入れて——転送窓から、送ってほしい」


「わかった。すぐ取りに行く」


「待って」


ミオが言った。


「ノア。それと同時に——水を、今すぐ沸かせる人は、いる?」


「ティナが——」


「ティナさんに、頼んで。メルちゃんが飲む水は、全部、沸かしてほしい。コラルのときと同じに」


「でも、それだけで——」


「まず、できることから。急いで」


◇


「感染性腸炎の可能性が高い」


工藤がモニターを見ながら言った。


「症状の経過から、コラルの件と同じ水源が絡んでいる可能性がある。だが今回は重症化している。五歳、高熱、嘔吐と下痢の併発——脱水が一番怖い」


「経口補水液、伝えましょうか」


美緒が言った。


「塩と砂糖と煮沸した水なら、向こうでも作れるはずです」


「ああ。ただ——」


工藤が、静かに腕を組んだ。


「それで熱が引くとは限らない。コラルは腸炎だったが、今回の熱の高さは——別の要因が重なっている可能性もある」


「つまり、私たちの判断では限界がある」


「そういうことだ」


楓太が、珍しく静かな声で言った。


「俺たち、医者じゃないんですよね」


誰も、すぐには答えなかった。

物理学者。エンジニア。院生。学部生。

診断も、処方も、できない。ノアが必死で伝えてくれた症状を前に、自分たちが持っている知識の輪郭が、はっきりと見えた。


「ソラ」


美緒が言った。


「小児の感染性腸炎、重症例の対処法を調べてくれ。医療介入なしで、できる限界を」


「はい。並行して、水のサンプルが届き次第、センサーで分析します」


「わかった」


美緒はモニターを見た。


枠の向こうでノアが走っている。森の中を、村の方向へ。籠も置いてきたらしく、手に何も持っていない。


あの子は、今、何を感じているのだろう。


五歳の女の子が高熱で倒れていて、大人は誰も耳を貸さなくて、走れる方向が箱しかない——そういうことなのかもしれない。


「急ぎます」


美緒は立ち上がった。


◇


井戸の水を小瓶に汲んで、森へ戻る間に、ティナと合流した。


「ミオから聞いた。メルちゃんの飲む水、全部沸かすんでしょ」


「今すぐできる?」


「できる。でも——ノア、ダグの家に入れてもらえなかったって言ってたじゃない」


「ハンナばあちゃんを通せば、受け入れてくれるかもしれない」


「……ばあちゃんに、話すの?」

「全部は話せない。でも——水を沸かすことの大事さは、伝えられる。ばあちゃんなら、聞いてくれる」


ティナが頷いた。


「わかった。私、ばあちゃんのとこ行ってくる。水を沸かす鍋と、ダグの家への顔つなぎを頼む」


「ありがとう」


「ノアは?」


「サンプルを送って——それから、ミオたちと話す」


森に戻って、小瓶を隙間に入れた。

すぐに引き込まれる感触があった。


「受け取りました。今、センサーにかけます」


ソラが言った。


「ノア。もう一つ聞いていいですか」


「うん」


「メルちゃんが倒れる前、何か変わったことはありませんでしたか。食べたものとか、行った場所とか」


「……わからない。ダグの家の中のことは、知らない」


「村全体で、何か変わったことは」


僕は少し考えた。


「上流の方で、木が何本か倒れたと聞いた。先週。嵐の後で」


「木が倒れた」


「川の上流。井戸水とは関係ないと思ってたけど——」


「ノア」


ソラの声が、少しだけ変わった気がした。


「それ、大事な情報かもしれません。工藤さんに伝えます」


「役に立つ?」


「わかりません。でも、知らないままよりは、いい」


僕は枠の中を見た。


ミオが何かを調べている。クドウが何かを叩いている。フウタが地図のようなものを広げている。全員が、動いている。


でも——何かが、重かった。

いつもの研究室の雰囲気と、違う。


「ミオ」


「うん」


「メルは、助かる?」


ミオが手を止めた。

しばらく、何も言わなかった。


「わからない」


正直な声だった。


「私たちは——研究者だ。医者じゃない。できること、全部やる。でも——約束は、できない」


「うん」


「ノア。今夜は、ソラがいる。何かあれば、すぐ呼んで」


「わかった」


枠の中が、少し遠くなった気がした。


遠いのに——繋がっている。それが今は、ただただ、ありがたかった。


空が、茜色に染まり始めていた。

母さんが倒れたあの夜も、こういう夕暮れだった気がする。

あのときは、何もできなかった。


今は——まだ、わからない。

でも、走れる方向がある。走り続けられる理由がある。


それだけで、三年前と、少し違う。


僕は立ち上がって、村への道を走り始めた。

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