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異世界少年と謎の物体と研究室の仲間たち〜森で拾った箱の向こうは現代日本でした〜  作者: gachapin2223


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第12話 科学者は医者じゃない

その夜、研究室に黒川教授が戻ってきたのは、日付が変わる少し前だった。


美緒と工藤は、まだモニターの前にいた。楓太はソファで仮眠を取っている。ソラは静かに稼働し続けていた。


「水のサンプルの分析結果は」


教授が上着を脱ぎながら言った。


「大腸菌群の反応が出ています。基準値を大きく超えています」


ソラが答えた。


「やはり水源だ」


工藤が腕を組んだ。


「上流で木が倒れたというノアの話——土砂が流入して、井戸に影響が出た可能性がある。コラルの腹下しはその初期症状で、今回のメルは本格的な感染だろう」


「原因はわかった」


教授は椅子を引いて、全員を見た。


「問題は、次だ」


沈黙が、室内に落ちた。


美緒は手元のメモを見た。経口補水液の作り方。体を冷やす方法。水を沸かす指示。できることは全部、すでにソラを通じてノアに伝えてある。

でも——それで、五歳の子どもの高熱が引くかどうか。


「私たちは物理の研究者だ」


工藤が、静かに言った。


「感染症の治療は、専門外だ」


「わかっている」


教授が頷いた。


「だからこそ、決断しなければならない」


「専門家を、呼ぶということですか」


美緒が言った。


「秘密を知る人間が、増える」


「そうだ。リスクはある。だが——」


教授は眼鏡を外して、テーブルに置いた。


「子どもの命がかかっている。私が天秤にかけていいものじゃない」


◇


翌朝、村の空気は重かった。


ダグの家の前を通ると、扉が少し開いていた。中から、メルのうめき声が聞こえた。昨日より、かすれている。


「ダグ」


呼ぶと、しばらくして扉が開いた。

ダグが出てきた。目の下に、くっきりと隈が出ている。一晩、眠っていないのかもしれない。


「様子を、見せてほしい」


「必要ない」


「症状を確認したい。もしかしたら——」


「お前に、何ができる」


ダグの声は、怒っているというより、疲れていた。


「魔法も使えないのに。薬師でもないのに。何が『もしかしたら』だ」


「水のことで、わかったことがある。村の井戸が——」


「父さんが街へ走った。治癒師が来れば、それで済む話だ」


「それまでに——」


「ノア」


ダグが、僕の目を見た。


「頼む。今は、邪魔をしないでくれ」


扉が、閉まった。


僕は、その場を動けなかった。

「邪魔」という言葉が、胸の中で静かに響いた。

怒りじゃない。ダグが怒っているのも、わかる。怖いのだろう。眠れなかったのだろう。そこに「出来損ない」が来て、何かを言おうとしている——邪魔、と感じるのは当然かもしれない。


でも。


視線を上げたら、ダグの家の窓が見えた。


薄いカーテン越しに、小さな人影が横たわっているのが見えた。


メルだ。

小さな体が、時々、震えている。


僕は家の脇に回った。

窓から少し離れた場所に、木箱があった。そこに腰を下ろして、箱を取り出した。


「ソラ」


「はい、ノア。見えています」


「メルが見える場所にいる。窓越しだけど」


「わかりました。観察を続けてください。気づいたことを、全部教えてください」


「……うん」


窓の向こうで、メルがまた体を震わせた。

顔色が、昨日より悪い。唇が、乾いている。布団の中でも、うまく眠れていないのか、時々目を開けては閉じる。


「呼吸が、少し速い気がする」


「回数を数えられますか。胸か腹が動くのを、十秒間で」


数えた。


「十秒で、四回か五回」


「少し多めですね。体力が落ちています。水は飲めていますか?」


「見えない。でも——唇が乾いてる」


「ティナさんに伝えて、沸かした水を届けてもらえますか」


「ハンナばあちゃんが今朝、差し入れを持っていった。沸かした水も、一緒に持っていってくれた」


「よかった」


ソラが、静かに言った。


「ノア。今あなたがやっていることは、大事なことです」


「見ているだけだ」


「見て、伝えることが——今できる、いちばん大切なことです」


◇


「柳瀬先生には、午後に連絡を入れる」


教授が、朝の打ち合わせで言った。


「学生時代の友人で、今は感染症の専門医をやっている。信頼できる人物だ」


「どこまで話しますか」


美緒が聞いた。


「最小限だ。ある遠い地域の症例、という体で相談する。転送装置のことも、異世界のことも、一切話さない」


「それで、十分な助言をもらえますか」


「症状と経過を正確に伝えれば、治療の方針は出てくるはずだ。あとは——私たちが翻訳してノアに届ける」


工藤が口を開いた。


「教授。柳瀬先生は、なぜ遠い地域の症例を黒川研究室が相談してくるのか、疑問に思いませんか」


「思うだろう」


教授は静かに答えた。


「だから、信頼できる人物に頼む必要がある。詳しく聞かない、ということが条件だ」


「それは、先生に失礼じゃないですか」


楓太が、遠慮がちに言った。


「失礼だ。でも——詳しく話すわけにもいかない。そのことは、後で謝る」


教授が、眼鏡をかけ直した。


「秘密というのは、守るためにある。でも、命の前では——どこまで守るべきか、判断しなければならない。それが今日だ」


誰も、反論しなかった。


◇


昼を過ぎたころ、ティナが来た。


「ハンナばあちゃんが、ダグの家に入れてもらえた。メルちゃんに水、飲ませてくれてる」


「よかった」


「でも——熱は下がってない。ばあちゃん、顔が険しかった」


ハンナばあちゃんが険しい顔をするのは、本当に心配なときだ。ばあちゃんはいつも笑っている。笑いながら「大丈夫だよ」と言う。それが言えないくらい、今日の状況は重い。


「ソラが、水を飲ませること以外に、体を冷やすことも伝えてくれた。濡れた布を額に当てるといいって」


「ばあちゃんに伝える。それ、村でもやることだから、受け入れてもらえると思う」


「頼む」


ティナが走っていった。


僕は再び、箱を取り出した。


「ミオ」


「いる。ノア、今日一日、ありがとう」


「何も、できていない」


「そんなことない。あなたの観察が、全部こちらに届いてる」


「研究室の方は——」


「教授が、知り合いのお医者さんに相談することにした。今日の午後」


「医者に? 秘密が——」


「全部は話さない。でも——私たちだけじゃ、限界だ」


ミオの声が、少しだけ、重かった。


「ノア。怒らないで聞いてほしい」


「うん」


「私たちは、物理の研究者だ。体のことは、専門じゃない。できることは全部やる。でも——できないことも、ある」


「わかってる」


「本当に?」


「……わかってる。ミオたちに、全部を求めてるわけじゃない」


ミオが、少し黙った。

それから、静かに言った。


「ごめんね、ノア」


「謝らないで。ミオたちは——ずっと、一緒にいてくれてる。それだけで、十分だ」


◇


教授が柳瀬医師に連絡を取ったのは、夕方のことだった。


「突然すまない。少し聞いてほしいことがあって」


「黒川か。珍しいな、お前から連絡してくるとは」


「遠い地域の、症例の話だ。五歳の子どもが高熱と下痢・嘔吐で三日ほど経過している。治癒——いや、治療が届きにくい環境で、経口補水液と解熱処置は始めている。水源に大腸菌群の汚染が確認された」


電話の向こうで、柳瀬医師が少し間を置いた。


「随分と、詳しいじゃないか。なんで物理屋が、そんな話を」


「事情は言えない。助言をくれるか」


また間があった。


「……症状の経過を、もう少し詳しく」


教授は手元のメモを見た。ソラが一日かけて記録した、ノアの観察記録。呼吸数。唇の乾燥。目の様子。体の震えのタイミング。

一つひとつを、読み上げた。


柳瀬医師は、静かに聞いていた。

そして——言った。


「黒川。それは——水を介する感染症かもしれない。そして、今の状態が続くなら——早急に、抗菌薬が必要だ」


教授は、目を閉じた。


経口補水液では、足りない。


「抗菌薬を、届ける手段があれば——どれを、どのくらい使えばいい」


「……黒川。お前、一体何をしている」


「後で、全部話す。今は頼む」


短い沈黙があった。


「わかった。ただし——後で、本当に全部話してもらうぞ」


研究室に、重い静けさが落ちた。

抗菌薬。完成品の薬。


自分たちが以前ルールとして決めた約束が、頭の中でよみがえった。


「完成品の薬剤をそのまま送るのは危険だ」


自分で、そう言った。工藤が、そう言った。全員で、そう決めた。

でも——今、その約束が、壁になっている。


「教授」


美緒が、静かに言った。


「私たちが決めたルールを——破ることに、なりますか」


教授は、すぐには答えなかった。

窓の外の夜空を、しばらく見ていた。


「破るんじゃない」


ゆっくりと、言った。


「判断する。状況が変わったとき、ルールをどう使うか——それを考えるのが、人間だ」


誰も、何も言わなかった。


ただ、モニターの中で、ソラの通信ランプが、静かに灯り続けていた。

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