「死んでも失わないもの」
「お前が死んでも失わないと信じているものだ」
ゼス・ミナクルの言葉が、絶対地に静かに響いた。
ゼルクロノスは、しばらく相手を見つめていた。
死んでも失わないもの。
そんなもの、いくらでもある。
自分にはアブソリュートリターンがある。死んだとしても、死ぬ前の状態へ世界が戻る。どれほどの結末を迎えようと、再びそこからやり直すことができる。
少なくとも、これまでのゼルクロノスはそう考えていた。
「……つまり、アブソリュートリターンのことか?」
「それだけではない」
「じゃあ何だよ」
「お前が、決して失われないと信じているものだ」
ゼスの答えは曖昧だった。
「だから、それが何なのかを聞いてるんだろ」
「自分で考えろ」
「お前な……」
ゼルクロノスは、呆れたように息を吐いた。
しかし、すぐに笑みを浮かべる。
「まあいい。どうせ、また何か試すんだろ?」
「ああ」
「だったら、さっさと始めようぜ」
ゼスは頷いた。
「お前は、死んでも戻ってこられると思っている」
「事実だからな」
「では、戻ってきたお前は、本当に死ぬ前のお前と同じなのか?」
「……は?」
思わず、ゼルクロノスの声が低くなった。
「何を言ってる。世界が死ぬ前の状態に戻るんだ。俺も死ぬ前の状態に戻る。それだけだろ」
「世界が戻ることと、お前が何も失っていないことは同じなのか?」
「同じに決まってるだろ」
即答した。
だが、ゼスは引き下がらなかった。
「ならば、答えろ。お前は、自分が死ぬ前と死んだ後で、何が変わったのかを理解しているのか?」
ゼルクロノスは口を閉じた。
理解しているに決まっている。
死ねば世界が戻る。それによって、死ぬ前の状態へ復帰する。
それがアブソリュートリターンだ。
しかし、ゼスが聞いているのは、能力の仕組みではない。
死んだ自分と、戻ってきた自分。
その二つを、同じものだと言い切れるのか。
「……お前、また言葉遊びをしてるのか?」
「そう思うなら、それでもいい」
ゼスは平然と答えた。
「だが、お前はまだ答えていない」
ゼルクロノスは舌打ちした。
腹立たしい。
能力が通用しないことなら、すでに何度も経験している。だが、今回は違った。
ゼスは能力を打ち破る方法を示そうとしているわけではない。
ゼルクロノスが当たり前だと信じていること、そのものを問い直しているのだ。
「……俺は、俺だ」
やがて、ゼルクロノスは口を開いた。
「死のうが、戻ろうが、俺が俺であることに変わりはない。アブソリュートリターンが発動すれば、俺は死ぬ前の状態へ戻る。だったら、それで十分だろ」
「それがお前の答えか?」
「ああ」
「ならば、次の質問だ」
ゼスは一切の間を置かずに続けた。
「お前は、アブソリュートリターンがあるから、自分を失わないと信じているのか?」
「……そうだ」
「では、その能力が発動することと、お前が何も失わないことを、どうやって区別する?」
「何?」
ゼルクロノスの表情が険しくなった。
「能力が発動すれば世界が戻る。それは変わらない。お前が何を言おうと、アブソリュートリターンの効果は変わらないぞ」
「能力の話はしていない」
「だったら、何の話をしてる!」
初めて、ゼルクロノスの声が絶対地に響き渡った。
彼自身、その声が大きくなったことに気づいていた。
だからこそ、苛立った。
目の前の男は、何度説明しても能力の話をしていないと言う。だが、ゼルクロノスにとって、自分が持つ力は自分自身を語るうえで切り離せないものだった。
全ての運命を支配する力。
全ての決定権を掌握する力。
百パーセントの確率で奇跡を起こす力。
そして、死んだときに世界を巻き戻す力。
これらは単なる道具ではない。自分という存在を支える、絶対的な権能なのだ。
「……俺は、自分の力を疑っているわけじゃない」
ゼルクロノスは、声を落とした。
「お前が何を言おうと、俺の能力は存在する。俺が死ねばアブソリュートリターンは発動する。それが事実だ」
「ああ。事実だ」
ゼスは否定しなかった。
「なら、何が問題なんだ?」
「お前は、その事実を理由に、何も失わないと決めつけている」
「……」
「力があることと、その力によって何が保証されるのか。それを混同している」
ゼルクロノスは、拳を握った。
反論したい。
だが、能力が発動するという事実を繰り返しても、ゼスの問いには答えられない。
「……結局、お前は何を証明したいんだ?」
「一つだけだ」
ゼスは、まっすぐにゼルクロノスを見た。
「お前が絶対だと信じているものを、もう一度、自分の目で確かめろ」
「俺の目で?」
「そうだ。誰かに教えられた答えではなく、お前自身が確かめた答えを持て」
ゼルクロノスは、黙っていた。
これまでなら、こんな問いを真剣に考えることはなかっただろう。
自分には力がある。答えが必要なら、自分で決めればいい。
それで終わりだった。
だが、今は違う。
ゼスは、ゼルクロノスの能力そのものを否定しているわけではない。アブソリュートリターンが発動することも、世界が死ぬ前へ戻ることも認めている。
それでもなお、問いを投げかけてくる。
――本当に、それだけで十分なのか。
「……分かった」
ゼルクロノスは、ゆっくりと顔を上げた。
「お前の言いたいことは、まだ全部理解できたわけじゃない。けど、一つだけ分かった」
「何だ?」
「俺は、今まで自分の力を疑う必要がなかった。だから、力があることを前提にして、全部を考えていたんだな」
ゼスは答えなかった。
「でも、だからって俺が間違っていると決まったわけじゃない」
「ああ」
「だったら、俺自身で確かめてやる。俺が何を失わずにいられるのか。何が本当に俺を俺にしているのか」
ゼルクロノスは、不敵に笑った。
「答えを出すのは俺だ。お前じゃない」
「そうだな」
ゼスは、初めてわずかに頷いた。
その反応に、ゼルクロノスは少しだけ目を細めた。
「……何だよ。否定しないのか?」
「お前自身が答えを出すと言った。それだけだ」
「ふん。最初からそう言えばいいんだよ」
ゼルクロノスは腕を組んだ。
まだ、答えは見つかっていない。
だが、見つからないからこそ、考える意味がある。
絶対者である自分が、知らないことを知る。
それは、これまでのゼルクロノスにとって、ほとんど無縁だった経験だった。
「ゼス」
「何だ?」
「次は何を試す?」
ゼスは少しの間、沈黙した。
そして、静かに答えた。
「次は、お前が自分の力を失うことを想像してみろ」
ゼルクロノスの笑みが消えた。
「……力を失う?」
「ああ」
「俺の能力を、全てか?」
「そうだ」
ゼルクロノスは、ゼスの目を見た。
自分の能力を全て失う。
運命を支配する力も、決定権を掌握する力も、奇跡を起こす力も、死から戻る力もない。
そんな自分を想像しろというのか。
「……面白いことを言うな」
ゼルクロノスは笑った。
しかし、その笑みは先ほどよりもわずかに硬かった。
「いいぜ。想像するくらいなら、いくらでもやってやる」
「想像するだけで終わると思うな」
「……どういう意味だ?」
ゼスは答えなかった。
その沈黙に、ゼルクロノスは初めて、得体の知れない緊張を覚えた。
次に試されるのは、能力ではない。
能力を失ったとき、自分に何が残るのか。
その問いが、静かに目の前へと迫っていた。
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