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「絶対者の権能が届かない場所」


絶対地に、静寂が戻っていた。ゼルクロノスの目の前には、黒い衣をまとった人影――ゼス・ミナクルが立っている。先ほどから何度も能力を発動しているというのに、目の前の存在には何一つ届いていなかった。

「……おい。お前、いったい何なんだ?」

ゼルクロノスは眉をひそめた。これまで彼は、自分の能力が通用しない相手など想像したことすらなかった。空間を操り、運命を支配し、決定権を掌握する。そんな彼にとって、あらゆる事象は自分の意思によって決まるものだった。 だが、ゼス・ミナクルは違う。目の前にいる。声も聞こえる。姿も見えている。それなのに、ゼルクロノスの能力によって相手の存在を捉えようとすると、そこには何もないかのような結果が返ってくる。

「俺の質問に答えろ。お前は何者だ?」 「ゼス・ミナクル」 人影は、あっさりと答えた。 「それが私の名だ」 「ゼス・ミナクル……」

ゼルクロノスは、その名前を口の中で繰り返した。聞き覚えはない。当然だ。全宇宙、全次元、観察層、神階、そして絶対地。彼はそのすべてを超越した場所にいる。自分が知らない存在など、いるはずがなかった。

「どこから来た?」 「どこからでもない」 「ふざけているのか?」 「いいや。お前が理解できる言葉に置き換えるなら、そう答えるしかない」

ゼス・ミナクルの声には、挑発するような響きさえなかった。ただ事実を述べている。それだけなのに、ゼルクロノスは妙な不快感を覚えた。 どこからでもない。何から生まれたわけでもなく、誰かに創造されたわけでもない。そもそも、誕生という出来事すら説明にならない。そんな存在を、ゼルクロノスは知らなかった。いや、知らないというよりも、知るための手段が存在しないのだ。

「……なるほどな」

ゼルクロノスは、ゆっくりと息を吐いた。苛立ちは消えていない。しかし、それ以上に、彼の中では別の感情が膨らみ始めていた。 興味だ。 久しく感じていなかった感情だった。何をしても結果が分かりきっている世界で、目の前の相手だけは違う。自分の能力を使っても、何が起きるのか分からない。

「なら、もう一度試させてもらうぞ」

「好きにしろ」

ゼス・ミナクルは動かなかった。 ゼルクロノスは右手を握り締める。次の瞬間、絶対地の空間が大きく歪んだ。彼の意思が空間そのものに干渉し、あらゆる方向からゼス・ミナクルへと作用する。逃げ道はない。距離も意味を持たない。空間そのものを支配する力が、対象を捉えようとした。 しかし、何も起こらない。ゼス・ミナクルは、ただそこに立っていた。

「空間操作が効かないわけじゃない……」

ゼルクロノスは呟いた。いや、違う。効かないという表現すら正しくない。彼の能力が対象へ届き、そこで何らかの抵抗を受けているのなら、少なくとも干渉の結果が現れるはずだ。だが、最初から届いていない。 「アブソリュート・ゼロフレーム」 ゼス・ミナクルが、静かに口を開いた。

「お前の能力が成立するための前提、そのすべてを私は超えている」 ゼルクロノスの表情が険しくなった。

「前提だと?」

「そうだ。お前がどれほど絶対的な能力を持っていようと、その能力が作用するためには前提が必要になる。対象を認識すること。干渉が届くこと。結果が成立すること。お前は、そのすべてを支配できると思っている」 ゼス・ミナクルは一歩も動かないまま、言葉を続けた。

「だが、私はその前提の外側にいる」 「……」 「お前の能力を無効化しているわけではない。防いでいるわけでもない。お前の絶対性が、私に届く条件を満たしていない。それだけだ」 ゼルクロノスは黙り込んだ。理解できないわけではない。言葉の意味は分かる。だが、それを自分自身に当てはめることができなかった。彼にとって、能力が届かないという現象そのものが、これまでの常識を根底から覆すものだったからだ。

「……面白いことを言うじゃないか」 やがて、ゼルクロノスは口元を歪めた。

「つまり、お前は俺の能力が届かない場所にいるってことか」 「そういう理解でも構わない」 「だったら、話は簡単だ」 ゼルクロノスの周囲に、圧倒的な力が満ちていく。絶対地そのものが、彼の存在に呼応するかのように震え始めた。 「お前がどんな場所にいようと関係ない。俺はゼルクロノスだ。全宇宙、全次元を超え、観察層も神階も超越した絶対者だ。俺の前に立つなら、その意味を教えてやる」 ゼス・ミナクルは答えなかった。その沈黙が、ゼルクロノスの闘争心をさらに刺激する。 「全ての運命の支配!」 ゼルクロノスは能力を発動した。あらゆる運命が彼の意思に従う。生まれる前から消滅した後まで、対象に関わるすべての筋書きを掌握し、望む結末へと導く。ゼス・ミナクルがどのような存在であろうと、運命という仕組みの中に捉えられれば、逃れることはできないはずだった。 だが、結果は変わらない。ゼス・ミナクルの運命は、見つからなかった。 「フェイトレス・ドミニオン」 ゼス・ミナクルが告げる。 「運命が適用される前提から、私は外れている。お前がどれほど未来を掌握しても、私の行動と結末は、その筋書きには従わない」 「なら、これならどうだ!」 ゼルクロノスは間髪入れずに能力を切り替えた。 「全ての決定権の掌握!」 自らの勝利を決定する。相手の行動を上書きし、あらゆる争いの結末を自分の望む形に確定させる。運命が通じないのなら、決定権によって勝敗を決めればいい。 しかし、ゼス・ミナクルはわずかに首を傾けただけだった。 「オーバーライド・オブ・アブソリュート」 その瞬間、ゼルクロノスの決定は結末へと届かなかった。 「なっ……!」 「お前の決定権よりも上位の権限がある。お前が自分の勝利を決めたとしても、それだけで私との勝敗が確定するわけではない」 ゼルクロノスは歯を食いしばった。ここまで立て続けに能力を発動して、すべてが同じ結果に終わっている。無効化されたわけではない。破壊されたわけでもない。自分の能力は、確かにそこにある。それなのに、ゼス・ミナクルに対しては意味をなさない。

「……はっ」 ゼルクロノスは小さく笑った。 「ははっ……はははははっ!」 突然の笑い声に、絶対地の静寂が破られる。 「いいぞ! 最高じゃないか!」 ゼルクロノスは心の底から笑っていた。退屈だった。何もかもが決まりきっていて、何をしても変わらない世界に飽き飽きしていた。だが、今は違う。自分の常識が通用しない相手がいる。自分の能力をもってしても、結果が分からない相手がいる。 「俺はずっと、こういう相手を待っていたのかもしれないな」 ゼルクロノスは拳を握り締めた。ゼス・ミナクルは、その様子を静かに見つめていた。

「勘違いするな」 「……何?」 「私は、お前を楽しませるために来たわけじゃない」 その言葉と同時に、ゼス・ミナクルの周囲から、得体の知れない圧力が広がった。 ゼルクロノスは笑みを消した。それは、力の大きさを感じ取ったからではない。そもそも、比較することができなかった。自分の力を測る物差しでは、目の前の存在を測定できない。強いか弱いかという判断すら、正しく成立しないのだ。 ゼス・ミナクルが、ゆっくりと口を開く。

「ゼルクロノス。お前は、自分が絶対者だと思っている」 「事実だ」 「ならば、一つ教えてやろう」 ゼス・ミナクルの姿が、ほんのわずかに揺らいだ。 「絶対という言葉は、お前が思っているほど万能ではない」 「……」 「お前の絶対性が成立する世界。その世界そのものが、すべてではない」 ゼルクロノスは、目の前の存在を睨みつけた。ようやく出会えた、自分の常識を超える存在。ここで退くつもりなどなかった。 「だったら見せてみろよ」

ゼルクロノスは一歩、前へ踏み出した。 「俺の絶対性が通用しないっていうなら、その先に何があるのか、俺自身の目で確かめてやる」 ゼス・ミナクルは、初めてわずかに顔を上げた。 「いいだろう」 その声は、静かだった。

「ならば次は、お前が最も頼りにしているものを試す」 ゼルクロノスの表情が引き締まる。 「俺が最も頼りにしているもの……?」 ゼス・ミナクルは答えなかった。ただ、ゼルクロノスを真っ直ぐに見据えていた。その沈黙が、次に何が起こるのかを告げているようだった。

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