第27話:三年の、計画
ヨナス・マイヤーが王都の屋敷に来たのは、その三日後だった。誰の使いでもなく、一人で来た。門番はもういないので、玄関の呼び鈴を自分で鳴らしていた。マルタが取り次ぎに来て、こう言った。
「ずいぶん、痩せておいでです」
客間に通すと、ヨナスは座るなり、こう言った。
「全部、申し上げます」
「なぜ、いま」
「妹が、口をきいてくれませんので」
彼は膝の上で手を握った。
「先日、法官という方が来て、妹が断ったと聞きました。──断れる人間だとは、思っておりませんでした」
「断りましたね」
「はい。……おれが三年、断らせないようにしてきたのに」
彼はうつむいた。わたしは紙とペンを用意した。
「書き取ってもよろしいですか」
「お願いします」
ヨナスの話は、一時間ほどかかった。順番はばらばらで、何度も前へ戻った。人が本当のことを話すときは、たいていそうなる。用意してきた話は、順番が整っている。まとめると、こうだった。
三年半前、王都の宿でアルブレヒト・ラングフォードと知り合った。伯爵は、そのころすでに借金があった。額は七百ルドほど。クヴェレ商会からの借り換えで、元は別の商会のものだったという。
伯爵はヨナスに、ミルデンの町のことを訊いた。ヨナスが宿屋の息子だと知って、土地の値と、役場の様子を訊いた。
「──なぜ、ミルデンだったのですか」
わたしは訊いた。
「王都から半日で、市が立って、人の出入りが多い。それから」
ヨナスは口ごもった。
「……役場が小さいので、届けを出しても誰も気にしない、と」
わたしはペンを止めなかった。
「妹の話が出たのは、その後です」
ヨナスは続けた。
「土地を買う話をしていて、そこに家を建てるとなると、住む人が要る。空き家は目立つ、と伯爵様が仰いました」
わたしは手を止めた。
「……住む人が、要る」
「はい」
「順番が、逆ですね」
「……逆です」
ヨナスは顔を上げなかった。
「女の人ができたから家を建てたのではありません。家を建てるのが先で、住む人が後でした」
わたしはしばらくペンを持ったままでいた。三年前の三月二十日、夫はわたしの手元を四十分見ていた。その前から、この計画はあった。
「なぜ、家が要ったのですか」
「借金でございます」
ヨナスは言った。
「伯爵様は、借金が膨らんだときに、取られないものを持っておきたいと仰いました。屋敷も領地も、伯爵家のものだから取られる。──奥様のお名前のものなら、取られない、と」
わたしはそこでペンを置いた。節税ではなかった。いや、節税でもあったのだろう。だがそれは、ついでだった。あの家は、最初から、債権者から隠すために建てられた。妻の名前は、そのための箱だった。
「……住む人が、後だった」
「はい」
「では、リゼルさんは」
「箱に、人を入れただけです」
ヨナスはそう言った。自分で言って、自分で顔を歪めた。
「おれが、入れました」
わたしはペンを止めなかった。止めると、この人は喋らなくなる。喋らせるためには、書き続けるのがいちばんいい。書いている手が動いているうちは、相手は「まだ続けていい」と思う。
父の書斎で覚えたことだった。父は客が喋っているあいだ、一度も顔を上げなかった。
「ヨナスさん。もう一つ伺います」
「はい」
「その話をされたとき、あなたは伯爵に何とお答えになりましたか」
「……妹は、そういう娘ではない、と」
「それから」
「金の話になりました」
彼は膝を握った。
「おれが悪いのは、そこです。断った理由が『妹はそういう娘ではない』だったのに、金を出されたら受けました。──理由が本当なら、金では変わらないはずです」
わたしはその一文をそのまま書き取った。この人は、自分の言葉で自分を裁いている。裁く必要はないと言うこともできたが、言わなかった。言えば、この人は楽になる。楽になった人の供述は、後で軽くなる。
わたしは水を一杯出して、彼に飲ませた。それからいちばん訊きにくいことを訊いた。
「ノラさんは、伯爵のお子ですか」
「……はい」
「間違いなく」
「間違いありません。妹は、そういう人間ではありません」
「認知は」
「されておりません」
わたしは書き取った。
「なぜ、なさらないのでしょう」
「認知すると、記録に載るからだと仰いました」
ヨナスは言った。
「庶子として載ると、伯爵家の財産に請求の筋ができる。──筋ができると、商会に見つかる、と」
わたしはペンを紙の上で止めた。インクが一滴、落ちた。あの子の名前が伯爵家の記録に無いのは、恥ずかしかったからでも、面倒だったからでもない。載せると、借金取りに見つかるからだった。
三つの子が、そのために、どこにも載っていない。
「ヨナスさん」
「はい」
「あなたは、それをいつ知りましたか」
「二年前です」
「妹さんには」
「言っておりません」
彼は両手で顔を覆った。
「言えませんでした。言えば、妹はあの家を出ます。出れば、伯爵様からの金が止まります。金が止まれば──」
「あなたの三ルドも、止まりますね」
「……はい」
わたしはペンを取り直し、最後の行を書いた。
書き取りを終えて、わたしはそれをヨナスに渡した。
「お読みください。違うところがあれば、直します」
彼は読んだ。二度読んだ。それから、震える手で署名した。
「奥様」
「はい」
「おれは、どうなりますか」
わたしは正直に答えた。
「分かりません。この紙をどこへ出すかで変わります」
「……出すのですね」
「出すかもしれませんし、出さないかもしれません」
わたしは紙を封筒に入れた。
「ただ、一つだけ申し上げます。──あなたは今日、自分から来て、自分で話して、自分で署名なさいました。人に言わされたのではありません」
「それが、何か」
「後で効きます」
わたしは封を閉じた。
「言わされた人の言葉は、後で覆ります。自分から言った人の言葉は、覆りません。あなたの三年は取り返せませんが、今日の一時間は、あなたのものです」
ヨナスは座っていた。立ち上がるとき、彼はこう言った。
「妹に、伝えていただけますか」
「なんと」
「……いえ」
彼は首を振った。
「自分で言います。断られると思いますが、自分で言いに行きます」
「そのほうがよろしいかと存じます」
玄関で見送ってから、わたしは書斎に戻った。机の上に、封筒を三つ並べた。ヨナスの供述書。筆跡鑑定の証明。それから、まだ中身を読んでいない、古い一通。嫁いだ年に、父が書いてよこした手紙だった。
筆跡鑑定の証明には、折り目が一つもついていない。受け取りに行った日、帰りぎわにテオドール・グレイが厚紙を一枚よこしたからだ。挟んでおけば折れません、とだけ言って、こちらの手が出るより先に机の端へ置いた。礼を言う間がなかった。言う間を作らないようにしているのだと、何度目かで気づいた。
封の表には、わたしの名前だけが書いてある。差出人の名も日付もない。届いたのは婚礼の十日ほど後だった。使いの者が持ってきて、返事は要らないと言って帰った。
当時のわたしは、それを新居への祝いだと思った。開けようとして、封の裏に父の字で一行あるのに気づいた。
〈読まずにしまっておきなさい〉
だから、しまった。四年間、開けなかった。
父は三年前に亡くなっている。葬いのとき、書斎はもう片づけられていて、客の証書は全部返されていた。わたしが引き取ったのは帳面が四冊だけだった。そのうちの一冊も、まだ開いていない。
わたしは封筒を裏返し、その一行をもう一度見た。読まずにしまっておきなさい、と書いた人は、いつか読むことを想定している。想定していなければ、こんな一行は書かない。
四年間、文箱の底に入れたままにしていた。
この回で、順番がひっくり返りました。──女の人ができたから家を建てたのではなく、家を建てるのが先で、住む人が後だった。
ミルデンの家は、最初から債権者から隠すための箱でした。妻の名前は、その箱の蓋です。箱には、人を入れる必要がありました。
三つの子がどこにも載っていない理由は、恥でも面倒でもなく、「載せると借金取りに見つかるから」でした。
次話。四年間、開けていなかった手紙を、エルヴィラが開けます。
順番がひっくり返った瞬間に声が出た方は、ブックマークをどうぞ。次話が、この物語のいちばん高いところです。




