第8話 あなたの右足は、六年間ずっと嘘をついています
四日、来なかった。五日目の夕方、馬車の音がした。
従者は椅子を降ろさなかった。降りてきたのは、その方一人だった。馬車から店の戸口まで、十一歩。一人で歩いた。途中で一度、扉の枠に手をついた。
「腰掛けを」
「はい」
わたくしは低い腰掛けを出して、いつもの位置に置いた。それから、自分のぶんをその正面に置いて、座った。
その方は座って、しばらく何も言わなかった。それから、靴の紐に手をかけた。
◇
右の踝から下が、左と違っていた。骨が一本、内側へ寄っている。足の甲の外側が高い。人の足の甲は、指の付け根から踝へ向かってなだらかに上がるものだが、その方の右足は途中で一度盛り上がって、そこから急に落ちていた。
足長は、右が三分短い。わたくしは何も言わずに両手で包んだ。
冷たかった。左は温かい。体重の乗らない足は冷える。
「六年前でございますか」
「六年前だ」
「北の」
「そうだ」
わたくしは踝を持ってゆっくり回した。回りかけて、止まった。止まった位置を覚えて手を離す。
「痛みますか」
「痛まん」
「動きません」
「……ああ」
「では、痛まないのではなく、動かないので痛みようがないのでございますね」
その方は答えなかった。
わたくしは指の一本ずつを持って順に曲げた。小指が動かない。薬指も途中までしか曲がらない。
「爪先で地面を蹴っておられませんね」
「蹴れん」
「はい。蹴れません。ですので、右足を前へ置いて左足で身体を運んでおられます。歩いていらっしゃるように見えますが、あれは歩いておりません。左足で跳んで、右足で受け止めていらっしゃいます」
「……」
「それを六年」
「六年だ」
◇
わたくしは膝の上に手を置いた。
「一つ、申し上げてよろしいでしょうか」
「同情はいらんと言った」
「同情ではございません」
わたくしは顔を上げた。
「あなたの右足は、六年間ずっと嘘をついています」
その方の眉が動いた。
「嘘」
「はい。この足は三分短うございます。けれど、あなたは背丈を変えておられません。左の膝を少し曲げて右の腰を落として、その三分をご自分の身体でごまかしておられます」
「歩くにはそうするしかない」
「はい。ですので、嘘は足だけの話ではございません。腰も、背も、肩も、全部その三分に合わせて嘘をついております。六年ぶんの嘘でございます」
「……何が言いたい」
「靴で三分を足します」
沈黙があった。
「右の木型を左より三分高く彫ります。踵ではなく、土踏まずから踵にかけて全体で持ち上げます。踵だけ上げると、爪先が下がって余計に引っかかりますので」
「そんなことができるのか」
「できます」
「三軒の店は、誰もそう言わなかった」
「三軒とも、左右で同じ木型をお作りになったのだと思います」
わたくしは巻き尺を取った。
「片方ずつ彫りますので、二足ぶんの手間がかかります。ですが、お代は一足ぶんで結構でございます」
「なぜだ」
「一足ぶんの靴でございますので」
◇
測るのに、二刻かかった。左は四半刻で済んだ。右に、残りを全部使った。
紙を巻きつけて型を取り、指の一本ずつの位置を写し、踝の高さを測り、それから座ったまま体重をかけていただいてもう一度全部測り直す。
「疲れませんか」
「疲れる」
「あと半刻でございます」
「……長いな」
「六年ぶんでございますので」
その方は天井を見た。
「あんた、屋敷にいたときもこうだったのか」
わたくしは手を止めなかった。
「侯爵家のことでございますか」
「王城で見た。ヴェルデンの嫁だと言われていた」
「はい」
「壁際にいたな」
「はい」
「俺と同じ側だ」
紙が指の付け根の形になった。わたくしはそれを外して印をつけた。
「壁際は、よく見えます」
「何がだ」
「靴が」
◇
測りながら、一つだけ気になっていた。骨の接ぎ方だった。
折れた骨は動かさずに置けばまっすぐ付く。二月は置く。それだけの話だ。この方の骨は、ずれた位置で固まっている。しかも、ずれ方に癖があった。外へずれたのではない。内へ、ねじれるように寄っている。
寝かせておいて自然にずれると、こうはならない。こうなるのは、固まりかけているところをもう一度動かしたときだ。
「閣下」
「クラウスでいい」
「……閣下」
「なんだ」
「この足は、いつからお使いになりました」
「使う」
「歩き始めた時期でございます」
その方は少し考えた。
「十日、寝ていた」
「十日」
「北が保たなかった」
わたくしは巻き尺を巻いた。巻き終わってから、もう一度右足の甲に触れた。
「そうでございますか」
「何かおかしいか」
「いえ」
嘘をついた。
骨は十日では付かない。それは軍医が一番よく知っているはずのことだ。
◇
「ハルトマン」
「はい」
「この靴には、あんたの名が入るのか」
わたくしは手を止めた。
「木型には、彫った者の刻印を打ちます」
「打つのか」
「……いえ」
「なぜだ」
「打ったことがございませんので」
「六年やって、一度もか」
「はい」
その方は右足を床に置いた。置いただけで、体重は乗せていない。
「妙な話だな」
「はい」
「六年ぶんの靴がこの国のどこかを歩いているのに、誰が作ったか、誰も知らない」
「はい」
「あんたも知らないのか」
わたくしは顔を上げた。
「わたくしは、知っております」
◇
わたくしは紙に数字を写した。左右で二枚。
「三日後に、いちど履いていただきます」
「三日」
「粗く彫ったもので、一度合わせます。それから直します。三度は直しますので、三度いらしてください」
「三度も来るのか」
「三度でお済みになれば、よいほうでございます」
その方は靴を履き直した。紐を結ぶとき、右だけ緩めに結ぶ。中で足が動かないように、少しでも当たらないように。六年の癖だ。
立ち上がって、戸口まで十一歩。途中で扉の枠に手をついた。ついてから、こちらを見た。
「三日後だな」
「はい。お待ちしております」
◇
戸を閉めて、作業台に戻った。母が奥から出てきて、紙を二枚とも見た。左右で別の数字が並んでいる。
「三分か」
「はい」
「土踏まずから」
「はい」
「その人、何て言った」
「できるのか、と」
「あんたは」
「できます、と」
母は紙を置いた。
「できるのかい」
「やったことはございません」
母は少しのあいだ黙って、それから革包丁の背で作業台を一回叩いた。
「樺は二本取ってある」
「二本」
「片方ずつ彫るんだろ。しくじるぶんも要る」
「しくじる前提でございますか」
「あんたの父さんは、傷痍の兵さんの一足に、木型を四つ潰したよ」
「四つ」
「四つ目で、ようやく歩いた。三つ目までは、本人が『これでいい』って言ったのを、あの人が『よくない』って言って作り直した」
母は樺の木口を撫でた。
「客が『これでいい』と言ったら、たいていの職人はそこでやめる。やめないのが、うちの商売の悪いところだ」
【今日の一足】右が三分短く、腰と背と肩が、その三分に合わせて嘘をついている。——足の話は、足だけで終わりません。
左右で長さの違う足に、片方だけ厚みを足した靴を作る技術は実在します。補高といいます。踵だけ上げると爪先が下がるので、土踏まずから持ち上げる——というのも実際の作り方です。
まだ明るい時刻に、母が燭台を一本増やします。
ブックマークと評価は、蝋引き糸の代金に充てさせていただきます。糸は縫う前に蝋を引くと、二十年もつのです。




