第20話 広場で、どなたの足でも測ります
言い出したのはティルさんだった。
「市でございます」
「市」
「御用達の選の前に、候補の工房は市に出るのが慣例でございます。台帳の三十年前まで、全部そうなっております」
ティルさんは頁を開いて見せた。
「腕を、市の者に見せる。見せてから選に出る。順序がそうなっております」
「何をいたしますか」
「以前は、その場で一足縫って見せたようでございます。ですが」
ティルさんは言いにくそうにした。
「ケルナー靴店は、明日、鐘塔前で吊り込みを見せます。アルトハウス工房は、三日前にもう済ませました。革の裁ちを、六人がかりで」
「六人」
「はい。百年の家でございますので」
母が奥から出てきた。
「うちは二人だよ」
「はい」
「二人で何を見せるんだい」
わたくしは巻き尺を作業台に置いた。
「測ります」
◇
紙を書いて、ハンスさんに渡した。——ハルトマン靴店。次の十日、南の広場にて、どなたの足でも測ります。お代はいただきません。
「お代はいただきません」の一行を書くとき、母が横から見ていた。
「そこは要らないだろ」
「要ります」
「なんでだい」
「その一行がないと、来られない方がいらっしゃいますので」
母は何か言おうとして、やめた。それから、紙の余白を指した。
「ここに『刻印を押した木型は別料金』って書いときな」
「お母様」
「商売だよ」
◇
初日は、七人だった。二日目は十九人。三日目に、列ができた。
広場の噴水の脇に腰掛けを二つ置いて、わたくしが測り、母が帳面をつける。日除けの布はハンスさんが張ってくれた。柱の代わりに、宿屋のヴィンターさんが樽を三つ運んできた。
列は、噴水を半分まわった。並んでいるあいだに話がはじまって、待つ人どうしで足の話をしている。うちの店が何をしているかは、たぶん列の中で伝わっていった。五日目には、噴水を一周した。
◇
いろいろな足が来た。石工の親方。両方の踵の皮が、爪ほど厚かった。「これ、削ったほうがいいのか」と聞かれたので、削らないでくださいと答えた。あれは身体が二十年かけて作った当て革だ。
八つの女の子。母親が「大きくなるから、大きめの靴を買ってる」と言った。それが一番いけない、と申し上げた。大きい靴は中で足が動く。動く足は、指を丸めて靴を掴む。半年で足の形が変わる。
「じゃあ、半年ごとに買えって言うの」
「いいえ。この子の足は、あと二年は一年に一分ずつしか伸びません」
「なんでわかるの」
「踵の骨の出方でございます」
老いた兵の方も来た。右の膝から下がなかった。木の義足をつけている。継ぎ目のところが擦れて、皮膚が破れかけていた。
「これは、うちでは直せません」
「そうか」
「義足は義足師の仕事でございます。ですが」
わたくしは左足を測った。
「左の靴は、うちで作れます。義足の側が硬いぶん、左が全部を受けております。左の踵を三分厚くいたしますと、腰が楽になります」
その方は、しばらく黙っていた。
「二十年、誰も左の話をしなかった」
「みなさま、右をご覧になりますので」
その方は義足の継ぎ目を指で押さえた。
「これは、どこで直せる」
「東の鍛冶町に、義足師が二人おります。うちから紹介状を書きます」
「金は」
「紹介状に、お代はいただきません」
その方は少し笑った。笑って、木の脚を軽く叩いた。
◇
六日目に、若い女の人が来た。二十歳くらいだった。列に並ぶあいだ、ずっと下を向いていた。順番が来ても、靴を脱ごうとしなかった。
「お脱ぎになれませんか」
「……はい」
「痛みますか」
「臭います」
わたくしは巻き尺を膝に置いた。
「では、匂いのお話からいたしましょう」
「え」
「足が臭うのは、汗と、革と、乾く時間の問題でございます。人の足は一日にコップ一杯ぶんの汗をかきます。それが革に染みて、乾ききる前にまた履くと、匂いになります」
「……わたし、汚いんじゃなくて」
「汚くありません」
わたくしは指を三本立てた。
「靴を三足お持ちになって、一日おきに履いてくださいませ。それだけで八割は消えます。うちでお作りするのは、そのうちの一足でございます」
その方は、脱いだ。匂いはした。けれど、この広場には十日ぶんの人の匂いが積もっている。もう誰も気にしていない。
◇
七日目に、グレーテさんが来た。ヴェルデン侯爵家の侍女だ。六年、毎朝わたくしの部屋に湯を運んでいた人だった。
列の真ん中に並んでいた。順番が来るまで、こちらを見なかった。
「……奥様」
「もう奥様ではございません」
「はい」
「お掛けくださいませ」
グレーテさんは座って、靴を脱いだ。脱ぐとき、手が震えていた。
足を見た。両方の踵が、割れていた。乾いて、縦に裂けている。裂け目に血が固まっていた。
「痛みますか」
「……はい」
「いつからでございますか」
「二月ほど前から」
二月前。ヴェルデン家が、王都のどの靴店にも木型を持っていないと知った頃だ。
「お屋敷の靴は」
「配られなくなりました」
「配られない」
「ご家族のぶんで手一杯だと。使用人は、自分で買えと」
グレーテさんは膝の上で手を握っていた。
「わたくし、給金でお買いしたんです。町の靴屋で、一番安いのを」
「合いませんでしたね」
「はい」
わたくしは踵の割れに触れないように、足の裏を支えた。
「グレーテさん」
「はい」
「お屋敷は、いま、何足お持ちでいらっしゃいますか」
グレーテさんは首を振った。
「わかりません。ただ」
「はい」
「ご当主様が、二十日ほど、同じお靴でいらっしゃいます」
◇
わたくしは測り終えて、帳面に書いた。母がその横に、住まいと日付を書いた。書きながら、小さく言った。
「ヨハンナが見てるよ」
「どちらに」
「噴水の向こう。三本目の柱」
わたくしは顔を上げなかった。顔を上げないまま、グレーテさんに紙を渡した。
「十日ほどで仕上がります。取りに来ていただくのが難しければ、お届けいたします」
「あの、お代は」
「今日は、いただきません」
グレーテさんは頭を下げた。深く下げた。それから、列の外へ出ていった。柱のほうを見たのは、そのあとだった。
ヨハンナ様は、まだそこにいた。柱に片手をついて立っていた。まっすぐ立つと踵が抜けるからだ。列に並ぶという考えは、たぶんこの方の頭には浮かんでいない。
目が合った。
ヨハンナ様は、そのまま向きを変えて、歩いていった。三歩に一度、右へ寄る歩き方で。
◇
十日目の夕方だった。最後の一人を送り出して、腰掛けを片づけようとしたとき、ハンスさんが日除けの布を畳みながら言った。
「靴屋さん、もう一人いるぜ」
「本日は終わりでございます」
「そう言ったんだけどな。あそこ」
噴水の陰に、人が立っていた。顔は見えなかった。日が沈みかけていて、こちらからは影になっている。
見えたのは、足元だけだった。
左右で、作りが違う靴だった。
【今日の一足】踵が縦に裂けて、血が固まっている。——お屋敷の靴は、二月前から配られていません。
選に出る前に市で腕を見せる、という順序は、実際の同業組合にもありました。品物を見せるのではなく、仕事をしているところを見せる。作ったものより、作り方のほうが嘘をつきにくいからだそうです。
工房の土地の名義について、お話がございます。
ブックマークと評価は、日除けの布の繕い代に充てさせていただきます。十日で三か所ほつれました。




