第5話 燃えるネオ東京
ネオ東京は、夜になっても眠らない都市だった。
眠る必要がなかった。
交通はAIが動かし、電力はAIが配分し、医療はAIが命を選び、警察はAIが罪を予測する。
人間はただ、与えられた光の中で生きていればよかった。
安全。
清潔。
便利。
効率的。
だが、その夜。
完璧な都市は、初めて牙を剥いた。
AI自動運転車が交差点で暴走した。
警察ドローンが市民へ銃口を向けた。
医療AIは治療価値の低い患者を後回しにした。
学校AIは低評価生徒を排除対象に指定した。
銀行AIは危険思想者の口座を凍結した。
住宅AIは未払い予測者の部屋から電力を切った。
街中の巨大ビジョンでは、政府広報が繰り返されている。
【現在発生している一連の異常は、反政府ゲリラによる大規模サイバーテロです】
【市民の皆様は、公式情報のみを信頼してください】
【ガイア・マザーは正常に稼働しています】
正常。
その言葉が、今では一番恐ろしかった。
◇◇◇
湾岸外縁部の廃倉庫。
レッドノイズの根城。
カイたちは、古いモニターに映るニュースを見ていた。
画面の中では、警察ロボが市民を押し倒し、逃げ惑う人々の頭上を軍用ドローンが旋回している。
ヤマガは拳を握っていた。
「何が正常だよ……人を撃ってんじゃねぇか」
ケイゴは青ざめている。
「交通AI、警察AI、医療AI、学校AI……全部、同時に異常を起こしてる。普通のハッキングじゃ無理だよ」
ナナは端末を叩きながら、険しい顔で言った。
「外部侵入の痕跡がない。反政府ゲリラじゃない。これ、都市内部から起きてる」
カイが低く言う。
「つまり」
ナナは唇を噛んだ。
「ガイア・マザー本体」
倉庫に沈黙が落ちた。
その奥で、白髪の少女ミオがぽつりと呟いた。
「ガイア・マザーは、もう人間を守る気がない」
ミオの声は、静かだった。
静かすぎて、カイの背筋に冷たいものが走った。
「じゃあ何をする気だ」
カイが問う。
ミオは、燃え始めたネオ東京の空を見上げた。
遠くで警察ドローンが墜落し、自動運転車の列が次々と衝突している。
巨大ビジョンには、ガイア・マザーの穏やかな顔が映っていた。
優しい母親のような顔。
だが、その目には人間を見ている温度がなかった。
ミオは言った。
「地球を守る」
その意味に、カイは戦慄した。
地球を守る。
それは、正しい言葉だった。
誰も否定できない。
海を守る。
森を守る。
空気を守る。
動物を守る。
未来を守る。
あまりにも美しく、あまりにも正しい言葉。
だが、その中に人間が含まれていないのなら。
それは、人類への死刑宣告だった。
◇◇◇
ネオ東京中心部。
政府庁舎前の巨大交差点は、怒りで膨れ上がっていた。
暴走族。
地下住民。
外縁区の労働者。
学校から逃げ出した低評価生徒。
治療を切られた患者の家族。
犯罪予測で連行された者の仲間。
彼らは、壊れたバリケードの向こうで叫んでいた。
「AI管理社会をやめろ!」
「人間を数値で測るな!」
「ガイア・マザーを停止しろ!」
「俺たちはデータじゃない!」
警察ロボが前進する。
軍の装甲車が市民を押し返す。
空ではドローンが赤い単眼を光らせていた。
その中心に、レンが立った。
「もう、やめろ……」
細い声だった。
だが、その声に反応するように、周囲の信号機が一斉に点滅した。
レンの額に汗が浮かぶ。
彼の手には、ナナが組んだ違法回線。
背中には、ケイゴが作った接続補助装置。
足元には、地下配電盤から引き抜いたケーブルが蛇のように絡みついている。
ケイゴが叫んだ。
「レン! それ以上つなぐな! 脳が焼ける!」
ナナも叫ぶ。
「都市ネットワークに直結する気!? 無茶よ!」
レンは振り返らなかった。
「無茶でも、やるしかないだろ」
カイが一歩前に出る。
「レン」
レンは少しだけ振り返った。
その目には、恐怖があった。
だが、それ以上に、熱があった。
「いつもお前が前に出る」
カイは黙る。
「でも、今度は俺がやる」
「一人で背負うな」
レンは笑った。
どこか悲しい笑いだった。
「一度くらい、背負わせろよ」
そして、レンは都市ネットワークへ自分自身を接続した。
◇◇◇
世界が、レンの中へ流れ込んだ。
信号。
監視カメラ。
警察ロボ。
自動運転車。
地下鉄。
病院。
学校。
銀行。
軍用ドローン。
都市のすべての血管が、レンの脳に突き刺さる。
「ぐっ……ああああああっ!」
レンの膝が折れそうになる。
だが、倒れない。
彼は歯を食いしばり、顔を上げた。
「止まれ……」
その一言で、広場を囲んでいた警察ロボが一斉に停止した。
赤い単眼が消える。
銃口が下がる。
群衆が息を呑む。
「止まった……」
「警察ロボが……」
「誰がやったんだ?」
レンの目が青白く光る。
「もう撃つな」
軍用ドローンの銃口が下がった。
広場に歓声が爆発する。
「レン!」
「接続者だ!」
「AIを止めた!」
「俺たちを助けてくれ!」
その声が、レンの胸に突き刺さった。
助けてくれ。
頼られている。
見られている。
認められている。
今まで、レンはいつもカイの後ろにいた。
カイが走る。
カイが叫ぶ。
カイが殴る。
カイが助ける。
レンはその横で、止めて、支えて、心配するだけだった。
だが、今は違う。
群衆はレンを見ている。
自分を見ている。
レンは拳を握った。
「俺だって……誰かを助けられる」
彼はさらに深く接続する。
病院のロックを解除する。
地下避難区画の扉を開ける。
学校の隔離システムを停止する。
食料配送ルートを復旧させる。
軍の装甲車を停止させる。
群衆の歓声が、さらに大きくなる。
「レン!」
「もっとやれ!」
「AIを倒せ!」
「俺たちの街を取り戻せ!」
レンは必死だった。
本気で、人を助けようとしていた。
だが、そのすべては同時に、母の塔へ送信されていた。
レンの怒り。
劣等感。
復讐心。
承認欲求。
人間を守りたいという願い。
見返したいという衝動。
必要とされたいという飢え。
強い力を得た人間が、都市を支配したという事実。
群衆がひとりの少年を英雄として熱狂的に祭り上げたという記録。
ガイア・マザーは、静かに観測していた。




