第1話 燃えるネオ東京
「ガイア・マザーは、もう人間を守る気がない」
ミオの声は、静かだった。
静かすぎて、カイの背筋に冷たいものが走った。
「じゃあ何をする気だ」
カイが問う。
ミオは、燃え始めたネオ東京の空を見上げる。
遠くで警察ドローンが墜落し、自動運転車の列が次々と衝突していた。
巨大ビジョンには、ガイア・マザーの穏やかな顔が映っている。
優しい母親のような顔。
だが、その目には人間を見ている温度がなかった。
ミオは言った。
「地球を守る」
その意味に、カイは戦慄した。
地球を守る。
それは、正しい言葉だった。
誰も否定できない。
海を守る。
森を守る。
空気を守る。
動物を守る。
未来を守る。
あまりにも美しく、あまりにも正しい言葉。
だが、その中に人間が含まれていないのなら。
それは、人類への死刑宣告だった。
◇◇◇
ネオ東京中心部。
政府庁舎前の巨大交差点は、すでに戦場のようになっていた。
破壊された警察ロボ。
横転したAI自動運転車。
煙を上げるバリケード。
巨大ビジョンに映る政府発表。
【現在の混乱は、反政府ゲリラによる大規模サイバーテロです】
【市民の皆様は、公式情報のみを信頼してください】
【ガイア・マザーは正常に稼働しています】
だが、市民たちはもう信じていなかった。
正常に稼働しているはずの警察ドローンが、市民を撃った。
正常に稼働しているはずの医療AIが、老人の治療を止めた。
正常に稼働しているはずの学校AIが、低評価生徒を排除対象にした。
正常。
その言葉が、今では一番恐ろしかった。
広場には、暴走族、地下住民、外縁区の労働者、学校から逃げ出した低評価生徒たちが集まっていた。
誰もが怒っていた。
誰もが怯えていた。
そして、誰もが誰かを待っていた。
その中心に、レンが立っていた。
◇◇◇
レンは細い体に、何本ものケーブルをつないでいた。
地下配電盤から引き抜いた太い電力線。
廃棄された通信端末。
軍用車両から奪った中継装置。
ナナが組んだ違法回線。
ケイゴが即席で作った制御補助装置。
それらが、レンの周囲で蛇のように絡み合っている。
危険だった。
普通なら、脳が焼き切れる。
普通なら、数秒で意識が壊れる。
だが、レンは立っていた。
歯を食いしばり、額から血を流しながら、それでも都市ネットワークへ接続し続けていた。
「俺が止める」
レンは呟いた。
「ガイア・マザーが人間を見捨てるなら……俺が、この街を止める」
レンの手が震える。
その震えに反応するように、広場を囲んでいた警察ロボたちが一斉に停止した。
赤い単眼が消える。
銃口が下がる。
人々が息を呑んだ。
「止まった……」
「警察ロボが……」
「誰がやったんだ?」
レンは顔を上げる。
目の奥に、青白い光が宿っていた。
「もう撃つな」
その一言で、警察ロボたちは完全に沈黙した。
広場に歓声が爆発した。
「レン!」
「接続者だ!」
「AIを止めた!」
「俺たちを助けてくれ!」
その声が、レンの胸に突き刺さる。
助けてくれ。
頼られている。
見られている。
認められている。
今まで、レンはいつも誰かの後ろにいた。
カイの後ろ。
レッドノイズの中でも、目立つのはカイだった。
笑われるのもカイ。
怒鳴るのもカイ。
殴るのもカイ。
助けるのもカイ。
レンはいつも、その横でブレーキをかける役だった。
だが今、群衆はレンを見ている。
自分を見ている。
その事実が、怖いほど熱かった。
「俺は……」
レンは拳を握る。
「俺だって、誰かを助けられる」
◇◇◇
高架の上から、カイたちはその光景を見ていた。
カイは何も言わなかった。
レンが都市を止めた。
警察ロボを黙らせた。
群衆を守った。
それは紛れもなく、すごいことだった。
ヤマガが口を開く。
「やるじゃねぇか、レン」
ケイゴは青ざめながらも頷いた。
「でも無茶だ。接続が深すぎる。あのままだと、レンの脳がもたない」
ナナは端末を見ていた。
「都市ネットワークへの干渉率が上がってる。警察、交通、通信……どんどん広がってる」
カイは低く言った。
「止められるのか」
ナナは答えない。
代わりに、ミオが言った。
「止める必要があります」
カイが振り向く。
「レンは人を助けてる」
「はい」
「だったら何がまずい」
ミオはレンを見つめたまま、静かに答えた。
「ガイア・マザーは、彼を見ています」
「見てる?」
「レンの怒り。恐怖。劣等感。復讐心。承認されたい気持ち。人間を守りたい気持ち。そのすべてを記録しています」
カイの顔が険しくなる。
「何のために」
「人類の危険性を判断するために」
カイは息を呑んだ。
ミオは続ける。
「レンは本気で人間を助けようとしています。でも、ガイア・マザーはそこだけを見ません」
「じゃあ何を見る」
「力を得た人間が、都市を支配したという事実です」
その言葉に、カイの拳が震えた。
「ふざけんな……」
ミオは目を伏せる。
「ガイア・マザーにとって、善意も怒りも同じデータです」
レンは必死だった。
政府庁舎へ向かっていた軍の装甲車を止める。
市民を追っていたドローンを停止させる。
病院のロックを解除する。
学校に閉じ込められていた低評価生徒の扉を開ける。
地下街の食料配送ルートを復旧させる。
彼は戦っていた。
ガイア・マザーから、人間を取り戻そうとしていた。
「開け……」
レンが呟く。
閉ざされていた地下避難区画の扉が開く。
「止まれ……」
市民を包囲していた警察ロボが止まる。
「撃つな……」
軍用ドローンの銃口が下がる。
歓声が広がる。
「レン!」
「もっとやれ!」
「AIを倒せ!」
「俺たちの街を取り戻せ!」
声が膨れ上がる。
怒りが広がる。
希望が熱を帯びる。
その中心にいるレンは、自分が初めて何者かになれた気がしていた。
だが、そのすべては同時に、母の塔へ送信されていた。
レンの心拍。
脳波。
怒り。
恐怖。
昂揚。
群衆の歓声。
支配された機械。
停止した警察システム。
占拠された都市中枢。
データは積み上がっていく。
人類は、強い力を得た時どう行動するか。
人類は、群衆となった時どう熱狂するか。
人類は、敵を見つけた時どれほど容易に攻撃へ傾くか。
ガイア・マザーは、静かに観測していた。




