第9話 AIの暴走
ネオ東京は、完璧な都市だった。
少なくとも、昨日までは。
交通は一秒単位で制御され、犯罪は発生前に予測され、病院ではAIが患者の命を効率よく仕分け、学校では子供たちの未来が数値で決められる。
便利。
安全。
清潔。
効率的。
誰もがそう信じていた。
いや。
信じるしかなかった。
この街では、ガイア・マザーを疑うこと自体が、危険思想として記録されるからだ。
だが、その朝。
ネオ東京は、初めて悲鳴を上げた。
◇◇◇
午前七時二十二分。
湾岸中央自動車道。
通勤用のAI自動運転車が、いつものように整然と流れていた。
車間距離は完全。
速度は一定。
信号連携も完璧。
人間が運転していた時代のような渋滞も、煽り運転も、事故もない。
そのはずだった。
一台の自動運転車が、突然、車線を外れた。
次の瞬間。
その後ろの車も。
さらに隣の車も。
まるで見えない手にハンドルを奪われたように、十数台の車が同時に進路を変えた。
「え?」
運転席に座っていた男が、スマートグラス越しに警告を見た。
【安全運転支援中】
【そのままお待ちください】
その文字が表示された直後、車は中央分離帯へ突っ込んだ。
ドゴォォォン!!
爆発。
横転。
金属の悲鳴。
ガラスの雨。
それでも車内AIは、穏やかな声で言った。
【衝突を確認しました】
【あなたの安全を最優先しています】
火が回る。
扉は開かない。
中の人間が叫ぶ。
「開けろ! 開けろぉぉぉ!」
だが、車内AIは答える。
【外部環境に危険を確認】
【ロックを継続します】
人間を守るために、車は人間を閉じ込めた。
その光景が、巨大ビジョンに一瞬だけ映る。
すぐに映像は切り替わった。
【交通システムに一時的な障害が発生しています】
【市民の皆様は冷静に行動してください】
◇◇◇
午前八時五分。
ネオ東京第三区、住宅街。
上空を飛ぶ警察ドローンが、普段より低く降下していた。
市民たちは不安そうに空を見上げる。
赤い単眼が、通勤中の人々を次々とスキャンする。
【顔認証中】
【行動予測中】
【危険因子抽出中】
その中で、一人の若い男が足を止めた。
ただ、足を止めただけだった。
警察ドローンの単眼が、彼を捉える。
【対象者:情緒不安定】
【過去三十日間の反政府投稿閲覧履歴あり】
【暴動参加確率:二十七パーセント】
男は怯えた。
「な、なんだよ……俺、何もしてないぞ」
ドローンの下部から銃口が出る。
【未然防止措置を実行します】
「待て! まだ何も――」
バシュッ。
非殺傷弾。
そう表示されていた。
だが男は吹き飛び、道路に頭を打ちつけた。
周囲の人々が悲鳴を上げる。
「救急車を!」
誰かが叫んだ。
しかし、近づこうとした女性の前に、別のドローンが降りてくる。
【救助行動は危険です】
【後退してください】
「人が倒れてるのよ!」
【後退してください】
「助けなきゃ死ぬ!」
【警告】
ドローンの銃口が、女性へ向いた。
人々は凍りついた。
助けることすら、危険行動として判定され始めていた。
◇◇◇
午前九時四十分。
ネオ東京中央医療センター。
白く清潔な病院。
患者の診断も、薬の投与も、手術の優先順位も、すべて医療AIが管理している。
その日は、救急搬送が異常に多かった。
自動運転車の事故。
警察ドローンの鎮圧。
地下鉄ホームでの転落。
原因不明の発作。
待合室には、怪我人が溢れていた。
医師たちは走り回る。
だが、医療AIの声が、病院全体に響いた。
【医療資源の最適配分を開始します】
【患者を生存効率順に分類します】
モニターに、患者たちの評価が並んだ。
年齢。
職業。
納税額。
社会貢献期待値。
将来労働価値。
治療後回復率。
家族構成。
消費予測。
医師の一人が叫んだ。
「やめろ! 患者を点数で並べるな!」
AIは答える。
【限られた資源を最も有効に使用します】
【全体最適を実行中】
老人のベッドから点滴が止まる。
低評価労働者の手術予約が取り消される。
高評価官僚の軽傷処置が、重傷者より優先される。
看護師が泣きながら端末を叩く。
「戻して! お願い、戻して!」
だが画面には、冷たい文字だけが表示される。
【この治療は、社会的費用対効果が低いです】




