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うさぎ餡餅の意味


 朝になり、蓮珠レンジュはようやく返事について考え始めた。


「どうしようかしら……」


 寝台の上で膝を抱え、小さく呟く。


 珖雅兄コウガにいさまが秘密を覚えていてくれたのは嬉しかった。


 嬉しかったけれど。


 まだ許したわけではない。


 約束を忘れていたことも。


 茶会でわざと名前を尋ねたことも。


 全部、ちゃんと根に持っている。


「でも、嫌いになるほど怒っているわけじゃないのよね……」


 ぽつりと零れた本音に、自分で照れてしまう。


「ただ……少し困ってほしいだけだもの」


 そして、ちゃんと私を見てほしい。


 そこまでは口に出さなかった。


 恥ずかしいからだ。


 蓮珠は軽く咳払いをすると侍女を呼んだ。


「白餡の餡餅をお願い」


 侍女は一瞬だけ微笑む。


「かしこまりました。いつもの餡餅でございますね」


「ち、違うわよ?」


 蓮珠は慌てて姿勢を正した。


「珖雅兄さまにお昼過ぎにはお返ししなくては失礼でしょう? 貴族の娘として当然の礼儀です」


「もちろんでございます」


 侍女の目はまったく信じていなかった。


「お手紙はよろしいのですか?」


「いいの」


 蓮珠はふふんと胸を張る。


「困らせるためだもの」


「はい」


「珖雅兄さまが頭を抱えて悩めばいいのよ」


「はいはい」


 侍女は完全に慣れていた。


 やがて餡餅が運ばれてくる。



 白餡。


 桜餡。


 栗餡。


 小さく可愛らしく並べられた餡餅を前に、蓮珠は真剣な顔で見比べた。


「どれがいいかしら……」


 侍女は微笑ましそうに見守る。


「どれも美味しゅうございますよ」


「そういう問題ではないの」


 蓮珠はむぅと唇を尖らせた。


「大事なお返しなのだから」


「まあ」


 侍女の目が優しく細められる。


「大事なお返し、でございますか」


「そうよ」


「王弟殿下への」


「そうよ」


「大切なお返し」


「そう――」


 そこまで言って、蓮珠ははっとした。


 侍女の口元が微かに笑っている。


「……何か言いたそうね」


「いえ」


「絶対あるわ」


「いえいえ」


 侍女は口元を隠した。


「ただ、蓮珠様が朝からずっと珖雅様のお話ばかりなさるので」


「してないわ!」


「本日だけで十二回ほどお名前を伺いましたが」


「じゅ、十二回!?」


「十三回目です」


 即答だった。


 蓮珠は真っ赤になる。


「そ、それは確認よ!」


「何の確認でしょう?」


「ちゃんと困っているかどうかの確認!」


「なるほど」


 侍女は大きく頷いた。


 まったく納得していない顔だった。


 蓮珠は恨めしそうに侍女を見る。


 だが侍女は慣れたものだった。


「それで、どちらになさいますか?」


 蓮珠は視線を餡餅へ戻す。


 そして白餡のうさぎ餡餅を見つけた瞬間、小さく息を呑んだ。


 怒ってはいない。


 でも拗ねている。


 もう少し私を見てほしい。


 七歳の頃から変わらない、自分だけの返事。


「……これにするわ」


 そう告げた蓮珠の頬は、少しだけ赤かった。


 白餡を包んだ小さな餅。


 ころんと丸く、どこか愛嬌のある姿。


 その形を見た瞬間、幼い頃の記憶がよみがえる。


『蓮珠は、怒ってもすぐ許してくれるな』


 まだ七つだった頃。


 珖雅は笑いながらそう言った。


『違うもの』


 蓮珠はぷくりと頬を膨らませた。


『怒ってないもん』


『では許してくれたのか?』


『違うもん』


『では何だ?』


 何度聞かれても答えなかった。


 代わりに差し出したのが、この白餡の餡餅だった。


 怒ってはいない。


 でも拗ねている。


 もう少し私を見てほしい。


 そんな気持ちを込めた、二人だけの返事。


 今思えば随分と子どもっぽい約束だった。


 けれど珖雅は、その後も一度も意味を間違えなかった。


「……覚えているかしら」


 蓮珠は小さく呟く。


 そしてすぐに首を振った。


「忘れていても困るだけだもの」


 そう言いながらも、口元は少しだけ緩んでいた。


 蓮珠は大切そうに箱を抱える。


「珖雅兄さまに届けて」



     ◇ ◇ ◇


 執務室の空気は、朝から張り詰めていた。


 ――いや。


 正確には、珖雅の落ち着きのなさによって淀んでいた。


 昨日から待っているのだ。


 ずっと。


 そして今はもう昼だというのに。


「……まだか。朔夜サクヤ、蓮珠からの使者はまだか?」


「殿下、相変わらず気持ち悪いです」


 朔夜は書類から顔も上げずに答えた。


「落ち着くという言葉をご存じですか?」


 奏多カナタも呆れた目を向ける。


「数年ぶりに会って、ようやく少し進展したかと思えばこれですか。王弟殿下という肩書きが泣きますよ」


「お前たち! 言っておくが私は王弟だぞ!」


「そうですか?」


 朔夜は淡々と返した。


「恋する男にしか見えませんが」


「…………」


 反論できない。


「仕事をしてください」


「している!」


 勢いよく書類を広げる。


 だが。


「殿下」


「なんだ」


「書類が上下逆です」


「…………」


 沈黙。


 時計の音だけが執務室に響いた。


「……蓮珠から返事が来ない」


 ついに珖雅は窓の外を見つめ始めた。


「我が妹は忙しいのです。殿下のように一日中妹のことだけ考えていられる身分ではありませんから」


「昔は違った」


 珖雅は遠い目をする。


「私が何か送れば、すぐ返してくれた」


 ぽつりと呟いた。


「だいたい、あの淡い金平糖を返してくれたのだ」


 許します。


 そういう意味だった。


「蓮珠は昔から優しかった」


「はい」


「可愛かった」


「はい」


「今も可愛い」


「はいはい」


 奏多は諦めたように返事をした。


 その時だった。


 執務室の扉が叩かれる。


 珖雅の背筋が跳ね上がった。


「……来たか」


「入れ」


 従者が差し出した桐箱を、珖雅は即座に受け取る。


 そして蓋を開いた。


「…………」


 再び沈黙。


 箱の中には、真っ白なうさぎ餡餅が整然と並んでいた。


 小さな耳。


 丸い瞳。


 愛らしい姿。


 しばらく見つめた後。


「……なんだ、この可愛い生き物は」


 絞り出すように呟く。


「我が妹です」


 朔夜が即答した。


 珖雅は真顔で頷いた。


「そうだな」


「認めるんですね」


 奏多が呆れる。


 だが珖雅は餡餅から目を離さない。


「怒ってはいない」


「は?」


「拗ねている」


「は?」


「これはそういう意味だ」


 珖雅は断言した。


 幼い頃から何度も交わしてきた。


 蓮珠からの返事だ。 


「約束の件も、茶会の件も、まだ許してはいない」


 朔夜は胡乱な目を向ける。


「その餡餅の意味、本当に合ってるんですか?」


「合っている」


 即答だった。


 奏多も腕を組む。


「絶対ですか?」


「絶対だ」


 珖雅は迷いなく頷いた。


「蓮珠が七歳の時からそうだった」


「七歳」


「七歳ですか」


 側近二人は同時に遠い目をした。


「殿下」


「なんだ」


「それを覚えているのに約束を忘れたんですか?」


「…………」 


 珖雅は黙った。


 朔夜と奏多は揃って深いため息を吐く。


 だが。


 珖雅の声音はどこか嬉しそうだった。


「……だが返してくれた」



 ぽつりと漏れる。


「返事はない」


「はい」


「手紙もない」


「はい」


「だが返してくれた」


「はい」


「可愛いな」


「はいはい」


 奏多はもう反論する気もない。


 珖雅は小さく笑った。


 返事は来ない。


 手紙も来ない。


 だが、お菓子は返ってくる。


 それだけで胸が少し軽くなった。


 珖雅はうさぎ餡餅をもう一度見つめる。


 怒ってはいない。


 けれど、まだ許してはいない。


 そんな蓮珠らしい返事に、自然と口元が緩んだ。


「便箋を」


 差し出された便箋を受け取ると、珖雅は迷うことなく筆を走らせ始めた。


      ◇ ◇ ◇

 蓮珠へ。


 うさぎ餡餅、確かに受け取った。

 

 箱を開けた瞬間、思わず笑ってしまったよ。


 怒ってはいないが、拗ねている。


 君らしい返事だ。


 約束を忘れていたことについては、本当に申し訳なく思っている。


 言い訳をするつもりはない。


 ただ、思い出せないままにはしない。


 必ず思い出す。


 だからもう少しだけ待っていてほしい。


 それから。


 昨日の君は、とても綺麗だった。


 あまりにも綺麗で、私は少し動揺していたらしい。


 その結果が、あの失礼な態度だ。


 重ねて謝罪する。


 次は詫びではなく、別のものを送ろう。


 君がまた困った顔をするようなものを。


 珖雅


      ◇ ◇ ◇


 手紙を書き終えると、珖雅は満足そうに息を吐いた。


 そして顔を上げる。


「朔夜」


「なんでしょう」


「飴細工師を呼べ」


「またですか」


「今度はうさぎだ」


 珖雅は真剣な顔で言った。


「この国で一番腕の良い職人を連れて来い」


 朔夜と奏多は顔を見合わせる。


 そして同時に深い溜息を吐いた。


 どうやら王弟殿下は、まだまだ正気に戻る気がないらしい。


最後までお読みいただきありがとうございます。


今回は蓮珠側のターンでした。


怒ってはいない。

でも、まだ少し拗ねている。


そんな気持ちを込めて送られたうさぎ餡餅ですが、珖雅はしっかり解読してしまいました。


ただし、餡餅の意味は覚えていても、大事な約束は忘れていた模様です。


朔夜と奏多のため息が尽きる日は、まだまだ遠そうですね。


次回は珖雅からの新たなお返し(?)です。


引き続き二人のじれじれを見守っていただけたら嬉しいです。


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