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花だらけの謝罪状

 

 茶会の会場は、珖雅コウガにとって地獄そのものだった。


 高官たちの媚びた笑い声。


 令嬢たちの押しつけがましい香粉の匂い。


 誰も彼もが、王弟の帰還を祝う顔をしながら、その実、婚姻や後ろ盾や派閥の思惑をちらつかせてくる。


 だが、それらすべてを霞ませるほど、珖雅の意識は会場の隅――蓮珠レンジュの動向に釘付けになっていた。


 蓮珠は、笑っていた。


 乃蒼ノアと楽しげに言葉を交わし、中立派の娘たちに囲まれた円の中で、花のように咲いている。


 珖雅は王弟としての仮面を貼りつけ、優雅に茶を啜るふりをしながら、視線の端で常に彼女を追っていた。


 中立派の令嬢たちは、珖雅を婚姻の相手とは見ていない。


 だからこそ、彼女たちはこの場で自由に笑える。


 それは分かっている。


 分かっているのに、胸の奥では言いようのない焦燥が渦巻いていた。


 自分以外の誰かと楽しげに話す姿。


 自分の方を一切見ようとしない毅然とした背中。


 あの東屋で「困ればいいんだわ」と言い残した少女は、どうやら本気で珖雅を困らせるつもりらしい。


(蓮珠。私を困らせるのが、そんなに楽しいか)


 やがて茶会は終わりの時を迎えた。


 王弟である珖雅は、参加者たちに先んじて会場を後にする。


 最後に振り返れば、蓮珠は他の令嬢たちと共に優雅な礼を取っていた。


 その姿は完璧だった。


 完璧すぎるほどに。


 こちらを見ようともしないことも含めて。


 会場を後にした珖雅は、即座に執務室へと向かった。


 王弟としての余裕など、とうに崩れ去っている。


「……執務室に戻る。誰であろうと通すな」


 側近二人を置いてけぼりにする勢いで執務室へ戻ると、珖雅は乱暴に紙を広げ、筆を執った。


 今の感情を、言葉を、蓮珠に届けなければ気が済まない。


 いや、届けなければ、この胸の内で何かが破裂する。


     ◇ ◇ ◇


 蓮珠へ。


 今日の君は、ひどく美しかった。


 そして、ひどく私を困らせた。


 君は中立派の令嬢たちの中心で楽しげに笑い、私には一瞥もくれなかった。


 あの東屋で、私に向かって「困ればいい」と言った言葉を、どうやら本気で実行するつもりらしい。


 困っている。


 実に困っている。


 君が笑えば、なぜ私の前ではないのかと思う。


 君が背を向ければ、なぜこちらを見ないのかと思う。


 君が冷たくすれば、幼い頃のように名を呼ばせたくなる。


 そして、君が最後に見せたあの「べぇー」は、私の理性を乱すには十分すぎた。


 約束を思い出せなかったことは、私の落ち度だ。


 言い訳はしない。


 ただ、忘れたままで済ませるつもりもない。


 必ず思い出す。


 だから、それまで少しだけ猶予をくれ。


 この菓子は、そのための詫びだ。


 君のその冷ややかな瞳で、とくと検分してほしい。


 珖雅


     ◇ ◇ ◇


 書き終えた瞬間、珖雅は深く息を吐いた。


 だが、息は整わない。


 胸の奥がまだ熱い。


「……朔夜サクヤ奏多カナタ


 呼びつけられた側近二人は、机の上に置かれた封書と木箱を見て、そろって沈黙した。


「これを届けろ。あわせて、この落雁も」


 木箱の中には、純白と淡紅の落雁が敷き詰められていた。


 ただの落雁ではない。


 その表面には、これでもかというほど精密に、そして執拗なまでに、無数の花が彫り込まれている。


 小さな花。


 重なる花弁。


 箱の隅から隅まで、逃げ場のないほど咲き誇る花々。


 それは、先ほど東屋で蓮珠に見せた王弟としての冷徹な仮面の下にある、全面降伏の意思表示だった。


 朔夜は木箱を見下ろし、疲れた顔で呟く。


「……またですか」


「花の数が多くないですか?」


 奏多も呆れたように続けた。


「他のはいいんですか?」


「いいんだ。花がないと今回は話にならない」


 珖雅は真顔で断言した。


「早く行け。蓮珠が邸に戻る前に、その手元へ」


「妹に妙な手紙を送りつけないでいただきたいのですが」


「兄として検閲します?」


「読んだら蓮珠に怒られるので嫌です」


「では行け」


 朔夜と奏多は顔を見合わせ、深々と溜息をついた。


 そして封書と木箱を手に執務室を出ていく。


 扉が閉まった瞬間、珖雅は窓際へ歩いた。


 自分の心臓が、情けないほど早鐘を打っている。


 蓮珠は、あの花をどう受け取るだろう。


 手紙を読んで怒るだろうか。


 呆れるだろうか。


 それとも、少しは笑ってくれるだろうか。


「ああ……蓮珠。君は今、何を思っている」


 珖雅は机に戻ると、そのまま突っ伏した。


 王弟としては、あまりにも情けない姿だった。


 だが今の彼には、王弟の威厳よりも、蓮珠からの返事の方がよほど重大だった。


     ◇ ◇ ◇


 邸の自室に戻り、扉を閉め切った蓮珠は、朔夜兄サクヤにいさまから渡された包みを恐る恐る膝の上に置いた。


 重みのある木箱。


 そして、雅やかな香がほのかに移った封書。


 珖雅兄コウガにいさま。


 あの冷たい王弟の仮面を被っていた人が、戻ってきてすぐに手紙を寄越すなんて。


 蓮珠は震える指先で封を切った。


 そこには、公務の合間に書かれたのであろう、彼特有の整った筆致が並んでいた。


 けれど、文字の端々には隠しきれない必死さが滲んでいる。


『今日の君は、ひどく美しかった』


『困っている。実に困っている』


『あの「べぇー」は、私の理性を乱すには十分すぎた』


 読み進めるごとに、蓮珠の耳元まで熱くなっていった。


「……もう、ばか」


 蓮珠は手紙を握りしめ、両手で顔を覆った。


 外での強気な態度など、今やどこへやら。


 彼は王弟としてあんなに冷たく私をあしらったくせに。


 執務室へ戻れば、こんなにも正直に縋ってくる。


 それが悔しい。


 とても悔しい。


 だって、嬉しいと思ってしまうから。


 蓮珠は深呼吸をひとつした。


 逃げたら負けだ。


 大人の女性として、珖雅兄さまを手のひらで転がすと決めたのだから。


 気を取り直すように、蓮珠は木箱の蓋へ手をかけた。


 そして、ゆっくりと開く。


「……」


 中には、淡い色彩の落雁が、まるで花畑のように隙間なく敷き詰められていた。


 一輪。


 二輪。


 三輪。


 数える気も失せるほど、花、花、花。


 蓮珠はしばらく黙り込んだあと、ぽつりと呟いた。


「……花、多すぎでしょう」


 落雁の詫び。


 無数の花。


 つまり、かなり反省している。


 いや、反省しすぎている。


「珖雅兄さま……本当にばか……」


 蓮珠は箱を抱きしめ、またしても両手で顔を覆った。


 嬉しい。


 でも悔しい。


 こんなにも愛されていると確信させられるのが、たまらなく恥ずかしい。


 それなのに、心臓の奥はくすぐったいほど温かい。


 彼は今、執務室でどんな顔をして返事を待っているのだろう。


 きっと気になって仕方がないに決まっている。


 蓮珠は鏡の前に座り、紅を少し引き直した。


 まだ返事は送らない。


 今日一日、彼をじれったいほど不安に追い込んでこそ自分の勝ちだ。


「……明日まで、待たせてあげましょう。珖雅兄さまも困ればいいんだわ」


 そう呟く蓮珠の瞳には、かつてないほど小悪魔めいた光が宿っていた。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


約束を忘れた珖雅による全力の謝罪でした。


しかし蓮珠は、すぐには返事を返さないようです。


困っている王弟と、少しだけ楽しそうな幼馴染。


次回は蓮珠からの返礼になります。


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