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うさぎ餡餅と、まだ怖い金平糖

 蓮珠レンジュの震える指先が、赤いリボンに結ばれた銀の鈴をなぞった。


 ちりん、と小さく鳴った音が、静かな部屋の中に澄んで響く。


 その音は、数年前のあの日を、鮮明に呼び覚ました。


 庭の木陰。

 まだ今より幼かった珖雅コウガが、ひどく真剣な顔で、それでもどこか照れたように告げた言葉。


『十六になったら、迎えに行く』


 あの時の声が、今でも耳の奥に残っている。


「……っ」


 赤いリボンと、約束の鈴。


 蓮珠は胸元を押さえた。


 忘れていたのではない。


 少なくとも、思い出そうとしてくれた。


 自分が隠した問いに、ちゃんと辿り着いてくれた。


 それが分かっただけで、ずっと張り詰めていた心の奥が、少しだけほどけていく。


 蓮珠は、高鳴る鼓動を抑えきれずに、震える手で封書を切り開いた。


 そこには、王弟としてではなく、一人の男としての珖雅の言葉が綴られていた。


 遅すぎた気づきへの謝罪。


 幼い頃の約束を盾にしないという誓い。


 そして、今の蓮珠を見た上で、それでも望んでいるという言葉。


 読み進めるほど、胸の奥が熱くなった。


 こみ上げてくるものを堪えきれず、蓮珠は唇を噛む。


「……珖雅兄さま」


 声にした瞬間、視界が少しだけ滲んだ。


 手紙を机に置き、蓮珠は最後の箱を開ける。


 そこに収められていたのは、繊細な飴細工だった。


 愛らしいうさぎが、まだ開かぬ蕾にそっと寄り添っている。


 咲けと急かすのではなく。


 咲くまで待つと、伝えるように。


 それは、珖雅らしい不器用さと、今度こそ順番を間違えまいとする誠実さが込められた贈り物だった。


「……反則です」


 蓮珠は、その場に崩れるようにソファへ腰を落とした。


 あんなに意地悪をして困らせてやろうと思っていたのに。


 蜂蜜漬けの木ノ実で悩ませて、鈴で気づかせて、それでも簡単には教えてあげないつもりだったのに。


 噂の恋人のことだって、まだ胸に引っかかっている。


 それなのに、珖雅は彼女の矜持も、駆け引きも、全部分かった上で、正面から言葉を差し出してきた。


「もう……ずるい。こんなの、許さないわけにいかないじゃない……」


 蓮珠は、飴細工のうさぎをそっと指先でなぞった。


 彼がどんな顔で言葉を選んだのか。


 何度迷い、何度書き直し、どれほど情けない顔で側近たちに叱られたのか。


 想像するだけで、愛おしくて、少し笑えて、胸が締めつけられる。


 蓮珠は手紙を胸に抱きしめ、もう一度、鈴を鳴らした。


 ちりん。


 その音色は、珖雅に届くことはない。


 けれど、蓮珠の返事そのものだった。


「待っていてくださいね、兄さま」


 蓮珠は涙を指先で拭い、毅然と顔を上げる。


「……次は、私の番です」


 もう、蜂蜜漬けでただ焦らす段階は終わった。


 けれど、すべてを許したわけではない。


 嬉しかった。


 覚えていてくれたことも、思い出そうとしてくれたことも、今の自分を見ていると言ってくれたことも。


 けれど、怖さも残っている。


 数年の空白は、手紙一通でなかったことにはならない。


 噂の恋人のことも、まだ心に刺さったままだ。


 だからこそ、今度は自分の言葉で返す。


 嬉しかったこと。


 怖かったこと。


 待っていたこと。


 そして、まだ少しだけ信じきれずにいること。


 蓮珠は机に向かい、便箋を広げた。


  けれど、すぐには筆を取れなかった。


 何を書けばいいのかは、分かっている。


 嬉しかった。


 怖かった。


 待っていた。


 信じたい。


 けれど、そのどれもが胸の中で絡まり合って、簡単には言葉にならなかった。


 蓮珠は、赤いリボンに結ばれた銀の鈴へ視線を落とす。


 ちりん、と鳴らせば、あの日の約束が戻ってくる。


 けれど、あの日のままではいられない。


 蓮珠はもう、ただ迎えに来てもらうだけの幼い少女ではなかった。


 中立派の筆頭として立つ自分もいる。


 珖雅を好きで、ずっと待っていた自分もいる。


 噂の恋人の存在に傷つき、それでも気づかないふりをしていた自分もいる。


 そのどれもが、今の蓮珠だった。


「……全部、書いてもいいのかしら」


 ぽつりと呟く。


 弱いところも。


 意地悪をしたことも。


 まだ怖いと思っていることも。


 もしそれを珖雅が受け止めてくれなかったら、今度こそ逃げ場がなくなる。


 けれど、彼は手紙に書いてくれた。


 今度こそ、言葉で、と。


 ならば、自分も言葉にしなければならない。


 蓮珠は小さく息を吸い、ようやく筆を取った。


 添える菓子も、もう決めている。


 うさぎの餡餅。


 そして、金平糖。


 金平糖は、幼い頃からずっと変わらない意味を持つ菓子だった。


 許します。


 けれど、今の蓮珠が込めるのは、それだけではない。


 信じたい。


 でも、まだ怖い。


 許したい。


 けれど、ちゃんと向き合ってほしい。


 そんな複雑な想いを、蓮珠は一文字ずつ、丁寧に綴り始めた。


    ◇ ◇ ◇

 

 珖雅兄さまへ。


 お手紙と、赤いリボンと鈴、そして飴細工を受け取りました。


 兄さまが約束を思い出してくれたこと、とても嬉しかったです。


 でも、正直に言うと、私はもう兄さまのお気持ちはないのだと思っていました。


 あの約束は、子どもの頃の約束だったのだと。


 兄さまにとっては、もう思い出さなくてもいいものになってしまったのだと。


 そう思おうとしていました。


 それでも、待っている間は、少しだけ怖かったです。


 私だけが覚えていて、私だけが大切にしていて、兄さまはもう前へ進んでしまったのではないかと、何度も思いました。


 だから、覚えていてくれたことが、とても嬉しいです。


 思い出そうとしてくれたことも、嬉しいです。


 でも、私はまだ少し怖いです。


 兄さまの言葉を信じたい。


 けれど、今度こそ本当に信じていいのか、ちゃんと確かめたい。


 だから、会って話したいです。


 今度こそ、暗号ではなく、言葉で。


 今回は、うさぎの餡餅と金平糖を添えます。


 意味は、兄さまなら分かってくれると信じています。

 

 蓮珠

    ◇ ◇ ◇


 書き終えた蓮珠は、しばらく便箋を見つめた。


 これでよかったのだろうか。


 素直すぎただろうか。


 それとも、まだ意地を張りすぎているだろうか。


 迷いは尽きない。


 けれど、これが今の蓮珠の本心だった。


 蓮珠は封をし、うさぎの餡餅と金平糖を丁寧に箱へ詰めた。


 そして、小さく笑う。


     ◇ ◇ ◇


 珖雅の手元に、蓮珠からの返事が届いた。


 封を切る前の指先が、わずかに震える。


 先ほど自分が送った手紙の重さを思い返し、今度は自分が試される番なのだと、珖雅は深く呼吸を整えた。


 開いた便箋には、蓮珠の整った、けれどどこか揺らぎを感じさせる筆跡で、正直な胸の内が綴られていた。


『兄さまのお気持ちはないのだと思っていました』


『子どもの頃の約束だったのだと』


 その言葉が、珖雅の胸を鋭く切り裂く。


 自分が王弟としての立場や、多忙さを理由にしている間に、蓮珠はどれほどの孤独を抱え、どれほどの諦めを自分に言い聞かせてきたのか。


「怖い」という彼女の言葉は、珖雅の未熟さに対する、当然の報いだった。


 しかし、同時に添えられた一文が、彼の心に再び熱を灯す。


『覚えていてくれたことが、とても嬉しいです』


 珖雅は手紙を何度も読み返し、最後の一文に目を落とした。


『今回は、うさぎの餡餅と金平糖を添えます』


 箱を開けると、そこには愛らしいうさぎの餡餅と、淡く輝く金平糖が詰められていた。


 うさぎ。


 そして、金平糖。


 珖雅は息を呑む。


 金平糖は、かつて蓮珠が「許します」の印として珖雅に贈っていたものだ。


 だが、今の蓮珠が込めた意味は、きっとそれだけではない。


 許したい。


 信じたい。


 けれど、まだ怖い。


 彼女は、まだ完全に扉を開け放ったわけではない。


 珖雅が「兄」としてではなく、「一人の男」としてどれほどの誠意を持って彼女の前に立てるのか。


 その覚悟を、静かに問うている。


 珖雅は机に突っ伏したい衝動をこらえ、その箱を愛おしげに引き寄せた。


「……可愛い」


 低く漏れた声に、側にいた奏多が顔を上げる。


「今、その感想ですか」


「……可愛いものは可愛い」


「否定はしませんが、今はもう少し真面目に受け止めてください」


「受け止めている」


 珖雅は金平糖を一つ、指先で摘まみ上げた。


「怖い、か」


 彼の声が静かに落ちる。


「……ああ、そうだ。私は君をこれほど待たせ、不安にさせた。恐れられて当然だ」


「だが、待っているだけではいられないな」


 朔夜の目が鋭くなる。


「殿下」


「分かっている」


 珖雅は、手の中の金平糖を見つめた。


「迎えに行くのではない。まずは、あの子の怖さを聞きに行く」


 奏多が、わずかに目を細める。


「ようやく手順を覚えましたね」


「遅すぎるがな」


「ええ。遅すぎます」


「そこは否定しろ」


「事実ですので」


 珖雅は苦笑した。


 だが、視線は逸らさない。


「それでも行く。あの子が怖いと言うなら、その怖さごと受け止める。嬉しいと言ってくれたなら、その言葉に甘えず、もう一度信じてもらえるように言葉を尽くす」


「今度は、手紙や暗号ではなく、私の声で伝える」


 朔夜はしばし沈黙したあと、小さく息を吐いた。


「……それなら、止めません」


 奏多も満足げに頷く。


「では、そのポンコツな愛情を、今度こそ順番を間違えずに伝えてきてください」


「最後まで余計だ」


「必要な確認です」


 珖雅は笑った。


 もう、逃げも隠れもしない。


 ただ、明日、蓮珠の前に立った時、自分がどこまで言葉を尽くせるのか。


 それだけが、今の珖雅にとって唯一の、そして最大の試練だった。


最後までお読みいただきありがとうございました!


今回は、珖雅の手紙を受け取った蓮珠と、その返事を受け取った珖雅の回でした。


蓮珠にとって、約束を思い出してくれたことは嬉しい。

でも、数年の空白や噂の恋人のことが、すぐに消えるわけではありません。


だからこその、うさぎ餡餅と金平糖でした。


「許したい」

「信じたい」

「でも、まだ少し怖い」


そんな蓮珠の気持ちを、珖雅がどう受け止めるのか。

次回は、いよいよ二人が言葉で向き合う予定です。


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