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ホールスタッフが異世界で『ファイア』の号令ひとつで世界を救い帰還する話  作者: もしものべりすと


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第四章 コース料理のように、戦は流れる

翌日の朝、俺は指揮所の天幕の中に座っていた。

 天幕の布の隙間から、外の冬の光が細い帯になって差し込んでいた。地面に敷かれた茣蓙は湿っていて、踏むたびに微かな草の匂いがした。目の前には地図と、駒と、震える手をした若い伝令兵が三人。三人の顔つきは、まだ大人になりきっていなかった。一番若い者は、十六か十七に見えた。


 俺は、いつもの呼吸をした。

 昼のディナータイムが始まる前の、深い一呼吸。あの呼吸の癖が、ここでも俺の身体に染みついていた。鼻から息を入れる。腹の底まで落とす。それから口から、ゆっくり吐く。三秒、五秒、八秒。

 頭の中に、店のコース表を広げた。コースは、客の感情の起伏を時間で組んだ設計図だ。料理が出る順番には意味がある。順番を間違えると、客は最後の一皿に辿り着く前に、心の方が満腹になってしまう。


「アミューズ。最初に出すのは、軽い一皿だ」

 俺は伝令の一人に、白い駒を一つ指した。

「東の森の入り口に、小隊を一つ。敵に見える位置で動け。攻めなくていい。動くだけだ」


「は、はい!」

 声が裏返っていた。彼の額に、すでに汗が一筋流れている。


「前菜。次に温度を変える」

 もう一人に、別の駒を渡した。

「西の高台に、弓兵を半個小隊。射程の外から、ただ矢をひとつかみ落とせ。当たらなくていい」


「主菜。ここで本気を出す」

 最後の伝令に、白い駒を二つ。

「敵が東に押した瞬間、騎兵を北の側面に。クラドック卿、号令を頼みます」


 白髭の老騎士は、しばし俺を見つめた。

 唇の端を、ほんの少しだけ持ち上げた。それは八年間でただ一度も俺に向けられたことのない種類の笑みだった。

「『主菜』とは、いい言い方をする」

「俺の世界では、こう数えるんです」


「そして、最後は」

「デセール。退却する敵に追撃はしません。最後に一杯の水を出すように、見送る」

「殺さないのか」

「殺さないと勝てない時は、殺します。今日はそうじゃない」


 戦は、コース通りに流れた。


 東の森でちらつく小隊に、敵は本隊を割いた。森の中で、一瞬だけ、遠い剣戟の音が混じった。

 西から落ちた矢の音に、敵は伏せた。矢の風切り音、それに続く石壁に当たる音、そして敵の指揮官の短い叫び。

 その隙に、北の側面から、クラドック卿の騎兵が突っ込んだ。雪崩のように敵列が崩れた。馬蹄の音が、地面を伝って、俺の足の裏まで届いた。


 砦の壁の上で、若い従騎士が呟いた。

「……あれは、戦じゃない」

 隣の弓兵が、低い声で答えた。

「いや、戦だ。だが、こんな戦は見たことがない」


 戦が終わったのは、昼を過ぎてすぐだった。

 俺は天幕の外に出た。冬の太陽が、思っていたより高い場所にあった。光の中に、薄い砂塵が混じって見えた。

 敵の死体は、想像より少なかった。

 味方の死体も、想像より少なかった。


 クラドック卿が、俺の前に立った。

 白髭の下で、唇が震えていた。それは六十を過ぎた男が、自分より若い者の前で晒すには、あまりに無防備な震えだった。


「貴公は、何者だ」

「ホールスタッフです」

「我が国にその役職はない」

「俺の世界にしか、ない仕事です」


 老騎士は、長い沈黙のあと、片膝をついた。

 甲冑の音が、地面に重く落ちた。それは儀礼の音であると同時に、彼自身の三十年の戦歴を、目の前の若い男に預ける音でもあった。


「軍師殿。失礼ながら、これより先、貴公の指示にすべて従う」


 俺は慌てた。頭を上げてくださいと言いそうになって、言葉を呑んだ。

 彼が頭を下げているのは、たぶん俺じゃない。彼が今日見たものに、頭を下げているのだ。八年間、誰も俺に頭を下げなかった理由が、今わかった気がした。俺は、これまで何も「見せて」こなかったのだ。

 見せる、という動詞を、俺は八年間ずっと避けてきた。客の卓に料理を出す動作の中にも、見せる、はある。皿を置く角度。グラスを置く位置。下げ皿のタイミング。それぞれの動作の中に、ホールが「見せたい」と思う何かがあるはずだった。けれども俺は、八年間、ただ皿を運ぶだけのつもりで運んでいた。見せたい何かを、自分の中に持つのが、怖かったからだ。

 今日、俺は初めて、何かを見せた。コース表という設計図を、戦場という客の前に出した。それを見た者の一人が、こうして膝をついている。俺は急に、自分が見せたものの重さに、軽い眩暈を感じた。


「卿、頭を上げてください」

 俺はようやく言った。声は思っていたより低かった。

「貴公がそう言うなら」

 彼はゆっくりと立ち上がった。立ち上がる時、左の膝の関節が小さく鳴った。三十年の戦の、関節の音だった。

「だが私の中では、もう貴公の指示に従うと決めた。それは取り消さぬ」

「畏まりました」

 畏まりました、と俺は言った。八年間、客の前で何度も使ってきた言葉。けれども今夜の「畏まりました」は、いつもと違う重みを持っていた。それを口にした俺の唇の動きが、自分でも、わずかに違う形をしていた。


 その夜、俺は砦の物見台で月を見ていた。

 日本の月と同じ形をしている、と思った。ただ、色がほんの少し赤い。空気の含む湿度が違うのか、月そのものが違うのかは、わからない。


 アルメリアが隣に来た。彼女は鎧を脱いでいた。亜麻の上衣の襟元から、白い肌が薄く覗いていた。

「王都から招集が来た」

「俺をですか」

「貴方を、だ。陛下がお会いしたいと」


 彼女は声の高さを変えずに続けた。

「もう一人、貴方と同じ世界から来た者がいるそうだ」


 俺の手の中で、メモのページが、ぱさりと音を立てた。

 俺の知っている世界から、もう一人。厭な予感がした。そしてその予感は、うっすらと顔の輪郭まで持っていた。


「名前は」

「軍師ヘネラル。魔王軍の客将を、名乗っているらしい」

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