26.グランディークの裁断
ザックはアレクの姿を認めると、エルマを背負ったまま再び弾かれたように駆けだした。
恰好わるくたっていい。アレクが群衆を抑え込んでいる間に、少しでも安全な場所へ移送する。それがいまここでのザックの、副長の役割である。
遠ざかるザックの背中に少しだけ笑みを浮かべ、アレクは頭砕きを闘技場の石畳へと轟音と共に突き刺した。
「先ずは、お前らの英雄をこのまま地に伏せておくことが問題なんじゃねぇのか!?」
その言葉に数人がハッと我に返り、武器を下げてグランディークの巨体を運ぼうと動き出す。
「アレク。加勢するぜ」
群衆を掻き分けて歩み出てきたのは、分厚い胸板を持つ筋骨隆々の男――酒場でアレクの強烈な一撃に沈められた傭兵、ハウザーだった。
その後ろには、傭兵ギルドで顔を合わせた腕利きの荒くれ者たちの姿もちらほらと見受けられる。アレクは気配でそれを理解し、やはり、この国はいいなと心の底から思うのだった。
「俺はハウザーだ! お前らは見たことあるか! グランディークの御大があんなに嬉しそうに戦う姿を! 全力で闘える喜びを共感できねぇやつは、この闘技場、いや、エルドラドにはいねぇはずだ!」
ハウザーの魂を震わせるような叫びが、闘技場に木霊する。
その声は、暴徒と化しかけていた観衆の胸の内にある『戦士としての誇り』を、強烈に揺さぶり起こす。
「わからんのか! 全力とは比類するものが対峙して初めて出せるもの! つまり、あの女はグランディークに比肩するものだ! 英雄だ! 戦士として正面から戦った者を讃えこそすれ、殺すことは大罪と同義だ!」
ハウザーは見渡す。そして、一拍置いて続けた。
「……あんなすげぇ闘いみて、心躍らないやつは居たか?」
静寂が辺りを包む。しばらくして誰かが声を上げた。
「居ねぇ! 居る訳ねぇ! あの嬢ちゃん、いや、あの戦士は勇敢だった!」
「ものすげぇ強かったぞ!」
「見たことねぇ!」
一人、また一人と上がる声は、瞬く間に闘技場全体を包み込む巨大なうねりへと変わっていく。
殺意は消え去り、そこを満たしたのは、修羅の国の王と対等に渡り合った美しき戦士に対する、心からの熱狂と称賛の嵐であった。
――そして、巨体が蠢いた。
「見事! 見事なり! 見事だ!!」
「おいおい、少しは老体労われよグランディーク……」
「抜かせ! アレク! 色男になったな!」
ゆっくりと身を起こした大樹のような男が、己の身体を確かめるように太い首を鳴らす。そして全身を見下ろして確信した。
「ハッハッハッ! このグランディークを、剣の腹で打ちおったわ!」
「お前もだろ」
アレクは溜息まじりにグランディークに近づくと、手を差し伸べる。
その手を力強く握り返し、グランディークが立ち上がった。
「アレク、相変わらず良い手をしているな! おぉ、痛いぞ! しばらく感じてない痛みだ! ガルム以来である!」
「親子揃って死闘繰り広げてなぁ」
「――して、貴様等は何をしているんだ?」
不意に、闘技場の温度が急激に下がった。
先ほどまで豪快に笑っていた傭兵王から放たれた、強烈な殺気ゆえだ。
「ふむ。ハウザー、説明せよ!」
「へ? 俺?」
戸惑いながらもハウザーはグランディークに事の成り行きを説明する。
「うむ。うむうむ。うーむ?」
話が進むにつれて、一段と殺気が強まる。そして、グランディークは大音声で怒鳴り散らした。
「戯けども!!!!!!!!!」
それはもうほとんど物理的な兵器に近い大音声だった。アレクはこうなることを予想し、あらかじめ千切った布の切れ端を耳に詰めていた。
「貴様等! 貴様等は! 神聖なる死闘の果てに、このグランディークが民衆の横槍で救われたとでも後世に語らせる気か! 許せん!!」
「落ち着けジジイ」
「これが落ち着けるか!」
アレクは耳に詰めていた布を小指でほじくり出しながら、呆れたように肩をすくめた。
「後にしろ。それで? エルマの願いはどうする?」
「……そうであったな。うーむ。負けた訳ではないしなぁ」
「それもそうだが?」
「うーむ。そうだな! 決めたぞ。グランディークは此処に宣言する!」
その声が響いた瞬間。
怒り狂う王の咆哮に震え上がっていた観衆たちは、私語を止め、一斉に背筋を正した。
武器を落とした者も、思わず身構えた者も、固唾を呑んで闘技場の中央を見つめる。エルドラドという修羅の国において、頂点たる傭兵王の言葉は、誰の言葉よりも重い。
「帝国の内乱の行方! ワシはエルマ・ベルンの勝利に賭けるぞ! そうだな。全財産の半分だ!」
「ハッハッハッ! ジジイらしい!」
戦争に介入するでもなく、侵略を狙うでもなく単に傍観者としてエルマ・ベルンの勝利に賭ける。そして、その賭け額はその財産の半分。ギャンブル好きの民はその言葉におおいに沸いた。
「グランディークさんよ! 帝国を舐め過ぎだぜ! 俺はファラリスに賭けるぞ!」
「俺もだ!」
「グランディークと同格だぜぇ? ここはエルマ・ベルンだろぉ?」
「フハハハハハ! 良い! 良いぞ! おい、そこのダット商会長! お前が胴元だ! オッズを纏めい! 細かいルール等、決めるぞ! 丁度良い! 沢山おるな! ここで決めよう! フハハハハ!」
「このジジイには敵わんわ」
そういってアレクは場外へと歩を進めるのであった。
* * *
ザックは走る。闘技場を背にひた走る。エルマを肩に担いで走る。
ダリア平原を思い出す。あの時もこうして、ライドの命と引き換えにこの重みを背負って駆け抜けた。肺が焼け付くように痛むが、足は決して止めない。
「う……ん?」
肩の上から、ひどくか細く、透き通った声が漏れ出た。
「エルマ!? 大丈夫か!?」
ザックは顔を綻ばせ、走りながらも安堵の声を投げかける。
――しかし。
「ってな。お前の言う『イカレ』だぜ?」
耳元で囁かれたのは、可憐な令嬢の声色から一転、喉の奥で獰猛に響く悪党の嘲笑だった。
「……いま最悪の気分になったぜ。エルマは?」
「もうちょいかかるだろうな」
ザックは深々とため息を吐き、嫌がらせのように重くのしかかってくる肩の悪鬼に悪態をつく。
「まぁ、そう嫌うな。今なら胸触らせられるかもしれねぇぜ?」
「チッ、魅力的なこといいやがって」
悪鬼の下世話なからかいに、ザックは思わず本音を漏らして舌打ちをする。
「ククク、おめぇは中々見所あるぜ?」
「はいはい。んで、イカレ。意識戻ったなら降ろしていいよな?」
「何言ってんだザック。このか弱い体は、しばらく立つこともできねぇぜ?」
「えぇ……」
この激闘の果て。限界を超えて覇気を放出し続けた肉体は、ガス欠状態なのだ。
悪鬼の無情な宣告に、ザックは足の疲労が倍増したような錯覚に陥り、絶望の声を漏らしながらも、走り続けるしかなかった。
「んで、ザック。レイドルドはどうした?」
「あ……。そういえば途中から居なかったような……」
言われてみれば、「姫様!」と過保護なほどエルマの傍を離れないあの生真面目な王国騎士の姿が、この逃走劇の中にない。
(あのクソ真面目な野郎、こんな時にどこをほっつき歩いてやがる……!)
ザックは走りながら、疲労とは別の嫌な汗が背筋を伝うのを感じた。




