22.傭兵王グランディーク
「良くぞ成し遂げたァ! ガルムの娘ェ!」
(……ほーう? ガルムの娘、ね)
その呼びかけを聞いた瞬間、悪鬼は口の端をニヤリと歪め、スッと肉体の主導権を手放した。
(ほらよ、小娘。お前の親父のダチからのお呼び出しだぜ。テメェで話しな)
表層に引きずり出されたエルマは、目の前にそびえ立つ規格外の巨体に圧倒され、思わず素の間の抜けた声を漏らした。
「え? なんで、知って……」
「グランディークである!!」
エルマの疑問を叩き潰すように、傭兵王の凄まじい怒号が闘技場を揺らした。
大気がビリビリと震える。なぜ知っているのか、どうやって見抜いたのか。そんな些末な疑問に対する答えが、これだった。
――俺が、グランディークだからだ。
力こそがすべてのこの国において、頂点に君臨する男がそう言うのなら、それが絶対の答えであるという究極の傲慢。
「ワシは気が長い方ではない! 申せ!」
上空からはアスタロトの季節になりかけの冷たい風が吹き込んでいるはずなのに、眼前の男から放たれる熱気と威圧感で、肌がジリジリと焼け焦げるような感覚に苛まれる。
エルマは必死に将軍としての顔を作り、交渉のテーブルへと踏み込んだ。
「……これから先、アスタロトの季節を越え、アーティアの終わりまで……帝国には手を出さないで欲しい」
「何故だ?」
「私は訳あって、帝国将軍としてガルヴェリアの末席に連なる身だ。内乱を治める必要がある」
それがこの修羅の国へ来た目的だ。帝国の内乱が激化するこれからの時期、最も厄介なのは他国からの介入である。
「ふむ」
グランディークは太い腕を組み、エルマを見下ろした。
闘技場に、重く息苦しい沈黙が落ちる。観客席の荒くれ者たちでさえ、傭兵王の決断を前にして唾を飲み込む音すら立てられない。
やがて、傭兵王は短く言い放った。
「出来ん!!」
「理由を聞いても?」
「我は統治などしておらんからだ! 傭兵は自由だ! 金を! 権力を! 力でモノにしていく! そんなもんワシが良しとしたところで、傭兵は金と権力のところに湧いてくるわ!」
正論だった。この国には法も王族もなく、グランディークはあくまで「一番強い個」として君臨しているに過ぎない。彼の鶴の一声で野盗や傭兵たちの欲望を縛ることなど、土台不可能なのだ。
「……それでは、貴方だけでも攻めないと公言するのは?」
「ワシの行動を制限するというのか? 戯けめ!!!!」
ドォンッ! と。
グランディークが地面を強く踏み鳴らしただけで、エルマの身体がフワリと浮き上がりそうになるほどの衝撃波が走った。
「くっ!?」
「そもそも、貴様! エルマ! ガルムの娘! なぜ帝国などに与する! ガルムは、ベルンは帝国に焼かれたのであろう!」
衝撃波のような怒声。
父を、領民を焼いた憎き国に下り、あまつさえ将軍として動こうとしている。エルマはドレスの裾を強く握りしめ、顔を上げた。
「そこまで知っているならば、話は早い。私は復讐のために、第六皇子の……」
「ぬるい! 甘い! 吐きそうだ! 復讐だァ?」
エルマの覚悟の言葉を、グランディークは汚物でも吐き捨てるように切り捨てた。
「ガルムが何故死んだのか、考えたことはないのか?」
「それは、レゼンによる火弾槍の……」
「ちがう! 貴様が弱かったからだ!」
――ッ!
心臓を、鋭い刃で真っ直ぐに串刺しにされたような衝撃だった。
「え……?」
「貴様が外の世界に目を向けず、ガルムの作った甘い世界を疑わず、自らの頭で考えもせずにのうのうと生きていたからだ! ガルムは弱いお前を守って死んだ! すべて、お前のせいである!!」
エルマの視界が、ぐらりと揺れた。
耳を塞ぎたくなるような、決して認めたくなかった真実。
エルマが戦士ではなかったから。エルマに力がなかったから。父は、エルマの盾になって、無数の凶刃と炎に焼かれて死んだのだ。
闘技場の中央で、かつての温室育ちの令嬢は、逃げ場のない己の罪を突きつけられ、血の気を失って立ち尽くしていた。
「極論、だ……」
「極論で何が悪い! 事実の一つである! 貴様はこのワシにここまで言われて逃げる犬か? それとも、牙を剥いてワシにかみつく狼か!? 答えよ!」
エルマは顔を伏せ、微かに肩を震わせた。
沈黙が落ちた闘技場で、その口から零れたのは、ひどく力のない言葉だった。
「私は、私は……犬だ」
「エ、エルマ!」
ザックの悲痛な叫びも虚しく、エルマは目を伏せて俯く。
「ハッハ! それもまたよし! 剣を捨てて娼館にでも働くんだな! ガルムのよしみだ良い所に売ってやる!」
そう言って、グランディークは高らかに嗤い、エルマを掴み上げようと大樹のような豪腕を無造作に伸ばした。
巨大な掌が彼女の身体を覆い隠そうとした、まさにその刹那。
「と、言えたらどんなに楽だろうか。知った風に好き放題言いやがって、クソジジイ」
エルマは顔を上げ、獰猛に口の端を吊り上げた。
次の瞬間、ドレスの隠し鞘から抜き放たれた無骨な短剣が、頭上から迫るグランディークの分厚い掌を深々と貫いていた。
「ぬう!?」
「娼館? テメェは加齢臭すんだよエロ豚が」
エルマは悪鬼のような罵声を浴びせ、掌から短剣を引き抜いて軽やかに後方へ跳躍した。
「弱い、か。いつまでも昔のことを言ってんじゃねぇよ。おい、犬。どっちが飼い主か教えてやる。それと、一言追加だ。声がうるせぇよ雑魚」
そして、背中の骨砕きを抜き放ち、全身から闘気を爆発させる。
(小娘、勝算、あんだろうな?)
『さっき、また使った。いまこの場は魔力が効かない』
エルマの左腕で、マナキャンセラが熱を放ち続けていた。闘技場に充満していた魔力がこの腕輪によって打ち消されている。
(そういや、体が重いな)
『そっか。魔力の概念では私の方が上ね』
(ほざけ)
『いまはマナキャンセラで魔力を打ち消す力場が出来ている。グランディークの巨体にはそれを動かすための相応の魔力が必要なはず。つまり、技の勝負よ』
(ハッ、綺麗じゃねぇか。生粋の戦士であるグランディークなら魔力の概念には疎いとみる。体の調子わりぃとでも思ってそうだ)
魂の奥底で、エルマとバルバロッサが共犯者のように嗤い合う。
魔力が消え去った修羅の檻の中で、純粋な戦士としての、血湧き肉躍る武闘が今、始まろうとしていた。
* * *
「このグランディークに挑むか! 小娘ェェェェェ!!」
「たから、うるせぇよ。吠えやがって。シンプルだよ。お前を殺してトップに立てば、交渉なんざ必要ないんだ」
『視える。マナキャンセラでも打ち消しきれない一定量の魔力が、どうしても微量に漏れ出ている。願ったり叶ったりだ』
(あいつは意識して魔力を使ってるタイプじゃねぇから、身体の動きと連動してて尚更わかりやすいな)
グランディークの規格外の闘気が、マナキャンセラの上限を越えての靄のように漏れ出す。
左足が大地を踏みしめようと揺らぐ刹那、膨大な魔力が反対側の右腕へと急速に収束していくのが、エルマの目にははっきりと色のついた軌跡として視覚化されていた。
エルマはその魔力の流れから、次に放たれる一撃の軌道を逆算し、最も安全で最適な死角へとただスッと歩を進める。
直後、空気を叩き潰すような轟音と共に、先ほどまで立っていた場所のど真ん中に、グランディークの巨大な戦斧が深くめり込んでいた。
『これは、いま、私がやっていることって……』
(成程、おれもわかったぜぇ。こいつはザックの動きだ。あいつは自分が何やってるか理屈で気が付いてねぇのが面白れぇ!)
圧倒的な力を持つ化け物たちの攻撃を、一切の無駄なくヒラリと躱し続ける副長の「死の嗅覚」。
彼は無意識のうちに、敵から漏れ出る魔力や殺気の波長を読み取り、安全圏を導き出していたのだ。
大悪令嬢と悪鬼は、その理屈を言語化し、修羅の国の頂点を相手に不敵な笑みを深めたのだった。




