19.血闘士
自由国家エルドラドの中心都市、ボルガング。
この修羅の街に生きる荒くれ者たちの娯楽といえば、酒、女、賭博、そして闘技場である。
すり鉢状の巨大な観客席では、血生臭い闘いを肴に安酒が飛び交い、大金が狂ったように動いていく。観戦するだけならば身分も性別も問われないため、人々がその日の仕事を終え、街が夜の帳に包まれる頃には、ボルガング中の人間がこの熱狂の渦へと吸い寄せられていく。
数ある試合の中で、最も観客を狂乱させるのは『殺す以外は何でもあり』という過激なルールだ。
五体満足で帰れる保証などどこにもない。それでも、己の武威を誇示し、自身に全額を賭ければ一夜にして莫大な富が手に入る。その甘く危険な誘惑に魅入られ、闘技場の門をくぐる命知らずの数は絶えることがなかった。
特に、この血塗られた土の上で闘うことのみを生業とする狂人たちを、この街では血闘士と呼ぶ。
彼らにとって、闘技場とはただの見世物小屋ではない。力とカネだけが価値を持つこの国における、最も効率の良い舞台なのである。
「やっちまえェェェッ!」
「おれの全財産がかかってんだぞ! そのまま腕をへし折れェッ!」
鼓膜を劈くような怒号と歓声が、夜空に反響する。
そして今宵もまた、血の匂いに引き寄せられた野獣たちが、熱狂の檻の中へと足を踏み入れていた。
本日のカードも、そのほとんどが『殺す以外は何でもあり』の過激な試合である。
熱狂の最中、不運にも急所を突かれた血闘士が乾いた土の上に沈み、二度と動かなくなることもある。だが、それを見下ろす観客席の女子供たちの顔に、恐怖の悲鳴や同情の色はない。
そんな狂気と暴力が支配する闘技場の中央へ、およそ似つかわしくない影が静かに姿を現した。
金糸の美しい髪に、一輪の薔薇の髪飾りが揺れる。白磁のような肌、長い睫毛に縁取られた澄んだ菫色の瞳と、みずみずしい唇。
青いドレスの上に部分的に金属鎧を身に包んだその少女は、むせ返るような汗と鉄錆の匂いの中で、そこだけが切り取られたかのような圧倒的な美を放っていた。
だが、その華奢な肢体の肩には、身の丈に余る無骨で巨大な大剣が、いっそ不気味なほど軽々と担がれている。
「おい……なんだあの女は」
「娼館と間違えたんじゃねぇか? 買ってやるぜ」
「馬鹿おめぇ、よく見ろよ。ありゃ、買えるような値段じゃねぇぜ。吸血姫レベルじゃねぇか?」
「た、たしかに。吸血姫も遠目でしかみたことねぇけど……」
観客たちの困惑した囁きが広がる中、大剣を担いだ少女は、闘気に満ちた檻の中で、静かに口角を吊り上げたのだった。
「本日のメインイベントになります! グランディークの試練の挑戦者!」
司会が大声を上げると、すり鉢状の観客席から地響きのような足踏みと割れんばかりの歓声が空気を揺らした。
グランディークの試練。いまだその過酷な壁を越えた者は一人として存在しない。Aランクの血闘士を七人、Sランクの血闘士を三人勝ち抜くという、正気の沙汰ではない連戦。そんな死の試練に挑む者が現れたとあって、血気盛んなボルガングの民の血が沸き立たぬ道理はなかった。
「挑戦者の名前は……こ、こく」
手元を見た司会は、信じられないものを見たように息を呑み、そして決意したかのように腹の底から読み上げた。
「黒曜の牙の団長! エルマ・ベルン!」
「黒曜……!?」
一瞬の静寂。その直後、観客席のざわめきは、先ほどまでの熱狂とは違う、肌を刺すような険悪な怒声へと変わった。
「ふざけんじゃねぇぞ! 女! テメェが語っていい名前じゃねぇ!!」
「今なら犯すだけで許してやる! 帰れ!」
「その名前は、ボルガングの誇りだ!」
少女は、雨あられと降り注ぐ罵声の嵐を、ただ退屈そうに聞き流していた。その誇り高い姿に、一部の女性たちは密かに憧憬の念を送る。
突如、少女が肩に担いでいた大剣を片手で軽々と振り下ろし、闘技場の地面へと力任せに叩きつけた。
鼓膜を劈く轟音と地響きが熱狂の場を揺らし、観客たちの怒声が一瞬にして掻き消える。
「やかましい。力を魅せる場で、肩書に捕らわれるな愚か者共」
少女の口から放たれたのは、氷のように冷たく、どこまでも澄んだ声。だが、その声は物理的な重圧を伴って、観客すべての喉元に切っ先を突きつけるような威力を孕んでいた。
菫色の瞳をギラつかせ、彼女はさらに深く口角を吊り上げる。
「司会。早くしろ。私は忙しいんだ」
「は、はぁ。では! Aランク一人目! ダゴス!」
* * *
試合が始まり、観客が目にしたのは――蹂躙という言葉すら生温い、ただの残虐なショーであった。
一人目の血闘士ダゴスは、始まりの合図と共に剣を抜くことすら許されなかった。少女は瞬時に間合いを詰めると、大剣の柄と蹴りだけで男の骨を次々と砕いていく。
わざと急所を外し、最も凄惨な見た目になるよう精密に計算された暴力。原型を留めないほどにひしゃげたダゴスが、血の海に沈んで運び出される。
それが二人目、三人目と続く頃には、観客の誰もが本能で理解させられていた。この少女は、人間の皮を被った底知れぬ化け物であると。
男たちが恐怖に顔を引き攣らせて沈黙する中、その圧倒的で理不尽なまでの強さに魅了された女たちが、熱狂的な黄色い声を張り上げていた。
「エルマ様! 素敵です! エルマ様ぁぁ!」
「ああ、綺麗! 美しい! エルマ様!」
エルドラドの、ボルガングの女にとっての希望の星。少女は瞬く間に、そんな偶像のような存在と化していた。
(どこでも似たようなことになりやがる)
頬杖をついて観戦しているザックは、ぼんやりとそんなことを考えていた。
アレクとレイドルドに関しては、腕を組んで微動だにしない。特にアレクに関しては常々疑問に思っている。だから、良い機会とばかりにザックは尋ねた。
「アレクさんよ。いつもどうやって見てるんだ?」
「ああ、心眼だ!」
「……そうかよ。戦士の常識ってやつだな。ハァ」
最近多くなってきている気がする溜息をまた一つこぼし、ザックは眼下の闘技場へ目を向けた。
あまりの殲滅スピードに、怪我人の回収が追いついていない。関節を奇妙な方向に曲げられ、血みどろになった六人の血闘士が地面のあちこちに転がっている。
そして今まさに、七人目の顔面へ飽きたとばかりに無造作な指が突き立てられ、断末魔とともにその男の膝が砕け折れたところだった。
(まだイカレの方じゃねぇんだよなぁ。これで)
とザックは血闘士達に憐憫の眼差しを送るのだった。




