17.最強の傭兵
「ダ、ダルホ、こい……」
「へ? なんで? あいよ」
歓声に沸く部下たちの中で、ハウザーは歯を食いしばりながら、すぐ近くにいた部下のダルホを小声で呼び寄せた。
不思議そうに歩み寄るダルホに、ハウザーは血の気の失せた顔で囁く。
「……うごけねぇ」
「あ?」
「いま、少しでも動いたら……俺は血とゲロを吐く」
「あんたぁ、まさか……?」
ダルホは目を見開き、微動だにしない頭の姿と、余裕の笑みを崩さないアレクを交互に見た。
そしてようやく、先ほどの「へなちょこパンチ」の真の威力に気がついたダルホは、喉の奥で「ヒィッ」と低い悲鳴を上げた。
このままでは頭が殺される。そう直感したダルホは、必死に強がりを装い、震える声で周囲に響くように叫んだ。
「お、おれたちゃ、あまり新人いじめは好きじゃねぇんだ! こ、これくらいで手打ちにしてやる!」
あまりにも不自然な幕引きの宣言。
それに対し、アレクは目を細め、ニヤリと嗤った。
「ほぉーう? まぁ、俺はいいんだがな。ちょっと後ろに、歯止めのきかねぇやつらがいるんだが」
「……ん?」
ダルホが怪訝な顔でアレクの背後へ視線を移した、その瞬間。
酒場の空気が、物理的な重圧を伴って凍りついた。今度は火傷するような熱ではない凍り付いた。
「――うちの将軍を、侮辱したな? 特に、お前、だ。犯す、だ?」
アレクの傍らに立っていた、冴えない顔の男から、先ほどのアレクにも匹敵するほどの強大の殺気が放たれていた。
普段は隊内でも温厚派と呼ばれる副長。だが、己が忠誠を誓う将軍を下劣な言葉でコケにされ、彼の内に眠る闘争心と戦士の矜持が牙を剥いていたのだ。
いや、彼だけではない。
騎士も、帝国兵たちも、一様に瞳に狂信の光を宿し、身の毛もよだつような漆黒の殺気を酒場中に撒き散らしていた。
(あ、こいつら……全員……ヤバい……!)
ダルホを含め、酒場にいたすべてのゴロツキたちが、逃げ場のない死の気配に顔面を蒼白にさせ、震えながら後ずさった。
一触即発。このままでは酒場の人間が皆殺しにされる。誰もがそう絶望した、その時だった。
「――鎮まれ」
カウンターで喉を潤していた女の、ひどく静かで、透き通るような一言。
ただそれだけで。
荒れ狂っていた騎士たちの殺気が、まるで魔法のようにスッと霧散し、彼らは一糸乱れぬ動きで直立不動の姿勢をとった。
* * *
「だめだ、エルマ。ここはひけねぇ」
普段ならば誰よりも早く上官の命令に従うはずのザックが、一歩も退かずに低く唸った。
「ザック……ありがとう。でも」
「だめだ。あぁ、だめだ」
エルマの戸惑うような声すらも怒声で遮り、ザックは両腕を握り締め、獲物を見据える肉食獣のように重心を沈めた。
「おー、ザック副長もエルドラドの流儀がわかってきたなぁー」
アレクが愉快そうに腹を抱えて嗤う中、ザックの姿がフッと掻き消えた。
「ぐえ!?」
「ひぃッ!? なんだこいつ!」
「はえーぞ! ごえ!?」
「ぶげら!?」
酒場の中に、ゴロツキたちの情けない悲鳴と打撃音が連続して響き渡る。
死線を潜り抜け、本物の化け物たちの太刀筋を肌で学んできたザックの動きは、エルドラドのチンピラどもでは目で追うことすらかなわない。
意識外からの強烈な一撃、死角からの関節蹴り、顎を打ち抜く掌底。ザックが嵐のように駆け抜けるたび、次々と傭兵たちが宙を舞い、壁やテーブルを巻き込んで派手に吹き飛んでいく。
「お前だァァァァァァ! あぁ!? 舐めんじゃねぇぞ!? ゴミが! クソムシが!」
「ヒィ!? ボグッ!? ゲホッ!? ウゴゴゴゴ!?」
頭を鷲掴みにして、殴る、殴る、殴る。
「ふ、副長、なんかまた人間辞めてきているような……」
「副長が自分で『凡人』とかいってるの、なんかもう無理があるよな」
「……だな」
惨劇の輪から離れ、直立不動で控えていた帝国兵の部下たちが、呆れたような、しかしどこか誇らしげな遠い目をして語り合う。
己の怒りが静まるまで、凡人を自称する男による容赦のない蹂躙劇は、しばらくの間続くのであった。
ザックの蹂躙劇がようやく収束し、酒場の中は白目を剥いて倒れ伏す傭兵たちと、粉砕されたテーブルや椅子の残骸で埋め尽くされていた。
「んで、欲しい情報は? ちなみに、壊した物の料金はしっかりもらうからね」
そんな惨状を前にしても、酒場の店主は顔色一つ変えずにカウンターを布巾で拭きながら、飄々とした声で言い放った。この狂った無法地帯で店を構えているだけあり、並の胆力ではない。
「す、すまない、店主」
自分の部下が店を半壊させてしまったことに、エルマは将軍としての威厳も忘れ、育ちの良さから思わず素直に謝罪の言葉をこぼしてしまった。
「エルドラドじゃあ、安易に謝っちゃだめだぜ。お嬢さん」
すかさず、店主が表情をやや引きつらせながら、修羅の国における流儀を教えるように告げる。
「あ、あぁ。……こほん。この国で一番権力のあるやつを探している」
エルマはハッとして小さく咳払いをし、慌てて戦士の仮面を被り直して凄みを利かせた。
その不器用な切り替えに、店主は呆れたように小さく鼻を鳴らす。
「あぁ、そりゃ簡単だ。傭兵王グランディークだ」
「どうやったら会える?」
「ギルドにいきな、それからだ。あの御大が弱いやつには会うわけねぇ」
店主が顎で外の方角をしゃくる。
この国でトップに会うための条件は力の証明。
その絶対的なルールを聞き、大悪令嬢一行は、足元に転がるゴロツキたちを跨ぎながら、次なる目的地へと歩みを進めるのであった。
* * *
「アレクおじさん、グランディークって人のこと、知ってるの?」
酒場を後にし、傭兵ギルドへと向かう土埃の舞う大通り。エルマは隣を歩くアレクへ、疑問を投げかけた。
「勿論だぜ、お嬢。俺らが現役だった頃から、大陸で最強の傭兵の名声を二分してた御大だ」
「二分?」
「ああ? もう一人は、ガルムだ」
「え? お父様、そこまで……」
エルマは目を瞬かせ、心底意外そうな顔で小首を傾げた。
彼女の脳裏に浮かぶのは、一緒に手芸をして褒めてくれたり、乗馬の練習で過保護すぎるほどに慌てふためいていた、優しくて少し暑苦しい父親の笑顔ばかりだ。
あの父が、この修羅の国を束ねる傭兵王と肩を並べるほどの伝説的武人だったなど、今の今まで少しも想像していなかった。
「し、知らねぇってのは……」
そのエルマのキョトンとした反応に、アレクはピタリと歩みを止めた。
白濁した瞳を限界まで見開いた。
「……おいおい、お嬢。ベルンでガルムが親バカやってたのは、勿論知ってるがよ。あの帝国軍の襲撃の日、お嬢はガルムの戦いぶりを間近で見てたろ?」
「う、うん」
「あれを見てもまだ、ガルムのことをちょっと強くて優しいオヤジくらいに思ってたのか……!?」
アレクは耐えきれないというように天を仰ぎ、腹を抱えて豪快に笑い始めた。
大陸の傭兵達を震え上がらせた最強の巨狼の愛娘は、自身の父親に対する評価フィルターが分厚すぎて、未だに客観的な強さの格付けがおかしくなっていたのだ。




