15.自由国家エルドラド
ゼラより東、アスタロッテの北、トラキアの西、そんな地理に自由国家エルドラドは存在している。
エルドラドの北には共同貿易エリアがあり、三国に囲まれている形だ。
そんなエルドラドは多様な文化が混ざり合っている。
その名の通り、ここには絶対的な国家の法もなければ、世襲で国を統治する王族も存在しない。
この地で権威を示す唯一の絶対基準は、『力』と『カネ』。その二つの要素が絡み合った結果、自然とこの国は荒くれ者たちが集う巨大な傭兵国家へと変貌を遂げていったのである。
アークヒルを出立し、国境付近で待機していたアレク達と無事に合流を果たしたエルマ一行は、ついにエルドラドの中心都市ボルガングへと足を踏み入れていた。
荒涼とした荒野の真ん中で、そこだけが異常なほどの熱気を放ち、一際にぎわう巨大な街。
外からでも、荒々しい土埃と鉄錆の匂い、そしてむせ返るような男たちの汗の気配が漂ってくるのがわかる。
だが、その野蛮で血生臭い空気は、エルマにとって決して不快なものではなかった。
むしろ――故郷の喧騒と、今は亡き父の背中を思わせるような、どこか懐かしく、肌に馴染む匂いであった。
* * *
ボルガングの中心街、露店が所狭しと並び、商人達ががなり立てるような客引きの声を上げている。
並べられている品物に目をやれば、薬草や保存食に交じって武具が山積みになっていた。
特に武具に関しては、戦場から回収して軽く拭っただけなのだろう。どれも黒ずんだ血のシミや、刃の欠けが誤魔化しきれずに残っている。
そんな荒々しい通りを歩くエルマの傍らには、アレク、レイドルド、ザックに加え、カイやキース、ロッジとベレスが油断なく控えている。
絶世の美貌を持つ青いドレスの少女を、濃厚な殺気を纏う屈強な男たちが陣形で囲んでいるのだ。
どう見ても上位貴族とその護衛である。
それは、どう控えめに言っても悪目立ちの極みであった。そんな集団にあえて声をかけようとするものはこの街には居ない。気が付いていないフリをするように目を合わせないのだ。
普段なら新顔の女を値踏みして絡んでくるような、血の気を持て余した傭兵やゴロツキたちでさえ、一行から放たれる『面倒事の空気』に本能的な警鐘を鳴らす。誰もがあからさまに目を逸らし、気づかないフリを決め込みながら、蜘蛛の子を散らすようにスススッと道を譲っていくのだった。
(ハッ、どいつもこいつも上等だ。生き汚さが存分に出てやがる。やっぱここは最高だぜ)
『確かに。悪鬼はここも知っているの?』
(そりゃそうさ。バルバロッサ様だぜ? 大陸に知らねぇ土地はねぇと思え。それに、ここは悪党でも善人でも受け入れる自由の国だ。なかなか便利に使わせてもらったもんだぜ)
普段よりも僅かに饒舌な悪鬼の気配を感じながら、エルマは活気に満ちた街並みへと視線を滑らせた。
此度の目的は、この修羅の国を束ねる権力者との交渉。力とカネの街だ。最も強い武力を誇り、最もカネを握っている頂点を引きずり出す必要がある。
「アレクおじさん。どうすれば良いかな?」
エルマは傍らへ視線を向ける。そこには、懐かしい故郷の空気を深く吸い込んで、ひどく機嫌の良さそうな盲目の戦士が立っていた。
「知ってはいるが、かなり昔だからな。それに、ここでは最短で答えに辿り着くのは野暮ってもんだぜ」
アレクは口の端を獰猛に吊り上げ、獣のように喉の奥を鳴らした。
分厚い胸板が荒く上下し、大剣を握る太い腕の血管が、今にも暴れ出したいという闘争本能を抑え込むようにピキリと浮き上がっている。
「アレクさんよ、今回はあくまで交渉にきたんだぜ? あまり暴れるのは……」
ザックが諫めようとするが、アレクの耳にはもう届いていないようだった。
「この空気、あてられないか? ザック副長、湧き上がるだろう? 誰もが己の力に自信を持っている! そして、腹の底では全員が思っているのさ! 自分が一番強い! と! それは腕力だけじゃねぇ! 最高だろ!」
白濁した瞳を見開き、アレクは今にも目の前の群衆へ飛び掛からんばかりの熱を放つ。
その血湧き肉躍る狂戦士の姿を前にして、ザックは深く天を仰いだ。
「はぁ、駄目だこりゃ。今回も俺が止めるのか」
エルマに届くザックの重く、深い溜息。普段冷静で頼りにしていたアレクまでが、修羅の国の空気に当てられてしまっている。
と、そこで強烈な悪寒を感じたであろうザックがこちらを振り返ってみれば――自身は悪鬼と代わっている。エルマはそんな勘の良いザックを頼もしく思った。
「おい、お前」
「あ、悪鬼!?」
ザックの制止も間に合わず、悪鬼は通りすがりの革の胸当てを付けた男の胸倉を唐突に掴み上げた。
「な、なんだよ!? 俺が何をした! いやだ! 関わりたくない!」
「気持ちが痛いほどわかりすぎる……」
理不尽に巻き込まれた男の悲痛な叫びに、ザックは思わず深い同情を寄せる。
「ここで一番つえぇ奴を探している。吐け」
「あ? 女、調子に乗ってんじゃねぇぞ」
男は唐突に悪鬼の顔面へツバを吐きかけ、それを躱されたと同時に鋭い蹴りを放ってきた。だが悪鬼はそれすらも容易く躱し、空を切った男の足首を万力のように掴み取る。
「うわっ!?」
「良い挨拶だな。だが、俺の方が強い。それだけだ」
「ぐぼっ!?」
がら空きになった脇腹――呼吸を司る横隔膜の直下という、息をするたびに激痛が走るえげつない急所へ、悪鬼の右拳が無慈悲にめり込む。
「ああ、ちげぇな。わりぃ。今は、俺の方が強い。だったな」
「ごほっ! ごほっ! ちっ、なんだよ……流儀を知っている奴かよ。早く言えよ」
地面に這いつくばりながらも、男は恨み言ではなく、強者の実力を認めた傭兵特有の乾いた笑いを漏らす。
「ちょっとばかり懐かしくてな。つい楽しんだ」
「けっ、人で遊ぶんじゃねぇ。情報なら裏の『蟲の掃き溜め亭』にいきな。最近ではあそこが情報の中心だ。……じゃあな、俺はこれからハッピーな娼館なんだ。また明日な」
「ああ、また明日」
そんな暴行騒動が道のど真ん中で繰り広げられたというのに、通行人たちは少し好奇心の目を向けただけで、誰一人として騒ぐことなくそれぞれの日常へとすぐに戻っていく。
ザックは、暴力が日常の一部として溶け込んでいるこの街の異様な光景に、思わず身を震わせていた。




