14.水中にはワシの残骸
来賓の歓待という名目に隠れたギュスターヴの嫁探しは、ひとまずは成果を得たと言えよう。
ファルケ王の荘厳な剣舞によって締めくくられた宴は、選ばれなかった大勢の令嬢たちの心を陰鬱なものにさせたが、そんな事など知る由もなく、トラキアの夜は静かに更けていった。
そして翌日、エルマは出立の挨拶のため、謁見の間に居た。
「行くのか。ここ数日のことを思うと、誠に良い巡り合わせだったのだろうな」
「ありがたき御言葉。平時であれば、もう少し滞在させていただきたかった。しかし……」
「うむ。エルマよ。……王というこの身故、まだ貴公の言葉のすべてを信じ切ることは叶わぬが、それでも、我がトラキアを第二の故郷と思っておくが良い」
「はい」
『……私には、帰るべき第一の故郷はもうないんだ』
王に向けて優雅な微笑を返しながらも、脳裏には炎に包まれたベルンのあの夜が鮮明に蘇る。
エルマはドレスの裏地に隠したペーパーナイフと刺繍針を、掌に血が滲むほどに強く、深く握りしめた。
「ファルケ王よ。最後にもう一つ、御頼みしたいことがございます」
「なんだ、改まって」
「自由国家エルドラドへ、行きたいのです」
「ふむ……なるほどな。帝国の本陣へ向かう前に、さらに背後を固めるか」
「はい」
ファルケ王は感心したように顎を撫で、傍らの側近へ視線を向けた。
「では、ユージーンに書状を書かせよう。トラキア王家の名において、貴公らの通行を保証する」
「何から何まで、ありがとうございます。……では」
深く礼を捧げた後。
踵を返した女将軍は、背中の狼と薔薇のマントを大きく翻し、ザックとレイドルドを従えて、威風堂々と謁見の間を後にしたのであった。
* * *
帝都からモルス山脈を隔てた東部、ダリア平原。そこから更に北上していくと、大河レーヌ川へと行き当たる。普段であれば、その水量の多さと流れの激しさから、人の気配はほとんどない荒涼とした水辺である。
しかし、今この現場を目の当たりにした者がいれば、そんな常識は嘘っぱちだと叫ぶだろう。
「ボーラァァァァ!」
「それが皇族の気品ってやつかね?」
対岸でせせら嗤うボーラを横目に、ベルベットは近衛の騎士たちに死角を任せながら、苛烈な勢いで進軍していく。
もうすぐだ。もうすぐ、あの激流を大軍が渡ってくる見えない道の正体がわかる。
一騎、二騎。もはや数えきれないほど斬り捨てた。だが、まだ斬る。目の前に立ちはだかる限り、剣を振るい続けるしかない。
(敵兵、か)
ベルベットは自嘲気味に唇を歪め、進軍の速度をさらに速めた。
刃を交えているのは他国の軍勢ではない。同じガルヴェリア帝国の旗を掲げる、自国の民だ。その命を自らの手で刈り取らねばならない、皇族としての重すぎる業。
ボーラは、あのレゼンと共にここ十年近くで急激に頭角を現してきた将軍だ。ライカ・ローサほどの狂気的な速度ではないが、一兵卒からの出世としては異常と言える。
水面下では、盗賊上がりだという黒い噂も囁かれていた。だが、その噂が形を成す前に、いつも不自然なほど情報が握り潰され、沈静化されてきたのだ。
(背後で糸を引く、レゼンの情報統制か。……だが、今日でその化けの皮も剥がれ落ちる)
ベルベットは冷たい川の飛沫を浴びながら、第二皇子派の武の要へと真っ直ぐに刃を向けた。
「これは……なんだ?」
水中に沈む正方形の箱。それが対岸まで敷き詰められており、疑似的に水深を浅くしている。
「面白いだろう? レゼンの奴がゼーレから引っ張ってきてな。水に濡れると水より重くなって沈むんだとよ。……難しいことはよくわからないがそういうことだ」
視線を上げれば、顎鬚を長く伸ばした男――ボーラが、足首まで水に浸かった川の中央に立ち、下品な笑みを浮かべて手招きをしている。
来い、ということだ。
「なぁ、ベルベット皇子。帝国は武を尊ぶんだよな? その誇り高きお前が、俺を目の前にしてこの戦いから逃げるわけにはいかねぇよな?」
それは、悪党特有の極めて悪辣な挑発。
「なりません! ベルベット様! あのような野蛮人の安い挑発に――ッ!」
近衛の騎士が血相を変えて制止する。
だが、ベルベットは部下の制止を手で制すると、氷のように冷徹な青い瞳で、真っ直ぐにボーラを射抜いた。
「……ふん」
ベルベットは、静かに己の剣を鞘へと収めた。
そして無造作に足元に転がっていた手頃な岩を拾い上げると、ボーラが立つ水中の足場の根本へ向けて、力任せに叩き込んだ。
ガゴンッ! という鈍い音と共に、バランスを崩した水中の道が連鎖的に崩壊し、箱が次々と荒れ狂う激流へと呑み込まれていく。
「なっ!?」
「いや、なに失敬。武を競おうにもな。私は山育ちだからかな。……泳げないのだよ」
足場を崩されて狼狽する敵将に対し、ベルベットは涼しい顔で、極めて理路整然とした、そして人を食ったような言い訳を口にした。
「ボーラ将軍、ぜひ見せてくれたまえ。強い強い君の泳ぎをね。ほら、皆! ボーラ将軍が素晴らしい見本を見せてくれるぞ。投げろ、投げろ!」
「ハッ! 投げろォォッ!!」
「くっ!? お利口なだけの坊ちゃんじゃねぇってか!」
ベルベットの容赦のない号令に応え、近衛の騎士たちが一斉に川岸の石を拾い上げ、水中の箱にむかって雨あられと投げつけ始めた。
徐々に足場が失われ、さらには物理的な石礫の嵐を浴びたボーラは、悪態をつきながら急いで自軍の対岸へと逃げ帰っていく。
「なに、進撃だけが戦ではない。わからないものを消していくのも、また戦だ」
無様に後退していく敵将の背中を見送りながら、ベルベットは冷徹な笑みを浮かべた。
「これは貴重な情報だよ、ボーラ将軍。やはりレーヌ川から北は完全に敵陣であり、奴らにはこの大河を渡る手段がある。……それだけ掴めば十二分である。全軍! 対岸を監視しつつ、後方への補給線を太くするぞ!」
そう言って、ベルベットはレーヌ川の南側の岸に、強固な自陣の防衛拠点製作へと着手していくのであった。




