11.甘美なる闘争
「それではエルマ姫。長旅でさぞお疲れでしょう。今宵の歓待の宴まで、私が来賓用の客室へとご案内いたしましょう。……さぁ、こちらへ」
謁見の間が静まり返る中、先ほどまで王の傍らで冷や汗を流しながら王を諫めていた文官風の側近、深緑の騎士ユージーンが、誰よりも早く淀みない完璧な所作でエルマの前へと進み出た。
「えっ? あ、はい。ありがとうございます、ユージーン殿」
「どうか、私の腕を」
ユージーンは極めて紳士的な、しかしどこか口角の緩んだ笑みを浮かべ、あろうことかエルマの白い手をとって、優雅にエスコートしようとしたのだ。
「――待たれよ、エルマ姫!」
(フハハ! レイドルドだけじゃねぇ、王の血縁だとわかった瞬間、トラキアの姫にもなりやがった!)
悪鬼が内心で笑い転げるなか、その抜け駆けを止める者がいた。トラキア騎士十傑の一人、灯の騎士フェルラスである。その深紅の瞳に、好戦的な光を宿らせて立ちはだかった。
「姫君のエスコートを企てたユージーンの抜け駆け、誠に腹立たしい……。だが、それ以上に! 我らとて、貴殿らが姫の隣を歩くにあたり、本当にその資格があるのか、トラキアの騎士として確かめずにはいられない!」
フェルラスは怒りの矛先を、なぜか強引にザックとレイドルドへと向けた。
その後ろでは、他の武闘派の騎士たちも「俺にも手合わせさせろ」と、完全に私怨の混じった闘気を爆発させている。
「おいおい、冗談じゃねぇぞ……!」
「ふん! よかろう! 我が姫様をお護りする剣の冴え、とくとその目に焼き付けるがいい!」
「おいレイドルド! 勝手に受けてんじゃねぇ!」
ザックの制止も虚しく、レイドルドは嬉々として構えを取り、トラキアの騎士たちとの闘いへと突入していく流れとなった。
「ささ、エルマ姫。むさ苦しい彼らは放っておいて、修練場へ参りましょう」
「え? ええ」
ユージーンがフェルラスの横槍に気を取られ、言い返そうとした一瞬の隙。
その名の通り、疾風のごとき身のこなしでユージーンの死角から滑り込んだ烈風の騎士ウィンドラスが、エルマの白い手を鮮やかにかっ攫い、流れるような手付きで優雅なエスコートを決めていたのであった。
「ウィンドラス……貴様」
それは、ユージーンの血の吐くようなつぶやきだった。
* * *
(なぜ、俺がこんな目に)
アークヒル王城の広大な修練場。ザックは、数歩先でレイドルドとフェルラスが凄まじい怒号を上げながら木剣を打ち合っているのを横目に、本日何度目かわからない深い溜息を吐いた。
現在、ザックと相対しているのは『木漏れ日の騎士』フェルタンである。
トラキアには王を含めた『騎士十傑』という最高幹部がいることがわかっている。先ほどの謁見の間には、王を含めて七人いた。
(十傑ってくらいだから、あと三人ヤバいのがいるんだよな……)
元王国騎士団長のレイドルドでさえ、まともな打ち合いで押し切れていない。目の前にいるこのフェルタンの実力が、トラキア十傑の平均値(中央値)であってくれと、ザックは心底願った。
「ザック、がんばってー」
ふいに、修練場の見学席から、令嬢モード全開のエルマがニコニコと微笑みながら手を振ってきた。
あの一番手がかかる金髪の将軍は、完全に今の『お姫様扱いされる状況』を面白がって酔っている節がある。
「おおおおッ! ザック殿! いざァッ!!」
自分に向けられたものではない美少女からの黄色い声援に、フェルタンが血走った目で大音声を張り上げ、木剣を上段に振りかぶった。
(俺のせいじゃないだろ……。そもそも、木漏れ日ってなんだよ。平和っぽい雰囲気そのものじゃないか。政治かなにかを得意とするのか)
そんなことを心の中でぶつくさとボヤきながらも、ザックの眼光は極限まで研ぎ澄まされていた。
相手の筋肉の収縮、重心の移動、そして放たれる微かな殺気の匂い。それらすべてを嗅ぎ取り、最適にして安全な死角へと、音もなく自らの足を踏み出す。
「くっ……!?」
踏み込もうとしたフェルタンの動きが、不自然にピタリと硬直した。
攻めようと狙いを定めた瞬間、その軌道上の最も厄介な位置に、いつの間にかザックが剣を置いて立っているのだ。強引に振り下ろせば、逆に自らの体勢が崩れ、カウンターの餌食になる。
間合い、呼吸、そして心音までも完全に読まれ、逆手に取られているような強烈な錯覚がフェルタンを襲う。
(うん。ルーク卿ほどじゃない。ギュスターヴのような絶望感もない。……これなら)
「ザァーック! ぶちかませ!!」
ふいに見学席から飛んできたその怒号に、ザックの身体は思考よりも先に、悲しき条件反射で動いてしまった。
(あ)
長年、あの最凶の上司の下で死線を越え続けてきた副長の身体に染み付いた、完璧なカウンター。
ザックの木剣が下から跳ね上がり、フェルタンが剣を握る手首を正確かつ強烈に弾き打っていた。
カァンッ! と乾いた音が響き、木漏れ日の騎士の木剣が手からすっぽ抜けて宙を舞う。
ザックは残心を取りながら、ハッとして背後へ目を向ける。そこには、赤く腫れ上がった手首を抑えて呻くフェルタンの姿があった。
「おいおい、ここで出てくるのかよ。やめてくれよ……」
ザックが頭を抱えながら見学席を一瞥すると、そこには一人の悪党がいた。
美しい青のドレスを纏いながらも、令嬢らしからぬ下品に脚を投げ出して座り、黄金の瞳をギラギラと輝かせて面白そうに嗤っている悪鬼である。
「……あー、ありがとう、フェルタン殿。良い手合わせだった。それじゃ、俺はこれで」
目立てばまた面倒な無茶振りをされると察知したザックは、手首を抑えて呆然とするフェルタンに早口で告げると、木剣を放り捨ててそそくさと修練場の壁の隅へと逃避したのである。
「あー、だめだ! 堪らねぇ、堪らねぇよぉ。戦いだ。闘いがたんまりと転がってやがる!!」
そう言って、帝国将軍ライカ・ローサは美しい青のドレスをはためかせ、見学席の手すりを蹴って修練場の中央へと躍り出た。その華奢な見た目にはおよそ似つかわしくない、ズシンと重い地響きが石畳を揺らす。
「オオォォォォォォォ! 全員だ! 全員かかってきやがれ!!!」
黄金の瞳をギラつかせて獰猛に嗤う。
鼓膜を劈くような獣の咆哮。その常軌を逸した覇気にあてられ、修練場にいたトラキアの騎士たちは一斉に体を硬直させた。
「や、やべぇ! 本格的にスイッチ入りやがった!」
「ザック殿! こちらへ!」
その直後。あの悪鬼が解き放たれた後の大惨事を身をもって知っているカリオンとザックだけは、誰よりも早く回れ右をし、見学席の安全圏へと音もなく退避していた。




