10.強さとは
「待て。ギュスターヴよ、あまり無理を言うな」
重厚な声と共に、玉座の間の奥から騎士王ファルケが戻ってきた。
先ほど限界を迎えて退室した時とは打って変わり、その顔には国を統べる王としての厳格な威厳が完全に戻っている。
「王よ。しかし、これは私の武の……」
「ならん。お前は大陸中に顔が効きすぎるのだ」
食い下がろうとするギュスターヴを、ファルケは王としての冷徹な正論でピシャリと制した。
「これから彼女たちが向かうであろう戦場に、トラキアの象徴であるお前が同行すれば、いらぬ勘繰りをされることになる。国家間の不要な摩擦を生み、我が国はおろか、彼女たちの歩みを阻害することになるぞ」
「……」
自らの知名度と影響力が足枷になる。
それを指摘され、ギュスターヴは反論の言葉を飲み込み、苦渋の表情で深く頭を垂れた。
「……御意に。我が王の仰る通りでございます」
(あぶねぇ……! 流石は王様だ、話のわかる常識人で助かったぜ!)
大陸最強のバケモノがずっと隣にいるという最悪のルートを回避し、ザックは内心でファルケ王に向かって深く手を合わせた。
一方で、悪鬼は「ちっ、特大の盾を使い損ねたぜ」とばかりに、面白くなさそうに小さく舌打ちをこぼす。
「エルマ・ファネリアよ」
「はい! ファルケおじ……王」
エルマのファルケに対する態度だけは他と異なる。そんな事実と、再び「おじさん」と呼ばれそうになってファルケはピクリと頬を引き攣らせたが、なんとか王としての表情筋を総動員して耐え抜いた。
「トラキアは、貴公らとの不可侵の盟約をここに誓おう。……背後は気にするな。前だけを見て、己の戦いを全うしてこい」
「はっ。とはいえ、念のため王国へ調査団は派遣いたしますが」
王の言葉に、傍らのユージーンが文官としての職務を全うすべくすかさず付け加える。
「ありがとう!」
その言葉に対し、相手が血縁者だとわかったエルマは将軍としての儀礼もすっかり忘れ、純度百パーセントの満面の笑みを向けた。
ファルケは限界を突破した庇護欲を抑えきれず、深々と俯いてしまった。
(あっ、やっちまいやがった)
無自覚な『おじさまキラー』の特大の一撃に、ザックは内心で頭を抱える。
「しかし、我が武のさらなる高みが……」
そんな王の限界など露知らず、ギュスターヴが未だに未練がましく呟く。
「……ギュスターヴよ。武ではない強さが知りたいのだな?」
「そうです」
俯いたままのファルケが、重々しく口を開いた。
「結婚しろ。それか養子を持て」
「……! 成程。そういうことであれば急ぎましょう。いや、しかし」
白銀の騎士は何か合点がいったように立ち止まると、真剣極まりない、純粋な探求心に満ちた瞳で、ザックとエルマを交互に見つめた。
「ザック殿とライカ将軍は、すでにそのような『強さ』を共有する仲なのでしょうか?」
「……は?」
武を極めた男からの、あまりにも直球すぎる踏み込み。
その場違いな問いかけに、ザックとエルマ(素)の間抜けな声が見事に重なった。
謁見の間に、なんとも言えない気まずい沈黙が落ちる。
「……そういうのは、詮索せんことだ」
限界を迎えて俯いたままのファルケ王が、疲労困憊の声でピシャリとたしなめた。
「御意」
ギュスターヴは納得したように深く頷き、大陸最強の騎士としての威厳をなんとか保ったまま、静かに引き下がろうとした。
「待ってくれ、ギュスターヴ卿」
踵を返しかけた白銀の騎士を、ザックの低く静かな声が引き留める。
先ほどまでの呆れ顔は消え去り、そこにあったのは、ダリア平原の死線を越えた戦士としての精悍な顔つきだった。
「ライドは……ライドは、弱かったか?」
凡人ながら数多の死線を這いあがってきた一人の男からの真っ直ぐな問い。
ピタリと足を止めたギュスターヴは、ゆっくりと振り返る。
「ライド……」
栄光の瞳が逡巡し、ふと、ザックの首元で揺れる粗末な布のお守りへと吸い寄せられた。
大陸最強の自身に向かって、無謀にも大剣を振りかぶってきた大男の姿が脳裏をよぎる。
死の淵にあっても決して折れることのなかった男の執念。それを背負って立つ目の前のザックの姿に、ギュスターヴの瞳が微かに揺れる。
「そんなことはない。誇り高き戦士だった」
「……ありがとうよ。そういうことだぜ」
ザックは不器用に口角を上げ、胸のお守りをそっと握りしめた。
力だけがすべてではない。強さの形は、一つではない。その真理を確かに受け取ったギュスターヴは、静かに息を吐き出した。
「あぁ……」
短く応え、ギュスターヴは傍らのユージーンを始め、謁見の間に控えるトラキアの十傑の騎士たちをゆっくりと見回した。
今まで、彼らのことを「自分が護るべき対象」としか見ていなかった。だが今、彼の瞳に映る騎士たちの姿は、先ほどまでとは明確に違って見えた。
己の後ろに隠れる弱者ではない。彼らもまた、胸の奥に決して折れぬ『戦士の誇り』という炎を燃やし、己の死地に立っているのだと。
強者の無自覚な傲慢さが削ぎ落とされ、大陸最強の騎士が、また一つ新たな高みへと至った瞬間であった。
その様子をみてザックは「余計なことしちまったかな」とため息をつくのであった。
「ふむ。エルマ・ファネリアよ、ダリアの戦いで其方等の仲間も多く散ったことであろう。恨むか?」
「恨む? それは、戦士として散った者たちに対する侮辱でございます」
エルマの菫色の瞳がスッと細められ、射殺さんばかりの鋭い眼光でファルケを真っ直ぐに見据えた。そこに宿っていたのは悲劇の令嬢の涙ではない。死線を越えてきた将軍としての、揺るぎない気迫だ。
(嘘ではないだろう)
ファルケは鷹揚に頷き満足げに微笑んだ。
「良い。であれば、やはり其方等は来賓である。なにギュスターヴの嫁探しも含め、今日は歓待の宴を開くとしよう」
「我が頂の為、恐悦至極にございます」
ギュスターヴの僅かにズレた返答が響く中、トラキアでの謁見はここに無事幕を下ろした。
(ちっとばかり予想外だったが、まぁ、盟約は貰った。上々だな)
『おじさんがいた。もう血縁は誰も居ないかと思っていた』
張り詰めていた糸が切れ、精神の奥底で純度百パーセントの喜びに頬を緩ませるエルマ。だが、そこへ悪鬼の冷や水のような低い声が落ちた。
(馬鹿娘。浮かれるな。ガルムは、ベルンの戦士たちは、無念のうちに散ったんだぞ)
『……わかっている』
悪鬼の言葉に、エルマの心の中で燃える黒い復讐の炎が再びパチリと爆ぜた。燃えるベルン。次々と散っていく黒曜の戦士達。そして、自身を逃がしてくれた父ガルムの大きな背中。今も鮮明に残っている。ドレスの内側に隠したペーパーナイフと刺繍針を強く握る。
すべてを奪った元凶の半身である帝国への憎悪。それを決して忘れることはない。
『わかっている。必ずケジメはつける。……だが、今だけは。今夜だけは許してほしい』
過酷な運命を背負う少女の切実な願いに、悪鬼はただ小さく鼻を鳴らし、それ以上口出しすることはなかった。




