8.人を騙すにはでけぇ本物の中にちいせぇ嘘を混ぜるのがいい
トラキアの中枢、アークヒルの王城。質実剛健という言葉を体現するかのように、過度な飾り気はなく巨大な防衛施設としての役割を果たすかのような堅牢な城である。
(これはこれは、正面からは落とせねぇな)
悪鬼はザッと周囲を見渡すと、内心でそんな感想を漏らした。
応接間で謁見の時を待つ間。ザックは額に滲む冷や汗を拭いながら、隣に座る青いドレス姿の将軍へ小声で囁いた。
「おい、エルマ、どうすんだよ。とりあえず謁見は叶ったけどよ……こっからは俺、何も知らされてないぞ」
悪鬼の行き当たりばったりに見える外交に巻き込まれた副長のボヤき。
それに対し、悪鬼はドレスの裾を優雅に整えながら、口角を獰猛に吊り上げた。
「まぁ、見てろよ。騎士の弱点はよ、武器と、か弱い令嬢と、ドラゴンだ」
「……は?」
「武器はあの武器オタク共に置いてきた。ドラゴンは生憎と持ち合わせがねぇ。となれば、使う手札は一つだけだろうが」
悪鬼の目が、ニヤリと三日月型に歪む。
直後、彼女の黄金の瞳がスッと鳴りを潜め、本来の透き通るような菫色へと切り替わった。
同時に、先ほどまで周囲を圧迫していたドス黒い覇気が嘘のように消え失せ、誰が見ても庇護欲をそそられる薄幸でか弱い令嬢の空気をその身に纏ってみせたのだ。
「さぁ、行きましょう、ザック」
「お前……便利だよな……」
エスコートさせるように差し出したエルマの手を握り、あまりの切り替えの早さと悪辣さにザックが呆れ果てた、その時、応接間に案内の騎士が現れた。
(この女……扉の向こうの足音に気付いて、即座に猫を被りやがったのか)
玉座の間へと続く石造りの廊下は飾り気がなく、幅が広いと思えば急に狭くなっていたりと、様々な迎撃の仕掛けが施されているのがわかる。
ギィィ……と、謁見の間の巨大な扉が重々しく開かれた。
玉座へ続く漆黒の絨毯。その両脇には、トラキアが誇る精鋭騎士たちが、微動だにせず冷ややかな視線を向けて並び立っている。
そして玉座の傍らには、先ほど「武器を取り上げる」という名目で、オーラリスと骨砕きをちゃっかり預かっていった大陸最強の騎士、ギュスターヴ・アレクサンドライトの姿があった。
奥。一段高い玉座から、威厳に満ちた重厚な声が広間に響き渡った。
「トラキア王ファルケである。遠路はるばる、我がアークヒルによくぞ参った」
静かな威圧感を放つ王に対し、エルマは優雅に、だが決してへりくだりすぎない完璧なカーテシーをとってから顔を上げた。
「お初にお目にかかります。帝国将軍、ライカ・ローサでございます」
――帝国。
その単語が発せられた瞬間、玉座の間を囲んでいた騎士たちが一斉にざわめき、数人が反射的に剣の柄に手をかけた。
最近まで帝国と干戈を交えていたのだ。敵国の将軍が、あろうことか堂々と王の御前に現れたという異常事態。
「静まれ」
ファルケ王の短く鋭い一喝で、広間は再び静寂を取り戻す。
王は目を細め、眼下に立つ美しい女将軍を真っ直ぐに見据えた。
「ギュスターヴに恥をかかせるな。……銀狼か。金にしか見えんな。何も打算もなしに、この場で帝国の名を出したわけではあるまい。……申せ」
「深謀遠慮、御明察にございます」
エルマは静かに頭を下げた。
次の瞬間、顔を上げた彼女の菫色の瞳には、大粒の涙が溢れんばかりに溜まっていた。
「……!?」
先ほどまで将としての毅然とした態度を崩さなかった絶世の美女が、突如として見せたか弱き令嬢の涙。
予想外すぎる反応に、周囲の騎士たちがぎょっと息を呑み、動揺の波が広がる。
「わたくし……『ライカ』は偽名でございます」
エルマは声を震わせ、両手でドレスの胸元をきつく握りしめた。普段より少しだけ胸元を緩めている。
「本名は、エルマ・ファネリア。ルーク・ファネリアの孫にあたります」
「……なんと!? ファネリア家の!? あのルーク卿の孫娘が、なぜ帝国の将軍などに……!」
ギュスターヴより更に下段に立つ騎士が驚愕の声をあげ、ファルケ王の目がわずかに見開かれる。
その傍らに立つギュスターヴの白銀の瞳も、微かに揺らいだ。先日、ザックが言い放った「ファネリアの孫娘」という言葉の真意が、ここで繋がったのだ。
「復讐の……ためでございます」
そこから、エルマの悲痛な「独白」が始まった。
ユベール公爵による度重なる搾取。時にはエルマの身売りも求められたこと、何の罪もないベルン領の民たちが理不尽に焼かれたこと。逃げ延びた先で力を得るため、魔物を倒し、時には草を食してなんとか飢えをしのぎながらも素性を隠して帝国の傭兵へと身を落とし、血に汚れて生き抜いてきたこと。
そして、王国を狂わせたユベールを討つため、祖父であるルーク卿、祖母のカリスタが己の命と引き換えに彼女を導いてくれたという……真実と見事なまでの誇張を交えた、極上の悲劇のストーリー。
「おじい様、おばあ様は……私に、オルディスを託して……ッ」
ポロポロと涙をこぼし、儚く項垂れる悲劇の令嬢。
語り終えた時、玉座の間の空気は、先ほどまでの冷たい緊張感から、煮えたぎるような義憤へと塗り替わっていた。
玉座に座るトラキアの頂点、騎士王ファルケ。
自らも武に生き、誇りを何よりも重んじるその威厳に満ちた顔には、他国の高潔なる騎士の悲惨な末路と、眼前の健気な令嬢への同情、そして彼らを弄んだ者たちへの静かで激しい怒りが深く刻まれていた。
騎士王ファルケが、怒りに耐えかねて玉座の肘掛けを強く握りしめる鈍い音が響く。
ふと視線を上げると、大陸最強の騎士ギュスターヴだけは感情を見せない顔をしていたが、わずかに手を握りしめているのが見えた。
「おのれ、オルディス!!!」
騎士王ファルケの腹の底から絞り出されたような咆哮が、玉座の間にビリビリと響き渡る。
「王よ。些か冷静になられよ。こちらのファネリア家のご令嬢の言には、まだ確証がとれず……」
その怒れる王を宥めるように、傍らに控えていた男――側近のユージーンが進み出た。同情と義憤に呑まれつつある広間の中で、彼だけが辛うじて理性を保ち、冷や汗を流しながら諫言する。
「ユージーン! ファネリア家は我が王家の遠縁である!!」
「――ッ!」
王の口から飛び出した衝撃の事実に、ユージーンのみならず、背後で控えていたザックまでもが目を見開いた。




