7.ひさしぶりだぜ銀ギラ
――無明を照らす白銀を。
――全ての光を、その身に受け。
――我らが希望、我らが光、輝かしき栄光の騎士。
――見よ、アレクサンドライトの騎士が勝利を運んできた。
ザックは、この国の民なら誰でも唱和できるというアレクサンドライト家の讃美歌を、頭の中で反芻していた。
案内役を務めたカリオンがこういった手続きにおいて優秀だったからか、さほど日を跨ぐこともなく、ザック達はトラキアの中枢にてギュスターヴと面会することができた。
「……」
沈黙するギュスターヴを前に、ザックは額に浮かぶ冷や汗を必死に抑え込んだ。
一段高く設けられた主の座に腰掛けるギュスターヴは、黒髪から覗く精巧な作り物のような顔に一切の感情を浮かべることなく、ただ静かにこちらを見つめている。
剣を抜いているわけでも、殺気を放っているわけでもない。それなのに、その赤紫の瞳に見据えられているだけで、全身の急所に刃を突きつけられているような幻痛が走る。
「ようこそ、我がアークヒルへ。オルディスの『ナイト』、ザック・ロー殿」
氷のように透き通った、静かな声が広間に響いた。
「ところで、ルーク卿はご健勝かな?」
(……ッ!)
出鼻を挫かれた。ザックが事前に用意していた外交辞令を飲み込み、どう切り返すか思考を巡らせようとした瞬間、ギュスターヴの冷たい声がさらに続く。
「そこのカリオンが顔を腫らせて私に知らせにきた。私は、わからないことを放っておいて話を進めるのが嫌でね。まず、何故、我が国のベルガの領主がこのような様相になっているのか。知っていたら説明していただきたい」
傍らに立っていたカリオンが、青あざの残る顔を伏せてビクリとその身を震わせる。そして、縋るような目でザックを見上げてきた。
(仕方ねぇな……)
と、ザックが彼を庇うための言い訳を口にしかけたところで、今度は自身の上司によってそれを止められた。
「急に求婚されてな。私は自分より弱い男は駄目なもんで、ちょっとばかり試合をさせてもらった」
「成程。あっさりと正体を現すのだな。銀狼」
バサリとフードを取り払い、金の髪を揺らした美女へ。ギュスターヴはピクリと眉を動かすと、腰に下げている剣の柄に静かに手をかけた。
「貴殿も私に求愛か?」
張り詰めた空気の中、エルマは剣の柄に手をかける大陸最強の騎士に対し、小首を傾げて悪びれもなく嗤ってみせた。
「貴公は確かに美しい。が、痴れ者め」
ギュスターヴは微塵も表情を変えることなく淡々と切り捨てると、その視線をエルマの隣で硬直している副長へと向けた。
「そこなザックも、先の戦場で忘れもしない。――我が歩みを止め、退路を開いた帝国の勇者だ」
(あ、うれしい)
胃に穴が空きそうなほどの極限の緊張感のただ中で、大陸最強の騎士から名指しで『勇者』と称賛されたザックは、思わず内心でちょっとだけ頬を緩ませていた。それは、アスタロッテの狂信者たちから押し付けられた「神託の戦士」というハッタリの称号とは比べ物にならない、戦士としての本物の誉れであった。
「貴公等はわかっているのか? 怪しさしかないその身を」
ギュスターヴの鋭い追及に、エルマは小首を傾げた。
その瞬間、彼女の澄んだ菫色の瞳が、禍々しくも獰猛な黄金色へと転ずる。
「わかんねぇな。お前なら力づくで俺等を組み伏せることだってできるだろ? まどろっこしいぜ」
悪鬼は口を三日月型に吊り上げ、ニヤリと嗤った。
その豹変を前にしても、ギュスターヴは微動だにせず、ただ静かにその目を細めた。
「出たな。……心と体が混ざり始めてる、か」
「どうでもいいだろ? それは、俺らが帝国の将軍でありながら、王国の使者として来ているってことも同じさ。どうでもいい。……お前にはな」
悪鬼の不遜な物言いに、傍らのカリオンや騎士たちが殺気を放つ。だが、ギュスターヴは片手でそれを制した。
「一国の重鎮として、そう簡単に切り捨てられぬ立場だ」
「くだらねぇな。お前はそうじゃないだろう。お前は歯車だ。自国防衛の歯車さ」
「言われなくても存じている。そして、貴様に言われるのは何故か、些か腹が立つ」
「そんな感情、今は捨てろ。そして、役割を全うしろ」
「……納得できん」
玉座の間で交わされる、異常な密度の会話。
ザックは息を呑んだ。言葉の裏に隠された幾重もの思惑と、両者から放たれる空間を軋ませるほどの濃密な覇気。
周囲の騎士たちもザックも、もはや口を挟むことすら許されない。超常の強者二人の間だけで、国と国を天秤にかける恐ろしい交渉が、彼らを置いてけぼりにして進んでいくのだった。
「お前が護ればいいだろ? 俺らがどうかしたところでよ」
「無論、そうする。が、事前に防げるものなら防ぐのが道理だろう」
「あー、あー、アレクサンドライトの騎士は最強じゃないのかねぇ。こんな俺らに恐れをなして」
「む。挑発には乗らん」
氷のように冷徹な問答。だが、悪鬼は不意に口角を意地悪く吊り上げ、ギュスターヴの顔を指差した。
「色々、立派な御託を並べてはいるがよぉ。わからんとでも思ったか? お前、さっきからザックの腰の『オーラリス』に興味津々じゃないか」
「……ッ」
「いやー、ちっちゃいねー。国がどうのこうの難癖つけて、そのカッコいい武器を取り上げたいだけじゃないのぉ?」
「なっ!? 違う! アストライア! 違うぞ!」
精巧な作り物のようだったギュスターヴの顔面が、今日初めて激しく動揺に歪んだ。
あろうことか大陸最強の騎士は、慌てて己の腰に帯びた愛剣アストライアの柄を両手で包み込み、まるで嫉妬する恋人を宥めるかのように必死に弁明を始めたのだ。
「え、あ……見る?」
あまりのポンコツっぷりに一瞬で毒気を抜かれたザックが、気遣うようにオーラリスを鞘ごと腰から外して差し出す。
すると、愛剣を宥めていたはずのギュスターヴの瞳が、ピタッと吸い寄せられるようにオーラリスの方へ動いた。
「卑劣なり! だが、見る! おぉ、オルディスのファネリア家の宝剣オーラリス……美しい」
「……ブレねぇお前は少し好きだぜ」
ギュスターヴはザックから手早く鞘ごと受け取ると、そっと刃を引き抜き、その輝く刀身を眺めてうっとりとした吐息を漏らす。すると、カリオンをはじめとする周囲のトラキア騎士たちも、威厳などかなぐり捨ててわらわらとその場に群がってきた。
「流石は名高いオーラリス。剣の先端に重心が寄せられておりますな?」
「ああ、そしてこの柄はなんだ? 微かな魔力を帯びているように感じる。持ち主に最適な太さに変わるようだ。ほら、我等が持ったところで、途端に不快な太さに形状を変えてきている」
「そもそも、この剣の材料からして不明である。アストライアと同様、まさに神器と呼ぶにふさわしい!」
先ほどまでの殺伐とした空気はどこへやら。剣を囲んでブツブツと早口で検分しはじめた騎士達に向けて、悪鬼はニヤリと底意地悪く嗤った。
「で? 存分に堪能したか? まさか、タダで見せるわけないのはわかるよな? 誇り高き騎士サマ方は、そんな恩知らずで卑怯な真似はしねぇよなぁ?」
その言葉に、ギュスターヴはハッと我に返り、オーラリスを素早く鞘に納めてザックへと返却しようとして、名残惜しそうに引き戻してからやはり返却した。そして、気まずそうに咳払いをする。
「……何が望みだ」
「王に会わせろ。玉座の間では、俺らの武器を取り上げてもいい」
「危険だ。我が王に貴様のような危険人物を近づけるわけにはいかぬ」
「なら、お前も同行しろ。大陸最強の騎士サマが傍にいれば安心だろ?」
「……くっ。騎士の性分の弱みにつけこんで」
ギュスターヴが苦渋の表情で唸る。悪鬼はさらに追い打ちをかけるように、口角を深く吊り上げた。
「俺の好意で国宝級の剣を見せたってのに、無下にする気か? 見ると言ったのはお前だぜ。断るなら、俺は今から全力で逃げて、今の一件を大陸中に言いふらしてやるよ。『トラキアの騎士共が寄ってたかって、ファネリアの孫娘からオルディスの宝剣を強奪しようとした』ってな。民は思うはずさ。そもそも、なぜオルディスのオーラリスがここに? ってな。誇り高きお前らが他国の宝剣を囲んで群がっていた状況は、噂を事実にするには十分すぎるよなぁ?」
騎士の誇りと名誉を人質に取った、悪鬼流の外交。
退路を塞がれた、いや、退路はあるのだが罪悪感に苛まれたギュスターヴは、重く、深く溜息を吐き出した。
「孫娘? まぁ、よかろう。しばし待て。だが、あとでその大剣も見せろ。それで良い」
「ちゃっかりしてやがるぜ」
白銀の騎士は、投げかけられたその単語に微かな疑問を抱いたように眉を顰めたが、今は深追いを避け、大剣(骨砕き)への執着を堂々と見せつけた。
こうしてザック一行は、王との謁見の許可が下りるまでの間、トラキアの中枢『アークヒル』の賓客として滞在することになったのである。




