5.ナメたこと抜かしてんじゃねぇぞ?
交易都市ゼラから北へ馬を進めること数日。ベルベットは、かつてダリアと呼ばれた焦土の上に立っていた。
美しい平原に囲まれた素朴な街は、今や緑のすべてが炭と化している。モルス山脈から吹き下ろす冷たい強風が、黒焦げた建物の残骸を容赦なく削り、街の形跡を少しずつ世界から消し去ろうとしていた。
「酷いものだな。あのダリアが、このような炭の残骸に変わり果てるとは。……すまない。私の力が及ばぬばかりに」
ベルベットは馬から降りて片膝をつき、静かに黙祷を捧げる。
目を開くと、日の明かりに少し目が眩んだ。メトスの季節にしては日差しが強い。それは彼自身のやり場のない怒りがもたらした錯覚なのか、偶然そういう日なのか。
ゆっくりと立ち上がり、自身の軍勢を眺める。万を率いる帝国将軍達に比べて、なんと少ないことか。その数、およそ三千。
他者に背を預けず、ただ己の力を信じて進む孤高の性分。それゆえに、彼の元から去っていく者は多い。かつてヴィクトリア砦の増援に遣わしたダルトンも、すでに第二皇子派へ寝返っている。
(いまや、フォルテの方がよほど将軍らしい)
ベルベットは自嘲気味に口角を上げると、腰の剣を静かに抜き放った。
「よく目に焼き付けておけ。これがゾーラのやり方だ。我等ダイタスとデラードは、このような非道を断じて許さん」
冷徹に響き渡る皇子の声に、三千の兵たちが息を呑む。
「帝国は武を尊ぶ国家だ。そこには、決して失ってはならない誇りがある。これはなんだ? 戦士の所業か? ただの虐殺だろう。……ここから先は、ゾーラとの対決でもある。今一度、諸君等に問おう。この光景に少しでも同調する者がおれば、今すぐこの軍を離れよ。咎めはせぬ」
ベルベットは氷のような青い瞳で兵達を見渡した。
風が吹き抜ける。だが、誰一人として、その場から動こうとする者はいなかった。
「……重畳である。諸君等が誇り高き帝国の戦士であること、このベルベット、身が震える思いだ。それでは、行くぞ」
ベルベットが自ら志願したのは、モルス山脈を隔てた帝都東部の制圧。ゼラからの補給線を守りながらも、レーヌ川を越えてラビィ王国とモルス北部の裾までを抑え込む過酷な任務である。
(フォルテよ。たまには兄らしいところを見せてやる。だから、この兄の弟として……バレリィを頼むぞ)
ベルベットは、静かに空を見上げた。
さっきまで彼の目を焼いたはずの強い陽光はすでに雲に隠れ、見上げればそこにはただ、メトスの季節特有の冷たい鈍色の空が広がっているだけであった。
* * *
「こちらへどうぞ」
案内役の兵に先導され、ザックたちは石造りの館へと足を踏み入れた。
アスタロッテとオルディス、二ヶ国の名が記されたハッタリ書簡は、見事に効果を発揮したらしい。国境の守衛から直ちに近隣の領主へと話が通り、ザックたちはここ、トラキア南部の地『ベルガ』を治める領主の館へと通されることになったのだ。
(あぁ、もう。ヤケだぜ)
ザックはキリキリと痛む胃をポーカーフェイスで覆い隠しながら、隣を歩くレイドルドと共に油断なく視線を配る。そのさらに後ろでは、ローブを目深に被ったこの無茶振りの元凶が、飄々とついてきている。
やがて通された、質素ながらも手入れの行き届いた応接室。
そこでザックたちを待ち受けている人物こそが、領主だろう。
「遠路はるばるようこそ、我がベルガの地へ。私がこの地を治める領主、カリオン・ベイルでございます」
透き通るような、穏やかな声。
ザックは思わず目を瞬かせた。
目の前に立っているのは、色素の薄い茶色の髪を揺らす、ひどく若い騎士だった。
トラキアの騎士という響きからは程遠い。むしろ、「童顔だ」と指摘すれば本人が眉を吊り上げて怒りそうなほど、あどけなさを残した整った顔立ちをしている。
帝都の裏通りや貴族のサロンにいる、その手の趣向を持ったご婦人方が見れば、黄色い悲鳴を上げて群がりそうなほどの優男であった。
(……おいおい。これで一国の国境を任されてる領主様かよ)
ザックは内心で拍子抜けしつつも、決して油断はしない。
大国ガルヴェリアのいち副長として数多の修羅場を潜り抜けてきた彼の嗅覚が、目の前の若い騎士から、研ぎ澄まされた剣気を感じ取っていたからだ。
「私が、『ナイト』の称号を継ぐ者、ザック・ローだ。突然の訪問にも関わらず、席を設けていただき感謝する」
ザックは低く通る声でそれに応え、腰に吊るした宝剣オーラリスに手を添えて、堂々たる騎士の礼をとってみせた。
「オルディス王国の『ナイト』……ルーク・ファネリア卿の称号。まさか、それを継ぐお方に直接お会いできるとは。光栄の至りに存じます」
カリオンの瞳に、純粋な敬意の光が宿る。
どうやら、ナイトのハッタリは通用しているようだ。そもそもハッタリではないのだが、ザックにはまだナイトの自覚があまりない。
ザックが密かに安堵の息を吐き出そうとした、その時だった。
「――して、そちらでローブを被っておられるお方は、どなたでございましょうか」
カリオンの澄んだ瞳が、ザックとレイドルドの背後……音もなく佇む『ローブの女』を真っ直ぐに射抜いた。
一見すればただの少し怪しい程度の従者。だが、若き領主の騎士としての本能が、そのローブの下に隠された得体の知れない気配を鋭く感じ取っていたのだ。
(ほーう?)
背後で、ローブの奥の悪鬼が、楽しげに喉の奥を鳴らす気配がした。
「ああ、これは失礼。私はエルマ。ただのエルマでございます」
フードを外すと、カーテシーでもなく騎士礼でもなく、ただ静かに頭を下げる。
「――ッ!?」
フードをとった瞬間に、カリオンの動きが凍り付いた。
「あの、いかがいたしましたか?」
「い、いえ、あまりに美しいので。あの、エルマ嬢……その」
(あーあ……またか)
ザックは内心で深々と溜息をついた。
「私と一生を添い遂げませんか?」
カリオンの動きではなく、応接室の空気が文字通り完全に凍り付いた。
(予想の斜め上をいきやがった!)
ザックは溜息を通り越して、胃液が血のブレスとなって口から噴き出しそうになるのを必死に堪えた。
「あ、私、自身より強い御方じゃないとだめなので……」
「それならば証明してみせましょう! おーい! 訓練場の準備を!」
カリオンは顔を真っ赤にして叫びながら、バタバタと応接室から走り去っていってしまった。
「……カリオン様が申し訳ありません。少々、ああいう直情的なところがございまして……。負けてもしっかりお止めしますので、適当にお相手していただけると助かります」
壁際に控えていた彼の部下達が、口々に申し訳なさそうに頭を下げる。
「エルマ、いいのか? ……あ」
「負ける? 負けるだと……? ああ、憤るな小娘。楽しいじゃねぇか。そして、愚問だぜ? ザァーーーック」
ザックが振り返ったそこには、黄金の瞳をギラギラと輝かせ、口を三日月型に吊り上げた狂戦士――ライカ・ローサが顕現していたのだった。
「……ほどほどにしろよ」
ザックは、なんとか振り絞ってそれだけを吐き捨てたのだった。




