38.刺繍針は黒曜の煌めき
「ウォォォォォォォォォォォ!」
騎士の巨体が体を仰け反らせて身を震わせる。剣と化した石柱を叩き付けると、床に地鳴りのような亀裂が走った。
「受けて立つ!」
エルマはその石柱に飛び乗ると、白銀の鎧からドレスの裾をたなびかせ、金の残像を残して騎士へ『骨砕き』の一撃を振り下ろすが、騎士は巨体を捻ってそれを避けた。
「レイドルド! アレク! 手を出すな!」
「了解だ。お嬢」
「姫様……ありがとうございます」
加勢に駆けだそうとする二人に制止の声を投げる。
それに呼応するように、騎士は再び雄叫びを上げる。
「ち、から、わざ、を、くもつに」
肉塊の騎士から、重なり合ったまばらな声が発せられる。
「――ッ!? ……ああ、そうだ。心臓を刃に捧げよ。戦え! 狂うように!」
エルマはその双眸を目いっぱいに見開いてから獰猛な笑みを浮かべた。
「わが、われら、が、とうそう、我等が! 闘争をみよ! 帝国将軍!!」
騎士達がまばらに呻き、徐々にそれらの声が一つになり、それが帝国の猛将へと降りかかる。
「ああ、抑えてみろ。ライカ・ローサの蹂躙を!」
振り下ろされる柱に剣の腹を滑らせ、その反動を利用して宙へ跳び、体をひねる。着地と同時に低く飛び出して騎士の脚に一撃を加えた。
黒い血が噴き荒れる。
「ぐう!?」
「これで膝を折らぬか! 流石だな騎士達よ!」
「見くびるな!」
巨体に似合わぬ俊敏な動作でバックステップを踏むと、柱を身に隠すように後ろに構え、腕が、脚が、すべての筋肉が異常に隆起する。
「我等の誇り、闘争の果てに見つけたこの一撃、帝国を打ち砕くべく振るおう。刮目しろ! そして滅べ! 帝国よ!」
全ての力をかけた一撃。たっぷりと溜めを作ってから、エルマの頭上へと振り下ろされる。
音を置き去りにした一撃が大理石の床に深くめりこむ。衝撃で轟音と塵が舞い上がった。
「見たぜ。ああ、見たわ。お前らは立派な武人であり戦士だ。だから――もう眠れ」
土煙を突き抜け、声が降ってきた。
すでに騎士の頭上へと跳び上がっていたエルマが、大上段に骨砕きを構える。そして、大剣が縦一文字に白銀の軌跡を描くと、騎士の巨体が深々と両断された。
左右に分かたれた異形の巨体が、まるで巨大な城壁が崩れ落ちるように、ゆっくりと石造りの床へと倒れ伏す。重い地鳴りが玉座の間に響き渡り、舞い上がった塵が静かに降り注いだ。
「ありがとう……」
「礼には及ばん」
エルマは『骨砕き』を片手で鋭く横に薙ぎ、分厚い刃にこびりついた黒い血を冷徹に振り払った。
青いドレスをたなびかせ、黄金と菫色の双眸で静かに骸を見下ろす。その立ち姿は、ただの一介の戦士ではなく、戦場を統べる覇王の如き威風を放っていた。
「だが、我等は眠ることすら許されず……」
騎士の悲痛な声の通り、両断された肉体の断面から、無数の赤黒い繊維が這い出し始めた。千切れた身体を再び縫い合わせようと、グチャグチャと悍ましい音を立てて蠢き、呪われた不死の肉塊が強制的に再生を試みる。
「問題ない。この玉座の間で火葬してやる。アレク! レイドルド! 火弾槍を撃て!」
「御意!」
「結構、熱いぜ」
二人は床に転がったままの火弾槍を拾い上げ、引き金を引いた。
放たれた火弾が騎士の肉体に吸い込まれる。間を置いて、一発、また一発と放たれると、騎士はついに浄化されるように全身を激しく燃え上がらせた。
――戦士の誇りが我等を奮い立たせ
――闘争の果てに、汝らは理想郷に辿り着くのだ
一人、また一人と戦士が詠う。
それは、悲しくも美しき戦士の火葬だった。
燃える。肉が焼け、炭化し、灰になる。呪われたその身は再生が追い付かず、徐々にその図体を小さくしていく。
エルマと戦士達はそれを沈痛な面持ちで見守る。目を背けてはいけなかった。大義を持ち、誇りを懸けて死に行くものを侮辱する者は、この場には一人たりとて居ない。
そして、最後に『指輪』と『黒く長細い物』が残った。エルマは歩を寄せる。
「痴れ者が」
そう吐き捨てて、ブーツの踵でそれらを踏み砕いた。
――その刹那。砕けた残骸からおぞましい黒色の光が放たれ、それは一条の線となって窓を抜け、天の彼方へと飛び去っていってしまった。
(……チッ。逃げやがったか。ゲロみてぇな匂いを置き土産にしやがって)
悪鬼は内心で舌打ちをした。消え去った黒い光から感じたのは、底知れぬ悪意の塊。
だが、今はそれを追う術はない。
怪訝な顔で黒い光を見送った後、エルマはゆっくりと振り返った。
その視線の先にあるのは――アレクに殴られ、大理石の床の上で白目を剥いて気絶している、狂王ユベール公爵の無様な姿だ。
「……こいつの処遇は、追って私が下す。絶対に楽には死なせない。先ずは、お遊び程度だ。街中引き回せ」
すべてを奪った元凶を見下ろす瞳は、これ以上なく冷酷で、大悪令嬢としての絶対的な威厳に満ちていた。
そしてエルマは、広間に立つ血まみれの戦士たちをぐるりと見渡し、高らかに宣言した。
「オルディスは制圧した。――皆、凱旋パレードだ」
* * *
ユベールは、重い眠気眼をこすって辺りを見渡した。
ステンドグラスから柔らかな光が差し込む、美しい教会だ。祭壇には花が飾られ、神聖な空気が満ちている。
そうか、ついにこの日が……!
「ユベール様」
夢にまで見た、美姫の鈴を転がすような美声が耳にすっと入る。
純白のウェディングドレスに身を包んだ彼女が、恥じらうように俯いていた。
「ああ、アデレータ……なんて綺麗なんだ」
「フフッ」
ユベールの言葉を受けて、ベール越しの彼女が愛らしく微笑む。
その傍らで、薄緑色の鎧を身に着けた神父が、厳かに式を進行し始めた。
「汝、ユベール・オルディス。病める時も健やかなる時も、如何なる苦難が訪れようとも……神の御前において、この者に永遠の愛と『償い』を捧げると誓うか?」
償い? 神父にしては身に着けている鎧が気にはなったが、歓喜で脳が沸騰しているユベールには些細なことだった。
「誓う! 誓うとも!」
「ユベール様。私の望みを叶えてくださるかしら?」
「ああ! 何でも叶えてやる! 私に不可能はない!」
感極まったユベールは、震える手で純白のベールを捲り上げた。
「ええ、嬉しいですわ。それでは――」
「ああ!」
ベールの下にあったのは、愛しの女の微笑みなどではない。
氷のように冷たく、憎悪と殺意を湛えた大悪令嬢の貌。
「生ける肉塊となりて、その魂をもって償え」
「ガッ!? ギャアアアアアアアアッ!?」
「刺繍は得意なんだ」
ロマンチックな幻影は、激痛と共に粉々に叩き割られた。
エルマは純白のドレスの袖から冷たい『刺繍針』を滑り出させると、ユベールの眼球に容赦なく深く突き刺したのだ。その軌跡は黒曜のように美しく、冷酷に煌めく。
悲鳴を上げてのたうち回る男の胸元へ、彼女は間髪入れずに、王の死体から引き剥がした宝玉を強引に叩き込み、その身体を宝玉から伸びた鎖で拘束した。
「ハハ! お母様も王国の至宝と呼ばれていた! 宝が好きだろ! そら、お似合いだな! さぁ、ベルンの者たちよ、民よ。存分に恨みをぶつけるがいい。いくらでもやれ。なに、死にたくても死ねん」
エルマは、菫色の瞳を輝かせながら美しい純白のドレスに返り血を浴びたまま、無様に蠢くユベールを教会の外へと無造作に蹴り出した。
扉の外で待ち構えていたのは、彼にすべてを奪われ、搾取され続けてきた無数の民衆たちの、燃え盛る怒りと殺意の壁。
「ユベール公爵万歳!!」
誰かが皮肉たっぷりに叫ぶ。
それが、ユベールが正気で聞いた、最後の言葉となったのだった。




