35.邪魔するぜ
「フハハハハハ! 次は何してくる? 見せろよ! オイ、足らねぇぞ! 王宮ゴブリン!」
空気を焼く轟音と共に迫る火球を、悪鬼は『骨砕き』の腹で豪快に弾き飛ばす。分厚い大剣が風車のように振り回されるたび、裏庭に凄まじい暴風が吹き荒れ、火の粉が散る。
殺意と火弾が飛び交う絶体絶命の戦場だというのにユベールは、その指に嵌められた宝石を妖しく光らせる。
戦場でありながら、彼はまるで恋人と語り合うような、甘ったるく狂った声で一人囁き続けていた。
「ああ、アデレータ。早く優しい君に戻っておくれ。君のその瞳を見つめ、熱い口づけを交わしたいんだ。そうだな、初夜は長くなるよ。だってこんなにも待たされたのだから。執務が滞るだって? あっは、君は本当に思慮深くて素敵な女性だ。文句はいわせないよ。僕は公爵なのだよ?」
吐き気を催すほどの妄言と、悪鬼の殺意が同居した戦場。
「気色わりぃ。帝都の娼館にハマリすぎて付きまといしてたやつが、全く同じツラしてたぞ」
「……」
息を荒げながらザックが嫌悪感露わに吐き捨てる。
その傍らで、レイドルドはかつて国を導くはずだった重鎮のあまりの醜悪さに、屈辱と怒りで唇を血が滲むほどきつく引き結んでいた。
「純愛じゃねぇか! 俺もゴブリン語はわからねぇからな! 王宮ゴブリンの翻訳はありがてぇぜ! 論文だしたらゼーレのアカデミーあたりが喜びそうだな!」
ユベールの妄言も悪鬼は笑い飛ばす。そして、骨砕きを背中の固定具にしまい、壁から引き抜いた訓練用の剣を両手に持つ。
「慣れちまったよ」
迫りくる火球をこともなげに打ち落とし、両手の剣をそのまま手首を返して投げつけた。
二振りの剣が、それぞれ近衛兵の肩や胸に深々と突き刺さる。が――彼らは苦悶の声をあげることもなく、血を垂らしながらも機械のように照準をこちらに合わせ直した。
「ほーう?」
悪鬼は目を細める。薄暗い広間の中では見辛かったが、明るい裏庭に出た今ならはっきりと確認できる。
近衛兵の顔には血の気が一切なく、焦点の合わないうつろな目を彷徨わせている。
「アデレータ! アデレータ! 子供は何人いてもいいさ!」
近衛兵の奥で発情するユベール。悪鬼はザックに目配せを送る。意図を察したザックは小さくうなずき、レイドルドに素早く耳打ちをした。
「御意!」
レイドルドは壁際へ走ると、立て掛けられた無数の剣を、次々と猛スピードで乱雑に投擲し始めた。
放たれた火弾が空中で投擲された剣と激突し、黒煙を上げながら力なく落ちていく。
「いくぜ! イィィィィヤッハァァァァァァァ!」
弾幕が逸れた一瞬の隙。悪鬼は姿勢を極限まで低くし、煙を潜り抜けるようにしてユベールから最も遠い位置で構えている近衛兵の一人へと肉薄する。
走りつつ背中の固定具から『骨砕き』を抜き放ち、獰猛に嗤った。
「骨どころか、魂まで砕いてやるよ」
悪鬼は近衛兵へ向けて、骨砕きを両手で力任せに叩きつけた。
袈裟懸けに放たれた巨大な質量の暴力。分厚い大剣が近衛兵の防御ごと骨を粉砕し、鎧ごと身体をひしゃげさせて破裂させる。
(こいつぁ、すげぇ)
『……私の骨砕きよ』
(ケチくせぇこというな。最近はずっとお前に任せていただろ、少しは俺にも自由に使わせろ)
悪鬼は感嘆の声をあげつつ、バックステップで一旦距離を取った。
試しに本気(両手)で振ってみた骨砕きの威力が予想を超えていたのだ。遠心力と重量が完璧に噛み合ったその破壊力に、悪鬼は手元の大剣を面白そうに見つめる。
「何をしている? 早く救出しろといっているだろう?」
だが、階段上のユベールは、破裂した近衛兵の残骸をただのゴミでも見るように一瞥すると、苛立たしげに吐き捨てた。
「相変わらず使えないゴミ共だ」
彼が手を振ると、指に嵌められた宝石から、おぞましい赤黒い光が放たれ、広間の空気を包み込んだ。
その瞬間――倒れた近衛兵の肉塊がドクン、ドクンと不気味な脈動を打ち始めた。
「悪党! 戻れ! ちょっと匂いがやばい! って――」
「んなこたぁわかってんだよ」
ザックが肌を刺すような死の匂いに絶叫したが、悪鬼はすでに戦線の後方、ザックの真横にまで退避を完了させていた。
脈打つ肉塊が互いに引き寄せられ、グチャグチャと音を立てて融合していく。徐々に異形へと形作られていくその過程で、悪鬼は牽制にいくつか剣を投擲してみるが、刃はずぶずぶと肉の沼に飲み込まれるばかりで、ダメージを与えている気配が全くない。
(弾幕はもうあまり心配ねぇ。ってこたぁ、あんな気色わりぃモンに付き合ってここで戦う理由もねぇ。まずは、ちゃっちゃと婆さんの約束ってやつを守らねぇと小娘がまたうるせぇ。それに、王宮ゴブリンの狙いはこっちだから囮としてもやりやすいぜ)
視線の端に、王宮の室内へと繋がる大きな飾り窓が入った。悪鬼は即座に判断する。
「レイドルド! ザックを持ってついてこい!」
「ハッ! 火弾は私が打ち落とします故、姫様はなされよ!」
「俺が姫ってなぁ、世も末だぜ」
「姫様は姫様でございます!」
悪鬼は走る。ユベールが陣取っている裏扉からはギリギリ射程圏内、だが薄くなった火弾の弾幕はレイドルドに悉く打ち落とされる。
「待て! どこへ行く帝国! アデレータを置いていけぇぇぇぇ!」
狂王の悲痛な叫びを背中で聞き流し、悪鬼は窓へと跳躍した。
「ウラァァァァァ!」
アレクを思わせる獣のような咆哮を上げ、悪鬼は『骨砕き』の分厚い刀身を、石の窓枠ごと窓ガラスに力任せに叩き付けた。
派手な破壊音を響かせて壁に大穴を開け、そのまま王宮の室内へと強引に潜り込んでいく。ザックを背負ったレイドルドも、それにピタリと続いた。
「最上階の玉座までいくぞ!」
「承知いたしました。姫様、その突き当りは左でございます。四番目の扉を抜けてください」
迷路のように入り組んだ王宮内部。悪鬼は指示通りに角を曲がり、赤絨毯が敷かれた回廊を、軍靴で迷いもなく駆け抜けていく。
「おお、さすがエリート騎士! 頼りになるぜ王宮案内人!」
「ザック殿、人を担いだまま走っているのです、からかわないでいただきたい!」
「すまねぇ!」
悪鬼は行く手を阻む重厚な扉を『骨砕き』で粉砕し、強引に次の区画へと突入した。
舞い散る木片を避けながら、悪鬼はふと訝しむ。わからないのだ。レイドルドの行動原理が。軽口は叩きあったが、理解ができない。
薄暗い大階段を二段飛ばしで蹴り上がりながら、悪鬼は背後へ投げかけた。
「レイドルド。王国騎士が反旗を翻すには相当な理由がいるはずだぜ? お前、本気なのか?」
「唐突ですね。姫様。――右です! その先の螺旋階段を上へ!」
レイドルドの指示に合わせ、悪鬼は急角度の石造りの階段へと躍り出る。
上から駆け下りてきた数人の王国兵が槍を突き出してきたが、悪鬼は歩みを一切止めず、下からの一閃で鎧ごと両断した。
鮮血が白い壁を赤く染める中、ザックを担いだレイドルドが血溜まりを飛び越えながら答える。
「――私は騎士なのです。騎士は、王政が違えたら正す役目も担っているのです」
「正すってか? このままだと王国そのものがなくなるぜ?」
さらに上の階。煌びやかなステンドグラスが並ぶ渡り廊下を疾走する。夕暮れの光が、三人の影を大理石の床に長く伸ばしていた。
「カリスタ様はおっしゃいました。王国は『民』です」
「それなら最初から王国じゃねーだろうが」
悪鬼が鼻で嗤い、最上階へと続く分厚い鉄格子の鍵を大剣で叩き割る。
反響音が王宮内に響き渡る中、レイドルドは荒い息を吐きながらも、その瞳に揺るがぬ光を宿して言った。
「わかりづらいですよな。王が違えすぎた国は、もう王国ではないのです。残された民こそ国であるべきです。ここまで来てようやく私も理解できたのです」
「よくわからんが、騎士道ってやつか」
「御意」
ザックを背負ったまま力強く踏み切り、レイドルドは最後の階段を登り切る。
悪鬼が足を止めたその先。
三人の前に、王宮の最上階――オルディスの王が座す『玉座の間』の、巨大な両開きの扉が立ちはだかっていた。
「邪魔とは思ってねぇんだがよ、ここはお上品な王宮だからいうぜ。邪魔するぜ!」
悪鬼は骨砕きを叩き付けて扉を叩き割る。
「……おいおい、こいつは……」
扉の先に広がっていた光景に、ザックが絶句した。
豪奢な絨毯が敷かれ、高い天井からシャンデリアが吊るされた王の間。その広大な空間の壁際や柱の陰には、銀色の重甲冑に身を包んだ数十名の親衛隊が彫像のように立ち並び、純白の制服を着た侍女たちが床に視線を落として控えていた。
だが、その中身はあまりにも狂っていた。
部屋の片隅には、ユベールの命で盾として駆り出された数人の民が、身を寄せ合って震えている。その周囲を数名の親衛隊が取り囲み、無感情に武器を向けていた。
そして部屋の最奥。
国を統べる者が座るべき玉座の上には、王衣をだらしなく着崩した中年の男――オルディスの国王が座していた。




