34.スリーマンセル
「姫様、こちらへ」
レイドルドの先導で、王宮の裏扉へと向かう。
この裏庭は王属騎士の稽古場となっているのだろう。石造りの城壁には無数の刃引された剣が乱雑に掛けられており、いたるところに傷だらけの訓練用の的が並んでいた。
遠くからは、絶え間なく軍勢の怒号と戦闘の音が聞こえてくる。アレクやレイドルフが正門で大暴れし、王国軍の注意を引きつけてくれている証拠だ。
重い扉を押し開き、中に入る。
そこは、ステンドグラスから僅かに日の明かりが差し込む薄暗く豪奢な広間だった。中央には王宮の最上階まで続く巨大な螺旋階段が、吹き抜けの空間を貫いている。
狂王ユベールの待つ玉座は、あの最上階だ。
エルマが大剣『骨砕き』を握り直し、階段を見上げた――まさに、その時だった。
上階から、ひどく悠然とした足音が降りてくる。
エルマとザックは即座に足を止め、螺旋階段の影へ視線を向けた。
やがて、薄暗闇の中から一人の男が姿を現した。
金糸の刺繍が施された、漆黒のビロードの外套。すべての指に嵌められた大粒の宝石が、差し込む光を吸ってギラギラと異様な輝きを放っている。
年齢は五十に届くかどうかの中年。本来ならば権力を象徴するような端正な顔立ちのはずだが、その頬は病的にこけ、目の下にはどす黒い隈がべったりと張り付いている。
王都が、王宮が戦火に包まれているというのに、この男にはそんなことに関心はない。ただ、階段の下に佇むエルマの姿――青いドレスを纏った金糸の髪の少女の姿を捉えた瞬間、その濁った瞳が限界まで見開かれた。
「あぁ……! ああ、アデレータ! アデレータ!!」
男の口から、粘つくような歓喜の叫びが漏れ出た。
ユベール公爵。ベルンを滅亡へと導いた、諸悪の根源である。
「美しい! なんと綺麗なのだ! 迎えに来てくれたのだね! さぁ、あんな野蛮な帝国軍は放っておいて、私と一緒に楽園へ行こう!」
「姫様、あれがユベールです」
両手を広げ、足元が縺れるのも構わずに階段を駆け下りてくる狂王。
その後ろからは、無機質な黒光りする銃身――『火弾槍』を構えた数名の近衛兵が、足音もなく無言で従っている。階段の上という絶対的な死角から、その銃口はすでに冷酷にエルマたちの頭上へと向けられていた。
『火弾槍!?』
(代われ、小娘。心配すんなよ、最後はくれてやる)
エルマの菫色の瞳が、瞬時に獰猛な黄金色へと反転した。
「ハッハッ! 情けねぇ顔してやがる! 随分と女ウケしそうにねぇ顔してるじゃねぇか。匂うぜ匂うぜ、お前、女の経験ないだろ? フハハハハ! 顔見て分かったぜ! 蓋あけてみりゃあ、モテねぇ男の悲劇のアプローチだ。ゲロ吐きそうだぜ」
「え?」
悪鬼は背を仰け反らせて哄笑する。口が三日月型に吊り上がりその瞳でユベールを打ち抜く。
ユベールは、間抜けな声を出して固まった。
あまりにも想定外の言葉。高貴で美しいアデレータの口から、野蛮な者共が使うような罵声が飛んできたのだ。彼の脳の処理能力が、ショートを起こしている。
「顔が悪い、宝石もダセェ、思考も腐ってやがる。そして、なにより――存在がクセェ」
「アアア、アデレータ?」
「あら、喋らないでいただけます? 肥溜めの匂いがしますの。そう、ユベ、えーと、ユ便様? から」
「あ……アデレータ? 何を、言っているのだ? 君は、私のアデレータだろう……?」
「あぁ? こりゃ傑作だ! 誰がドブの価値もねぇ男に靡くかよ、ゴブリン野郎。森に帰れゴミ蟲が」
悪鬼の容赦ない追撃が、ユベールの築き上げてきた「悲劇の純愛」という妄想の城を、土足で蹴り砕く。
「ち、違う……君はアデレータだ。だが、その喋り方は……ああ、そうか! そうに違いない!!」
数秒の硬直の後。ユベールの顔に、血管がちぎれんばかりの怒りと、おぞましい狂気が満ち溢れた。
「悪魔め! 私のアデレータの美しい器に巣食う、汚らわしい悪魔めぇぇぇッ!!」
「フハハ! おお、すげぇな! 大正解だ! 流石王宮ゴブリン!」
「撃てェェェェッ! その器から、不純物の魂だけを削ぎ落とせェェェッ!!」
狂王の絶叫が、吹き抜けの広間に木霊する。
それを合図に、階段上の兵が一斉に火弾槍の引き金に指をかけた。
「待て! 近衛達よ! ファネリアの姫君である!」
レイドルドがエルマの前に立ち大音声で叫ぶ。
「カリスタ様は人々を護れとおっしゃられた! 諸君等もファネリア家に恩があるのだろう! ルーク様は何度諸君等を救ったか! それに引き換え、そこにいるユベールはどのような行動をとっている!? 思い返してみよ!」
レイドルドの説得が吹き抜けの薄暗い広間に響き渡る。
だが――螺旋階段の上の暗がりに沈む近衛兵たちから返答はない。彼らの表情はこちらからではよく見えず、ただ、黒光りする銃口だけが冷酷にこちらを見下ろしていた。
「おい薔薇騎士、どけ」
悪鬼はレイドルドの襟首を掴んで強く引き倒すと、大剣『骨砕き』を振り抜く。
ギャギィッ! と剣の腹が火球を捉えた。
まともに食らえば人体を吹き飛ばすはずの魔導兵器。だが、骨砕きに弾き返された火球は、爆発すら起こさず、プツンと勢いを失ってただの黒焦げた石くれのように床へと転がり落ちた。
(ん? 随分と手応えがねぇ)
「姫様!?」
尻餅をついたレイドルドが、驚愕に声を上げる。
悪鬼は床に転がった球を一瞥し、鼻で嗤った。
(ハッ。こっちに渡ってきてる弾は、随分と魔力がスカスカじゃねぇか。威力が泣いてるぜ)
動力源である自分自身の本体から吸い上げた魔力。その鮮度や供給量が、この遠く離れた王国では到底足りていないのだと、悪鬼は見抜いた。
「リヒトの野郎の考案した兵器。ちっとばかり、気になっていたんだけどなぁ」
悪鬼は肩に大剣を担ぎ直し、階段上のユベールを見据えて獰猛に口角を吊り上げた。
「とはいえ、いくら威力がショボかろうと、ザック、レイドルド。上を取られてたら都合がわりぃ。出るぞ」
「あ、エルマ、じゃねぇ、悪党!?」
悪鬼はザックを背負うと外へと走り出す。レイドルドがそれに続く。
「ザック、おめぇの出番だ。体があまり動かせねぇ分、お前が位置取りの指示を出せ。お前は俺に捕まっていろ」
「ああ、やるしかねぇな」
ザックは集中して戦場を俯瞰する。まるで空から見ているように。地形を立体から平面に切り替えた。
「幸いにして、手勢が少なくて良かったぜ。あの火の球っころ相手は機動力がモノをいう。レイドルド!」
「ハッ!」
「あの球は威力自体大したことねぇ! そして弾数は有限だ! 俺の指示にしたがって剣の腹ではじき返せ! なに、壊れていい剣などその辺の壁に腐るほどあるぜ!」
「御意!」
誇り高き薔薇の騎士は、訓練用のなまくら剣を両手に構え、迫り来る追手に向けて腰を落とす。
「んで、いいのか? レイドルド。お前、王国に盾突くことになるんだぜ?」
「ユベールが私利私欲なのは明らかです。それに姫様、私もむさくるしい男より美女の方が好みでしてね」
「ハッ、上等だ。男がわかってるじゃねぇか」
「ハッハッ、お戯れを」
獰猛な笑みを浮かべた悪鬼が『骨砕き』を構え直した直後、王宮の裏扉から、ユベールと火弾槍を構えた近衛兵がぞろぞろと姿を現した。
* * *
「左後方、四歩! そう、そこだ!」
背中から響くザックの的確なナビゲートに従い、悪鬼は地を蹴る。 慣れないレイドルドも、必死の形相でその背中へ食らいついた。
「レイドルド! 右から射線が二つ、交差してくるぜ! その直後にもう二発だ!」
「承知いたしたッ!」
レイドルドは壁掛けから訓練用の刃引きの剣を両手に掴み取り、身を盾にして迫り来る火球を弾き飛ばす。
弾かれた火球が石壁に当たり、小規模な爆発を起こす。
受け止めた剣は一瞬で黒焦げになり、バキリと音を立てて砕け散った。 レイドルドは火傷を負った手でその残骸を投げ捨て、走りながら壁の的から新たな剣を次々と引き抜いては構え直す。
「右、三歩! 少し速度を緩めろ!」
ザックの絶え間ない位置取りの指示が飛ぶ。
その戦闘の中で、悪鬼は冷徹に敵の火力を計算していた。
「右の二人が四発撃った。 左の二人はまだ二発。 …… 連射はしてこねぇな。 槍が焼け付くか、発射に間が要るってことだ。 希望的に述べると弾数は有限。もう少し見るぞ。レイドルド、やれるな?」
「誰に言っておりますか!」
一見荒々しく舞っているように見えて、その実、悪鬼は敵の隙を綿密に数え上げているのだ。
「ぐ、ぬぅぅッ……!」
レイドルドがまた一本、刃引きの剣をひしゃげさせながら火球を打ち落とす。
騎士団長たる自分が、こんな防衛戦を強いられている。 だが、彼の瞳に後悔はない。 己の身を犠牲にしてでも姫を守る。 それが王国騎士としての、彼の矜持だった。
(…… おかしな話だぜ)
火弾の雨を搔い潜りながら、悪鬼の黄金の瞳が、喚き散らすユベールを捉えた。
(あの王宮ゴブリンが手を振るたびに、指輪が、不気味に光ってやがる)
『怪しい光ね』
(ああ。 それに、あの撃ち手ども……まるで、ただの肉の塊人形だぜ。自我の匂いがねぇ)
「悪党! 匂いが薄れていくぜ!」
「上々だ。レイドルド! 交代だ!」
「おわっ!?」
「御意ッ!」
言うやいなや、悪鬼は背負っていたザックの襟首を掴むと、レイドルドの方へ向かって容赦なく放り投げた。
レイドルドが慌ててその身体を受け止める。 背中の重しがなくなり、自由の身となった悪鬼は、肩を大きく回して首の骨をポキリと鳴らした。
「俺のツーハンデットじゃねぇのは少しばかり癪だが、ガルムの剣も悪くねぇ。慌てんな、生かしておいてやるよ」
悪鬼は『骨砕き』を肩に担ぎ直し、獲物を前にした飢えた獣のようにペロリと唇を舐めるのであった。




