32.天高く燃ゆる武門の誇り
「では、ライカ・ローサとして答えてくださるかしら」
「……あ、あぁ」
その問いに、エルマは背筋を正した。
孫娘としての甘さを捨て去り、己の奥底で燃え滾る憎悪の炎を呼び覚ます。ベルンが燃え、数多の戦士が、父が死んだ。許すものか。彼女の菫色の瞳が、獲物を狙う肉食獣のように爛々と輝き始めた。
「ライカ将軍はこのオルディスを、どのようにするつもりですか?」
カリスタの静かな問いに、エルマは低く、地を這うような声で吐き捨てた。
「壊す。許さない。……絶対にだ」
「まるで獣ね」
復讐心に囚われた孫娘の姿にカリスタは悲しげに、だが厳しく告げる。
「ファネリア侯爵夫人には、理解できんことだ」
「そうね。でも、私はファネリア侯爵夫人なのよ」
「……どういうことだ?」
「夫亡き今、私が王国を護らねばいけません。さて、将軍への、私の自問にもなりますが……王国とはなんでしょうか?」
エルマは微かに眉をひそめ、無感情に答えた。
「王が統治する国のことだ」
「なるほど。貴女の言う王国はそういうことですわね。王が統治しなければ王国ではない。……ですが、私の思う護りたい王国は『人々』ですわ」
「何がいいたい?」
「ユベールが平民、農民を盾にとっています」
「――!?」
その事実を聞かされ、復讐に燃えていたエルマの瞳が激しく動揺した。
カリスタはティーカップを置き、真っ直ぐに菫色の瞳を見据えた。
「いま、このファネリア邸にはできる限り集めた貴族、平民がおります。彼らを保護していただけないかしら? そして、ユベールにさらわれた人々も助けていただきたいのです」
「私たちに利がない」
将軍として、復讐を成し遂げる獣として、エルマはあえて冷酷に言い捨てた。戦場において、足手まといになる非戦闘員の保護など無駄以外の何物でもないからだ。
だが、カリスタはそれを見越したように、静かに最後の手札を切った。
「ありますわ。この邸宅には、王宮の最深部へと通じる『隠し通路』があります。聞いていただければ、鍵をお渡ししましょう。……カリスタ・ファネリアからの切なる願いでございます。どうか」
万の軍勢を前にしても決して膝を折らなかった誇り高き貴婦人が席から立ち上がると、民の命を救うため、敵国の将軍に向かって深く、深く頭を下げたのだった。
「くっ……!」
エルマは助けを求めるようにザックを見るが、ザックは黙っている。
これは、将軍として、そしてベルンの生き残りとしての彼女自身のケジメだ。だからこそ、俺が口を挟むべきではない。ザックの静かな瞳が『そこはお前が決めろ』と力強く語っていた。
拳を強く握りしめる。エルマは目を伏せ、ドレスに縫い付けられた隠しポケットへと、そっと手を滑り込ませた。
指先が触れたのは、二つの冷たい金属。
父ガルムが手入れしてくれた、思い出の『ペーパーナイフ』。
そして、己が令嬢である象徴の『刺繍針』。
その両方を掌で痛いほどに強く握りしめ、エルマは大きく息を吸い込んだ。
「……承諾する」
「ありがとうございます。あぁ、肩の荷がおりましたわ」
そう言うカリスタの微笑は美しく、そしてどこか悲しかった。
「それでは、さて、何といいましょうか……出てきなさい。先ほどから孫娘に隠れている御方」
『――!?』
あまりに意表を突く一撃。戦士としてのエルマはこの戦いの敗北を認めた。
直後、菫色の瞳が瞬時に黄金へと切り替わった。その瞳は獲物を見つけた猛禽を思わせる鋭い光を放ち獰猛な笑みを浮かべている。
「ハッ、恐ろしいもんだな。マダム、俺の下で戦士にならねぇか? 優遇するぜ?」
「まぁ、素敵ですわ。でも、わたくし、ルーク様に操を立てておりますので」
悪鬼からのスカウトすらも、老婦人はふふっと上品に笑って軽やかに躱してみせる。
「んで、なんだよ」
「いえ? ただ、ザック様と貴方とも御話をしたいと思いまして」
「へ? おれ?」
突然話を振られ、ザックが間抜けな声を上げる。
「ええ。私の出来る守護は終えたわ。だから、今はただの『カリスタ』ですわ。お茶会を楽しませていただきます。聞かせて頂戴」
ファネリア侯爵夫人としての冷徹な仮面が外れ、そこにいたのは、孫娘の将来を気にかける一人の穏やかな老婦人だった。
カリスタはティーカップを置き、悪鬼の黄金の瞳と、ザックの顔を交互に見つめ、クスッと悪戯っぽく笑って直球を投げた。
「エルマが大事?」
「ハッ、知るかよ」
悪鬼は鼻で嗤い、いつものように素っ気なく吐き捨てる。
――だが。
「――ッ、ガハ、…… ッ!?」
『ザック!?』
適当に流す悪鬼とは対照的に、丁度紅茶に口をつけていたザックが、喉の奥に盛大に水分を詰まらせてむせ返った。
ルークから受けた傷は深く、上半身を幾重にも巻いた包帯は、彼のわずかな動揺による呼吸の乱れだけで激痛をもたらす。
ザックは胸元を抑え、椅子の上で脂汗を流しながら悶絶していた。 包帯の隙間から、じわりと赤い血が滲み出てくる。
「な、にを、…… 急に…… 言ってやがる、クソ…… ッ」
ザックはオーラリスの柄を強く握りしめ、痛みに顔を歪めながらも、カリスタを睨みつけた。
「元気があってよろしい。良い男です」
狼狽するザックを見て、カリスタは満足そうに「ふふっ」と笑い声をこぼしたのだった。
「それだけか? 俺は下がるぞ。茶会は性にあわねぇ。ああ、そうだ、ルークだ。王国の剣にするには惜しい男だったぜ」
「ええ。ありがとう。野蛮な御方。素敵でしたわ」
「チッ、狂うぜ」
そして、瞳の色が再び菫色に戻る。
「お、おばあ様」
「エルマ。復讐は何も生まない等と、粗野なことは申しません。祖母面できる立場でもないけれど、貴女は『ファネリア』を名乗った」
その言葉の重みに、エルマは思わず息を呑んだ。
「エルマ・ベルンとして、エルマ・ファネリアとして、貴女は進むの。敗北は許しません。戦士としても淑女としても。……全てを手に入れなさい」
「へ、おばあちゃん……?」
「外堀を埋めるのよ」
どこかで聞いたことがあるようなその言葉をエルマに投げ、カリスタはゆっくりと立ち上がった。
そしてエルマの隣に立つと、自身の髪から豪奢な髪飾りを外し、それをエルマの金糸の髪へと優しく結わえ付けた。
「やりなさい。エルマ」
「おばあちゃん!」
エルマは堪えきれず、立ち上がって祖母の細い身体を抱きしめた。カリスタもまた、強く孫娘を抱きしめ返す。
戦装束と、侯爵夫人のドレスが交わる。短くも確かな家族としての温かい抱擁だった。
そして、カリスタはエルマの手の中に冷たい金属の感触――王宮の最深部へと通じる隠し通路の『鍵』を、そっと握らせたのだった。
「レイドルド・ハイドランド!」
カリスタが凛とした声で呼ぶと、広間の入り口で控えていた薔薇の騎士団長が、静かに進み出た。
「呼びなさい」
「ハッ」
ほどなくして、ファネリア邸の広場に、屋敷に匿われていた貴族や平民たちが不安げな面持ちで集められた。
彼らを見渡し、カリスタは一切の揺らぎのない、ファネリア家として高らかに宣言する。
「皆様。私、カリスタ・ファネリアは、ガルヴェリアのライカ・ローサ将軍に庇護を求め、それを承諾いただきました。異論は認めません。……生きなさい」
その言葉が響き渡った瞬間。
広場は、水を打ったような静寂に包まれた。明日の命も知れなかった彼らにとって、それは何よりも重く、確かな生の保証だった。
「あぁ……! あぁぁぁ……!」
「ありがたき幸せ……! 侯爵夫人……!」
誰からともなく膝を折り、地面に額を擦りつける。
貴族も平民も関係なく、皆がボロボロと涙を流し、救済をもたらした老婦人に向かって深く平伏した。嗚咽と感謝の祈りが、広場を震わせる。
その様子を静かに見届けたエルマに対し、レイドルドが一歩進み出て、深く恭しい臣下の礼をとった。
「ご案内いたします。姫様」
「姫? まぁ、頼む。ティッタ、皆にこれをお願い」
エルマは短く応じると、素早く書いた文を愛馬の口に咥えさせ、優しくその鼻先を撫でつけた。ティッタは主の意図を理解したように短く嘶くと、外で待機しているアレクたちの元へと駆け出していった。
そしてエルマは、祖母から託された髪飾りを揺らし、ザックたちを従えて、ユベールの待つ王宮へと続く暗い通路の中へ、静かに足を踏み入れていった。
* * *
「行ったわね」
「はい、奥様」
「メルベル、貴女は付き合わなくて良いのですよ?」
「私の全てはこの『家』でございます」
「そう。不器用なのね。知っていたけれど」
「奥様程ではございません」
二人は、誰もいなくなったファネリア邸の玄関ロビーに静かに佇む。
「ファネリア家は誰の蹂躙も受けないわ。私の許可なく敷居を跨ぐことは許しません」
「はい」
「最期に、エルマに会えて良かったわ」
「とても、美しく立派に成長しておられましたね」
「やって頂戴」
「はい、奥様」
メルベルが静かに応じる。 ロビーの豪奢な絨毯は、すでに油をたっぷりと吸い込み、異様な光沢を放っていた。
メルベルは、手にしていた銀の燭台を、ためらいなく床へと落とした。
小さな炎が油に触れた瞬間、青白い炎が猛烈な勢いで螺旋階段を駆け上がっていく。 一瞬にして、ファネリア邸のすべてが赤い煉獄へと変わった。
『ルーク様、わたくしはやり遂げましたわ。また抱きしめていただいてもよろしいのですよ?』
爆風が窓ガラスをすべて粉砕し、火の粉が空へと舞い上がる。
崩れ落ちる天井を見上げながら、カリスタはただ静かに目を閉じ、愛する夫の待つ場所へ向かうように、安らかな微笑みを浮かべていた。
――数刻後。
王国の剣であるファネリア侯爵邸は、天を衝くような轟音と共に、その歴史ごと美しく崩れ去っていった。




