29.おじいちゃん
なんとも様になっているではないか。二刀を構えた孫娘を見て体が打ち震える。
エルマは体勢を低くして、呼吸を整えている。そして、ふっと全身を脱力したかと思うと、荒々しくも一直線に間合いを詰めてきた。
「巨狼か!」
ルークには見覚えのある体術だ。娘に圧されて結婚などした傭兵の男、ガルムの技。
だが、その荒々しい連撃の直後、ルークのオーラリスを強く押し込んだのは、打って変わって華やかで流麗な剣舞のような一振りだった。まるで力など込めていない、体がしなりどこまでも柔らかく神秘的な一振り。
ルークは思わず距離を取った。勢い付かれている。二刀に先手を取られた。この勢いは時として後の先を覆す。
エルマはそのまま骨砕きを引き戻すと、無駄を削ぎ落とした恐ろしく真っ直ぐでひたすら洗練された突きを放った。
「トラキアの真似事までできるとはな! しかし、真似事だ!」
胸の中心から反射で手首の筋に力を連動させてオーラリスを振り上げる。――骨砕きが上へと弾かれ、エルマの右の側面が空いた。
ルークがそこへ踏み込もうとした瞬間、エルマは悪鬼のように地を蹴り、足元の石をルークの顔面めがけて跳ね上げた。
ルークはそれを顔を傾けて避ける。
反撃が無いのを見計らって、エルマは膝を脱力して崩れるように地面を転がりながら距離を取った。そして立ち上がると同時に、足裏全体に集中して再び間合いを詰める。
背中の中心に力をいれて、悪辣で粗野な骨砕きの一振り。その振り下ろしと同時に、エルマは蹴り脚を踏み込み脚に寄せた。と同時に脱力。そこから爆発的な力みをもって、再度地面を蹴る。
「……ッ!」
ルークは驚愕の表情を見せた。だが、その直後、彼の口元にはどこか嬉しそうな、誇らしげな微笑みが浮かんでいた。
そして老将は、己の技を吸収し、持てる力をぶつけてくる孫娘の一撃を、下っ腹に力を入れて真正面から受け止めた。
火花が散り、覇気と闘気がぶつかり合う。
周囲の者たちも、息を呑んでその高度で美しい剣劇に見惚れていた。本人たちの命を賭した闘いは周囲の者に剣の劇のように映った。
だが、その死闘の輪の外で男は顔を顰める。
肩からの血をマントを破ってきつく縛り止血して、膝をついたまま激戦を見つめているザックにはそうは見えなかった。
(……やめろよ、おい)
ザックは、奥歯を強く噛み締める。
他の奴らには、帝国の猛将と王国最強の剣の、美しい死闘に見えるのだろう。
(孫が泣きながら、爺さんの胸を叩いている光景にしか見えねぇじゃねぇか……)
殺し合いの皮を被った、不器用で、悲痛な血縁同士の戦い。
それを理解しているからこそ、副長は死にそうな体に鞭をうって気配を殺して這っていく。あの泣いている不器用な女の為に。
そのザックの目線の先、エルマは咆哮を上げた。
「オォォォォォォ!」
黒曜の牙、ベルンの戦士のドラグの歌だ。全身の血液が急激に流れる。更に、エルマは内なる悪鬼に語り掛ける。
『おじい様には、これまで得たほぼすべての技を見せた。だけど、まだ見せていないのが二つある。……貴方を利用するといった。そして、貴方も私の一部』
(酸味が効いてやがるぜ。その詭弁ならまぁテメェでケツ拭いてることにはなるわな)
悪鬼がいつもの独特な返事をした。付き合いが長いからこそわかる。悪鬼はただ単純に戦いたいだけだ。
そして、エルマの右目は本来の菫色が一段と深く輝き、左目は内に宿る悪鬼の覚醒を示すかのように、禍々しい金色に煌めく。
それを見たルークが後退る。本能が間合いを取っていた。冷や汗が滴る。背中が凍り付くようだ。
(心がブレている? ……なるほど神秘である)
体を無視すればそこには二人の人物。面妖なとも思う。それでもルークはオーラリスを構える。ジグザグの歩法からの関節の効率的な動きなど無視した乱雑な一撃。それをしゃがんで躱すも流麗な短剣の一振りが逆側から放たれる。まるで別人が左右を担当しているようだ。
(いや、別人だ)
間一髪、オーラリスを滑りこませるが吹き飛ばされてしまう。
(合わせろ小娘)
『ああ』
そして、ルークの歩法を用いたエルマが左右同時に逆袈裟に斬り上げてきた。
(あぁ、美しい)
ルークは武の境地の一つに感嘆の声をあげる。
オーラリスが美しい音を立てて宙に舞う。
絶好の好機である。
大悪令嬢は一切の躊躇いなく、がら空きになったルークの胴体めがけて、左手の短剣を力任せに投げつけた。
「ちぃ!」
ルークは体勢を崩しながらも、凄まじい反応速度で上体を捻り、その凶刃をなんとか避ける。
『一つは悪鬼の力を利用しながら戦うこと。そしてもう一つは――』
だが、エルマの短剣はただの布石だった。
短剣を投げたことによって空いた左手。彼女は袖口から、使い慣れた『刺繍針』を滑り出させ、手の内に隠し持っていた。
『私の最初の技』
マーサの時と、同じようにやろう。
この刃を突き立てれば、私は肉親をその手にかけた『大悪令嬢』になる。良いじゃないか。これで私は越えてしまうのだ。
『さようなら。おじいちゃん……』
「見事だ! ライカ・ローサ! 」
エルマは極限まで踏み込み、手にした刺繍針をルークの眼球めがけて容赦なく叩きつけ――る直前。
「ごふっ……!?」
突如、ルークがごぼりと大量の血を吐き、その身体をビクンと痙攣させた。
エルマの針が届くより一瞬早く。
ルークの胸のド真ん中から、分厚い白銀の鎧をも貫いて、赤黒く染まった一振りの剣先が突き出していたのだ。ルークはゆっくりと目線を後ろに寄せる。
「やらせねぇよ。……やらせちゃ、いけねぇんだよ」
背後から響いたのは、掠れた、血の混じった男の声。
ルークの背中に回っていたのは、ボロボロで動けないはずのザックだった。
彼は薄れゆく意識を奥歯を噛み砕くほどの執念だけで繋ぎ止め、自らの全体重を乗せた決死の突きを老将の背中へと叩き込んだのだ。
ザックが息も絶え絶えに剣を引き抜くと、王国最強の剣であったルークの体が、ついに力なく崩れ落ちた。
「蔑めよ……。一対一、の、神聖な、戦いを、俺が……汚したんだ」
膝をつき、自嘲気味に息を吐き出すザック。
だが、崩れ落ちたルークは、己の命を奪った下手人を蔑むどころか、どこか安堵したような、ひどく穏やかな笑みを浮かべた。
「……感謝、する…………」
それは、誇り高き騎士としてではなく。孫娘に『肉親殺し』という重すぎる業を背負わせずに済んだ、一人の祖父としての心からの感謝だった。
「ザック……。おじいさ……おじいちゃん!」
エルマは堪えきれず、大粒の涙を溢れさせながら駆け寄り、倒れゆくルークの身体をその腕で強く抱きかかえた。
「ごめんなさい……ごめんなさい! おじいちゃん! おじいちゃんっ!」
「戦士が……泣くんじゃ、ないよ……」
血まみれの手で、ルークはそっとエルマの頬を撫でた。
既にその声は、氷のように冷徹な「王国の将」のものではなかった。
「僕は、只の……騎士、いいや魔王か……。そこの、勇者が……僕を、討ち取った……のさ」
「うん……おじいちゃん……」
エルマは子供のようにしゃくり上げながら、何度も頷く。
ルークは薄れゆく視界の中で、傍らで満身創痍のまま膝をついているザックへと、静かに視線を向けた。
「ザック・ロー。……『ナイト』を、継承する。この、オーラリスを……エルマを頼ん……だ……ぞ」
「ヘッ、頼ま、れ、なくてもやって、るぜ。休め、よ。偉大なる先代の『ナイト』」
自らを討ち取った凡人の男の『主を守り抜くという気高き覚悟』を認め。
王国最強の剣は、己の至宝を未来へと託し、
(あぁ、僕が守りたかったのは王国じゃなかったのか。やっぱり僕は馬鹿だなぁ。カリスタ、また、花を見に行こう…………アデレータと、エルマと……ガルムも)
――孫娘の腕の中で、静かに息を引き取った。




