28.おじい様
ザックは薄れそうな意識の中で、自分を斬り捨てたルークを睨みつける。
だが、ルークの姿が見えない。見えたのは薄緑色の鎧。
そしてそれが、血飛沫をあげながら、ザックの目の前で崩れていく。
「間に合いました……ドラグ様」
ザックは肩口以外に損傷がないことに気が付く。何故だ。斬られたはずだ。疑問に思うがザックは目を離さない。今はそのことの方が重要だと思えたからだ。
彼は崩れ落ちながらもこちらをひどく穏やかで恍惚とした目でこちらを見つめている。
帝国兵は一部始終を見ていた。ルークの一撃がザックに届く直前に、彼は自らの身を割り込ませてザックを突き飛ばしたのだ。
「我が信仰、ここに成れり……」
神を守った。その無上の喜びに満たされたまま、狂信者は満足げな笑みを浮かべて事切れた。
その崩れた肉壁の先に、血染めの鎧を纏ったルークが立っている。
だが、老将の眼光は、もはや地に伏したザックには向けられていなかった。彼の鋭い視線は、ザックの後方――戦場の土煙の奥から歩み寄ってくる『死の気配』へと真っ直ぐに注がれていた。
「……出てきたか」
ルークの低く重い呟き。
それに応えるように、大気をビリビリと震わせるような、深く、冷たい女の声が響き渡った。
「些か、部下が楽しんでいるようでな。ずるいではないか」
土煙が晴れる。戦場にあって、此処だけがやけに静かだ。
姿を現したのは青いドレスアーマーを身に纏い、爛々と輝く『菫色』の瞳でルークを射抜く帝国の将軍ライカ・ローサだった。
その姿を見た瞬間。
ザックは、霞む視界を必死にこじ開けながら、喉の奥から絞り出すように叫んだ。
「エルマ、だめだ……おまえが、たたかっては、だめだ……だって、そいつは……」
震える体を動かす。が、思うように動かない。ロッジやキースが慌ててザックを下げようとする。
「だめだ。お前ら、エルマを戦わせるな……止めろ」
「副長! ここは将軍に任せましょう! あの人なら!」
「チッ……馬鹿共がよ……」
ロッジたちは顔を見合わせ、期待の眼差しを将軍に送る。
「ザック、死ぬな」
エルマはそれだけ言うと、目線をルークに戻した。
遠くから怒号が聞こえる。静かなのはこの中央だけだ。ザックは息を吸い込んで腹に力をいれる。同時に肩に痛みが走るが、気にしてはいられない。
何故なら、目に映るエルマの後ろ姿がいつものような覇気を纏った無敵の将軍のものではないからだ。実の祖父と対峙し、戦士の殻を被りきれずに心が揺れている、ただの儚く弱々しい令嬢の背中にしか見えない。
そして、彼女の内側では悪鬼が、もう一つの魂が語りかけていた。
(来ちまったんだ。テメェのケツはテメェで拭け)
『わかっている。いきます……ルークお爺様』
「ルーク・ファネリア。貴様が一番の障壁だ。我が覇道の為に死んでもらおう」
「……大仰なことを言いなさるな女将軍、ライカ・ローサ」
そんなセリフを吐き捨てたルークは、エルマの骨砕きを見て目を細め、青のドレスを見て剣の柄が軋むほどに力を込めた。そして、彼は大きく息を吸った。
「と、ここで恰好つけてもしょうがあるまい。……馬鹿者! この反逆者が! エルマ・ベルン! 我が『オーラリス』と共に貴様を粛正する!」
いままでの剣を投げ捨て、煌びやかな宝剣を抜く。
「ルーク・ファネリア! 今更貴様に思うことはない! 父の無念を乗せ貴様を討つ!」
挨拶のような打ち合い。オーラリスが空中に銀の軌道を描けば、骨砕きがそれを断つ。そして轟音が鳴り響く。
『強い。流石おじい様』
(ハッ、譲ってやるよ)
『……』
強い。悪鬼が譲るとわざわざ言う程だ。そう、悪鬼。悪鬼だ。このド悪党ならどうするか。思考した。
「馬鹿娘の馬鹿娘が!!!」
「……おじい様。ひどいですわ」
途端にエルマは令嬢の表情で眉を寄せる。
「ぬっ!?」
『私は勝つのよ』
そして、ルークはほんの一瞬動きを止めてしまった。
「隙ありだ」
『私は全てを壊すの』
容赦なく、冷徹に。エルマはがら空きになったルークの腹部へ、全体重を乗せた蹴りを打ち込んだ。
「貴様、外道に落ちたか!」
「残念ながらおじい様、それはおじい様の価値観です。ベルンを落ち延びた私が待っていたのは地獄ですよ」
「な……に……?」
「ええ、平和に過ごし民と主に幸せな未来を夢みたものです。ですが、何もできない小娘が丸腰で野に放たれるたらどうなると思いますか? ……凌辱ですよ」
「――!?」
その言葉が、ルークの心臓を締め上げた。自身の孫娘が野盗やごろつき共に蹂躙されたという悲惨な光景。『ナイト』の称号を得ながらも実の孫娘すら救えなかったという罪悪感が、脳髄を激しく殴りつける。
「嘘です」
『だって、私は復讐を誓った大悪令嬢なのですから』
そして、エルマの口から放たれたのは氷のように冷たく平坦な声だった。直後、ルークが再び一体を硬直させた。それを逃さず切り払い。反応が遅れたルークは前腿に裂傷を負う。鮮血が舞う。
情を利用した孫娘の戦術を前に、ルークは苦痛に顔を歪めるのであった。だが、ルークは再び大きく息を吸うと地面を踏みしめる。
「ファネリアの血を引く者として再教育せねばならん。死を覚悟せよ」
「絶縁したのでしょう」
「年を取ると忘れるものよ」
(やっとかよ)
悪鬼が奥底で嗤う。エルマの頬に一筋の汗が伝う。貴族の仮面をかなぐり捨てた祖父から放たれる緊張感、圧迫感、殺気が桁違いに跳ね上がる。
「おじい様……」
「効かん!」
宝剣オーラリスの一撃は果てしなく重い。骨砕きを盾にして何とか防ぐが、踏ん張った脚が地面に溝を作りながら後退させられる。
「味わえ。ファネリアの剣技よ」
「チッ!」
エルマは鋭い突きに対して横に回り込む。が、そこから水平にオーラリスが追撃してくる。エルマは間合いの外に逃げる。が、
『伸びた!?』
(ククク、面白れぇ)
剣先が伸びたのか届くはずのない間合いで、狼と薔薇のマントの一部が切り裂かれた。
エルマはルークをぼんやりと見る。背景に照準を合わせてみる。この見方をすれば、相手の体の微細な動きを察知できることをエルマは経験上知っている。
『動いた!』
ルークの右下っ腹がわずかに動いたのをみて回避行動に入る。だが――。
(違う! もっと後ろだ!)
『!?』
悪鬼の怒声に従い、エルマは後方に大きく跳んだ。着地してみれば、エルマが想定していた回避位置の地面にオーラリスの白刃が深くめり込んでいた。
『何故……』
(視野が狭ぇ。地面を見ろ。踏み込み脚とは逆で溝ができてるだろ)
『うん』
エルマはルークから視線を外さすに耳を傾ける。
(踏み込んじゃいねぇんだ。奥脚で前脚を滑らせている。歩法だな。あまりに練度がたけぇから気付きづれぇんだよ。奥脚ってレベルじゃねぇ指単位でやってやがる)
――来る。今度は左脚を踏み込んだ。それは想定内の距離だ。振り下ろしを避ける。が、右脚を踏み込み脚に引き付けている。脳内に警報が鳴り響き、本能に従ってエルマはルークとすれ違うように斜め前に位置取りをした。凄まじい推進力と共に切り上げがの空気を裂く音が聞こえてくる。
「勘がいいな。エルマ。良く鍛えている。あとは心だ」
「やかましいですよ、おじい様……」
エルマは忌々しげに吐き捨てると、腰から短剣を抜き、二刀となる。右手に骨砕きを。左手に黒曜の牙の短剣を。
祖父を殺すための戦士に成るとして、エルマは自らのルーツを両の手に大勢を低くした。




