25.ナイト
狼と薔薇の軍は、焼野原にて有象無象を蹴散らしていた。
「案の定、準備不足で無理やり出兵させられたやつらだな。このままいけば戦力を各個撃破されていく只の間抜けだが――そういうわけにもいかんよな」
天幕で机に脚を投げ出した悪鬼が嗤う。
まばらだったオルディス軍が一定のまとまりを見せはじめる。同時に狼と薔薇の前線が押し返されていった。
はためくのは青い縁取りがされた金の薔薇、その前に剣が交差されている旗印。オルディスに於いて薔薇は国花である。
薔薇自体はオルディスの多くの貴族に採用されている。ベルン家も例外ではなかった。だが、金の薔薇となれば話は別だ。王や王族に近しいもののみが使用できる。その薔薇を剣が交差している意匠。
「王国の剣……『ナイト』のルーク・ファネリア卿だ……」
トーリスは遠く翻るその旗を見た瞬間、顔面から血の気を失い、ガタガタと無様に歯の根を鳴らし始めた。
ファネリア侯爵。それは王国の正義の剣。長年、不正と保身にまみれて生きてきたトーリスのような小悪党にとって、その清廉にして苛烈な将は、まさに死神そのものであった。
「俺は目が見えねぇが……肌がビリビリしやがる。久しいぜ、ルークの親父さん。感じるぜ、この尋常じゃねぇ覇気と殺気。年老いてなお、全く衰えちゃいねぇな」
トーリスの震えなど意にも介さず、アレクが一歩前へと進み出た。
盲目ゆえに研ぎ澄まされた歴戦の嗅覚が、戦場を覆う巨大な圧を正確に捉えている。大剣の柄を握りしめるその太い腕には歓喜と警戒が入り混じり、武者震いのように血管が浮き上がっていた。
「ファネリア侯爵のお出ましだ。お嬢は……ここは俺たちに任せて、下がっていたほうがいい」
それは配下としてではなく、幼い頃から彼女を見守ってきた家族としての気遣いだった。
相手はアデレータの父親。エルマにとって、血の繋がった実の祖父なのだから。
「アレク……問題ない」
エルマは短く、冷徹な声でそれを遮った。
「もとより記憶がない。会ったこともない。だから、私が斬る」
凛とした横顔。だが、青いドレスの裾を握りしめる白い指先は、微かに、ほんの微かに震えていた。
(ククク)
精神の奥底で、悪鬼が嗤う。敵将として討ち取ると口では言い切りながらも、血肉を分けた肉親を自らの手で殺めるという業の深さが、無意識のうちに少女の魂を縛り付けているのだ。
「お嬢……。そうか」
アレクはそれ以上何も言わなかった。彼女の震えに気づかない彼ではない。だが、戦場で上に立つ者が一度下した決断を曲げることは、戦士の誇りを折ることに他ならない。
アレクは無言で大剣を肩に担ぎ直すと、闘志を全身から立ち昇らせて、血煙の舞う最前線へと駆け出していった。
その背中を見送った直後。
「エルマ、俺は千ほど持ってくぜ」
横に立っていたザックが、ぽつりとこぼした。
「右翼の圧が強い。遊撃として横っ腹を叩いてくる。また後でな」
口調はいつものような飄々とした軽口だ。
だが、エルマの顔を真っ直ぐに見据えたその瞳には、普段のおどけた色は微塵もない。底冷えするほどに研ぎ澄まされた、戦士としての覚悟だけが静かに沈んでいた。
「……頼むわ、ザック」
「あいよ」
ザックは短く応じると、本隊から離脱し、手勢を率いて戦場の砂塵の中へと消えていった。
* * *
「とはいったものの、こいつは骨だなぁ」
眼前には敵軍左翼。分厚い兵の層が見て取れる。
「副長、恰好つけすぎですね。ライカ隊長狙いなんですかぁ?」
飛び交う矢を盾で弾きながら、ベレスが軽口を叩く。
「馬鹿言え、ベレス。お前は減給な」
「そんなぁ」
徐々に、王国軍から降り注ぐ矢の圧力が強くなっていく。
「殲滅じゃない、足止めなんだ。すこし下がるぜ」
「すでにやってまさぁ」
そう言うロッジを見てみると、すでに部隊は素早く退却の陣形を整えていた。カイもキースも同じだ。
「……部下が優秀すぎて嬉しいぜ」
ザックは溜息をついて後退の指示を出すのだった。
その後退の経路に、帝国の部下たちは絶対の信頼を寄せている。ザック隊は常に激戦の前線にいながらも、恐ろしいほどの生存率を誇ることで有名だった。
死角を突き、敵の気の緩みを見つける。あるいはその類なのであろうが、ザックが退く軌道を選ぶと、不自然なほどに敵の追撃が緩むのだ。いつぞや、誰かが言っていた。まるで相手の心理を操る魔術師のようだと。
そして、そのザックの嗅覚が何かを嗅ぎ取った。
「側面! 警戒!」
後退しつつも側面の陣形を厚くする。
「敵将ながらその反応! 見事なり! 我等、薔薇の騎士団が貴様等を討つ!」
岩場の陰から大勢の銀ピカが現れた。
「ハッ! 何かと思えばギュスターヴもどきの軍団かよ!」
「レイドルド・ハイドランド! いざ!」
「行儀がいいこった! 凡人ザックだぜ!」
その数およそ、三百。だがその一人一人がトラキアの騎士に引けを取らない戦力を持っていた。
「三人一組でいけ! 騎士は一対一を美徳にする生き物だ! 根本でその綻びがでる。数の優位を崩すなよ!」
ザックはそう言って、死の匂いが最も濃いところに馬を走らせた。
* * *
レイドルド・ハイドランドは栄えある薔薇の騎士団の団長である。薔薇は王国の花だ。その名を冠した薔薇の騎士団の入団試験は困難を極める。
それを一回で合格し、順当に団長にまで駆け上がったレイドルドは自身が強者である自負がある。
(帝国め……戦士ならば挑まれればそれに応えるべきだろう!)
「――って思ってそうだな?」
「!?」
レイドルドの死角から突然突きが放たれる。間一髪躱したレイドルドは、その剣の主を観察する。さえない顔の中肉中背の男。一見怯えているようでいて、だが、どこまでも冷酷で無機質な目をしている。
(どこから……)
目だけを動かして周囲を再認識する。いつの間にか、自身の護衛陣形が崩され、矢で絶命している者、喉から血を流している者、背後から槍を貫かれている者。様々であった。
「俺の部下達は優秀でさ。作ってくれたぜ。ほら、お前らの大好きな一対一だ。こいよ。ガルヴェリア帝国軍、狼と薔薇の隊のザック・ローだ」
「オルディス王国、薔薇の騎士団レイドルド・ハイドランド……」
レイドルドは自覚していた。既に呑まれていると……。
(戦力を見誤った。この遊撃隊こそが敵の最大火力)
でなければ、王国が誇る薔薇の騎士団がここまで蹂躙されることはない。
「考えごとかよ?」
「……ッ!」
鎧の継ぎ目のわずかな隙間を斬られた。が、浅い。レイドルドは騎士剣技を駆使して応戦する。
が、当たらない。
ほんのわずかなタイミング、隙間を調整して剣の間合いから離れていく。まるで未来が視えているとでもいうのか。
「俺にやられているようじゃなぁ。やめておいた方がいいぜ? 俺を秒でひねりつぶせるやつが、そうだな……あと三人ほどいる」
「ぐっ……!?」
(まぁ、一人は二人みたいなもんだけどよ)
ザックは長剣をことさら強く叩きつけると、一瞬の隙を突いて素早く馬に乗った。
敵将の首を獲るよりも優先すべきことがある。ザックの『嗅覚』が、強烈な死の匂いを感知していた。
「あばよ! エリートさん! 濃くなったから帰るぜ!」
帝国軍が退いていく。何もできなかった。ただ自身の荒い呼吸だけが周囲に響く。周りを確認すると、薔薇の騎士団はその数を半数にまで減らしていた。
「ザック・ロー……」
何もできなかった。生かされた。なぜかはわからない。レイドルド・ハイドランドは、ザックの後ろ姿をぼんやりと見つめる。
冴えない男の背中に、巨大な死神の鎌が揺れているのを幻視し……レイドルドは、ただただ絶望の中に立ち尽くしたのだった。
「折れるな、王国の騎士よ」
絶望するレイドルドに、厳格な声で呼びかける者がいた。
強烈な殺気を感じ、遠ざかっていたザックは思わず振り返る。
(げ、またびっくり人間かよ)
現れた白髪まじりの男は、無造作に弓を構えると、恐るべき膂力でそれを引き絞り、逃げるザックの部隊へと向けて矢を放った。
轟音。隣で並走していた兵が、盾ごと紙屑のように吹き飛ぶ。
ゾワリ、と。濃密な死の匂いが、ザックの頬を撫でた。
「全力退避だ! いいって言うまで絶対に振り返るなよ!」
ザックは声の限りに絶叫し、馬の腹を蹴った。これ以上の牽制は無意味どころか全滅を招く。彼の生存本能がそう告げていた。
男は、躊躇いなく部下を逃がしたその完璧な引き際を見て、内心で感嘆の声を上げる。
(……見事な引き際だ)
男、ルーク・ファネリア侯爵は、あれ以上の追撃は無用かつ不可と判断すると、弓を下ろし、颯爽と自らの本陣へと戻っていったのであった。




