23.蟲毒
王都を囲む堅牢な城壁が、前方にその巨大な威容を示している。
「栄える王国の最期だ。よく見ておけ」
悪鬼は元王国民達に告げる。
オルディス王国の中枢。何重にも張り巡らされた防衛線と、分厚い壁に守られた三層の都市。
その王都を真っ向から見据える平原に、万にまで膨れ上がった『狼と薔薇』の軍勢が、堂々たる陣を敷いていた。
「……あの、ベルン卿」
本陣の天幕の前。トーリスはおずおずと、黄金の瞳を爛々と輝かせている将軍へと声をかけた。
「道中、あんなに捕まえてきた王国貴族を、なぜ王都の門前で逃がしたので? 全員人質にすれば、楽に門を開けさせられることはできたのでは?」
バルデの街から王都に至るまで、彼らは数多くの貴族を捕らえてきた。にもかかわらず、ザックに命じて彼らを無傷のまま王都へと逃がしたのだ。
トーリスは手早く自身の業務を終え報告にきている。その際についでとばかりに聞いてきた。
「それはあいつらが王国貴族だからだ」
悪鬼は楽しげに嗤い、腕を組んで王宮を睨み付ける。
「もったいねぇだろ? 恐怖と焦燥の無能が内部をかき回してくれんだよ。蟲も使いようってな」
「無能……ですか?」
「ああ。東部でアスタロッテが侵攻してきてるってのによ、中部の領地に引きこもって、のうのうとしていた貴族連中だ。本来なら東に駆けつけてなけりゃおかしい立場なのに、動かなかった無能だな」
トーリスの脳裏に、命乞いをして逃げていった貴族達の顔が浮かぶ。
「あいつらが王都の中に入ればどうなる? まず、喚き散らす。あいつらを倒せ! いますぐにな! 私はどこぞの伯爵だぞ! ってな。いい宣伝だろ? それに無能の指示はいつだって戦線を崩壊させる」
「……ッ!」
「それにな、蟲共が中枢に紛れ込めば保身のためなら、内側から門を開ける手引きだって喜んでやりかねねぇ。……どうだ? 蟲がきたねぇ毒を吐くんだよ」
悪鬼の冷徹で淀みない計略に、トーリスは背筋を凍らせた。
(ロッテ、私の選択は間違えてなどいない)
トーリスは空を大きく仰ぐのだった。
* * *
一方、その頃。
オルディス王都、王宮の最上階にあるバルコニー。
眼下の平原を黒く埋め尽くすように展開していく所属不明の巨大な軍勢を、ユベール公爵は欄干から身を乗り出して見下ろしていた。
「閣下! 西から迫った軍勢は、帝国軍と、近隣の寝返った兵たちの混成部隊とのこと! すでに王都の門前に陣を張っております!」
背後に控える部下が、顔面を蒼白にしながら悲痛な報告を上げる。
だが、ユベールの耳にはそんな言葉は微塵も届いていなかった。
彼の濁った瞳は、『魔力鏡』を通して軍勢の最前線――黒馬に跨り、堂々と陣頭指揮を執る『一人の女』の姿に釘付けになっていたのだ。
遠目からでもわかる、輝く金糸の髪。透き通るような肌と、美しくも気高いその貌。美しい青のドレスの戦装束。
「あぁ……ああぁぁっ……!」
ユベールの全身が、狂喜のあまりガタガタと激しく震え出した。
「アデレータ……! 私のアデレータ! 生きて……私の元へ、帰ってきてくれたのか……!」
それは、若き日のアデレータに生き写しとなったエルマの姿だった。
帝国によってベルン領で焼き殺されたと思い込んでいたユベールにとって、エルマは間違いなく彼が執着し続けた『アデレータの幻影』そのものであった。
「だが……なぜ、なぜ帝国の軍勢の中にいるのだ……!? おお、そうか! そうに違いない!」
ユベールは一人で納得したように、笑みを浮かべて両手を広げた。
「あの野蛮な帝国どもに、心を操られているのだ! 可哀想に……! 待っていておくれアデレータ、この私が、今すぐ君を呪縛から救い出してあげよう!」
狂気に完全に呑み込まれた男は、血走った目で振り返り、部下に向かって怒鳴りつけた。
「おい! 今すぐ『ファネリア侯爵家』の全軍を出動させろ! あの不届きな帝国軍を殲滅し、私のアデレータを奪還するのだ!」
「なっ……!? 閣下、正気ですか!?」
部下は耳を疑い、思わず叫び声を上げた。
「ファネリア侯爵家の軍は、王国最強の武力! 現在は東部でアスタロッテの狂信者たちを抑え込むための要です! それを西部の防衛に回せば、東部の防衛線が完全に崩壊し、この国は終わってしまいます!!」
「……」
必死の諫言。王国を思う忠臣としての、至極真っ当な意見である。
だが、次の瞬間。
鈍く、ひどく生々しい音がバルコニーに響いた。
「が、はっ……え……?」
部下が信じられないものを見るように視線を落とすと、自らの胸に、ユベールが手にした短剣が深々と突き刺さっている。
「私の……アデレータの帰還を祝えない虫けらなど、この国には不要だ」
ユベールは一切の感情を交えずにそう吐き捨てると、短剣を無造作に引き抜いた。
鮮血を撒き散らし、忠実だった部下が物言わぬ死体となって床に転がる。
「ふふっ……アデレータ。君の実家であるファネリアの軍を使えば、君も正気を取り戻してくれるだろう? 感動の再会だ。あぁ、なんて美しい話なのだろう……!」
国が滅びようとも、民が血の海に沈もうとも関係ない。
己の歪んだ愛と狂気だけを満たすため、狂王と化した公爵は彼女の祖父母たる『ファネリア侯爵家』の最強の軍勢を差し向けるという、命令を下したのだった。
* * *
「水を止めろ」
陣を敷いてからエルマがしたことは、川をせき止めることであった。アズガルド山脈から流れるいくつかの川の水は、王都の生活用水としてひかれている。その各所を土で埋めていく。
「ここから三日程度だ。ここの平原の草という草を焼き尽くせ。しっかり王都の連中の喉が渇くようにな!」
兵達はエルマの指示を聞くと、即座に行動に移す。
「あの……」
「文字通りのあぶり出しだな。狭い王都で戦うのはごめんだからだ。貴族共の恐怖と物理的な渇きの二重作戦ってわけだ」
きょとんとしているトムに、ザックはその意味を教えてやるのだった。




