22.食い破れ辺境の者共
バルデ邸の広間。贅を尽くした調度品が所々に飾られている。
「アレクおじさん……甘かったかな……」
隣に立つアレクを見上げて、エルマはぽつりとつぶやく。
バルデ子爵を殺さず、生け捕りにしたことへの迷いだ。
「お嬢、俺らベルンの民はエルマ・ベルンの決定に従う。まぁ、あまりに不満であれば声はあげるけどな。誰も文句はいってねえ。つまり、問題ねぇってことだ」
「そっか」
「ほら、お嬢。ザックだ」
エルマは指さす先を見る。ザックがえっちらおっちらと大きな机を運んできた。
「おいエルマ! いい机あったぜ! 作戦会議だ!」
「ザック、ありがとう」
自身の行動に引っかかるところはあったが、いつも通りのザックの態度が今のエルマにはひどくありがたかった。
* * *
「さて、バルデ邸がここだ。西から攻めてきたわけだから残りのバルデ領は東のこの部分だ。兵数としてはここで四百くらいまでは増やせるだろ」
ザックは現状を説明する。この会議に実質参加しているのは、帝国の部下のみである。アレクは隅で瞑想しているし、神殿騎士達はエルマの言うことは神の御心として何でも聞いてしまうので、まともな議論の意味がない。
無性にフォルテの知性が恋しいザックである。
「この資料によるとだな。王都までの道のりで伯爵、子爵、男爵領と……」
「なぁ? ザック」
「……よぉ、悪党」
ザックは、ふいに黄金の瞳へと変わった将軍に軽口を叩く。
「御機嫌な挨拶だ」
それに対してくつくつと悪鬼は笑う。
「おめぇよ、随分と模範的な軍人になったもんだな」
「んだよ」
ザックは舌打ち交じりに悪鬼を睨みつける。
「かったるいぜ、その道のり。使えよ。居るだろうが、王国貴族様がよ。ちっとばかり今はボロボロだがな」
「まさかお前!?」
ザックは目を見開いた。あの時、バルデに情けをかけたのは、単なる慈悲ではなかったのか。子爵を上手く使いつぶすための――――最初からそこまで計算して生かしたのだとしたら、目の前の女は正真正銘の化け物だ。
と、普通なら思うところだが、悲しいかなザックは「こいつならやりかねねぇ」とさもありなんと納得してしまっていた。
『ちがう! ちがうんだザック! 私はそんなつもりでは!?』
内なる令嬢が血の涙を流して必死に弁明するが、悪鬼の口は止まらない。
「フハハハハハ! 東はアスタロッテからの攻撃だ。アズガルドに守られた西の貴族が、東へ加勢しにいくのは自然だよなぁ? そら、バルデを連れてこい!」
「少しは感動した俺が馬鹿だったよ! そうだよなぁ。お前の思考回路ならこうだよなぁ。やっぱり俺は馬鹿なんだよなぁ」
『ちがうんだ……』
エルマの悲痛な叫びは、悪鬼以外の誰の耳にも届くことはなかった。
* * *
「私が陣頭……に、ですか?」
神殿騎士が捕虜となったバルデ子爵――トーリスを広間へと引きずり出してきた。
先刻のことで、栄えある貴族の威厳などとうに消え失せている。だが、命に対する意地のようなものは見てとれた。その後ろでは、娘のロッテがハラハラと震えながら父親の背中を見守っている。
「そ、そうだ。お前はバルデ子爵軍として東に加勢しにいくのだ。旗も用意しろ」
「……は、はぁ。しかし、私は下働きでは――」
言葉の途中で、エルマは両手で机を強烈に叩き付けた。
ドガァンッ! と凄まじい轟音が広間に鳴り響き、分厚い机にピキリと無惨な亀裂が走る。トーリスが一瞬で顔を青ざめさせ、肩を竦ませた。
「こ、これも下働きのうちだ!」
「は、はぁ!」
エルマは顔を赤くして必死に声を張り上げながら、チラチラとザックの方を見ている。彼女の内心は、自分の弁明と悪鬼の無茶振りをなんとか取り繕おうと焦りでいっぱいだった。
* * *
数日後。
王国西部の街道を、バルデ子爵の旗を掲げた一団が進んでいた。
「バルデ子爵軍、東の防衛の加勢に向かう! 門を開けよ!」
近隣の男爵領の城門前で、トーリス・バルデは震える声を張り上げる。
彼の背後には、領民や私兵に偽装した『狼と薔薇』の精鋭たちが、息を潜めて控えていた。
味方であるはずの王国貴族の軍勢の来訪に、男爵領の守備兵たちは何の疑いも持たず、重い城門を開け放つ。
(……すまない)
トーリスは、これから眼前の同胞たちに降り注ぐであろう凄惨な蹂躙劇を想像し、固く目を瞑った。
門が開かれ、中へ迎え入れられた、その瞬間。
「いくぞ!! ちょっと最近むしゃくしゃしてたんだ! ここはやらせてもらう! イィィィィヤッハァァァァァァァ!!」
ザックの悪鬼じみた狂声と共に、バルデの兵に偽装していた悪党の群れが、一斉に牙を剥いた。
「なっ!? き、貴様ら――!」
無警戒だった男爵領の騎士が慌てて剣に手をかけようとする。
だが、ザックの動きはその初動を遥かに上回っていた。
かつては強敵を前に逃げ回るばかりだった凡人の足運びではない。彼の身体は、長年あの『銀狼』の隣で死線を潜り抜け続けたことにより、彼なりの洗練された戦い方を習得していた。
極限まで研ぎ澄まされた『死の嗅覚』が敵の刃の届かない完全な死角を割り出し、そこにライドのように一切の迷いのない力強い踏み込みで滑り込む。
「遅ぇよ」
騎士が剣を半分も抜かぬうちに、ザックの刃が音もなくその首筋を正確に薙ぎ払った。
血飛沫が舞う中、ザックは足を止めることなく流れるような軌道で次の獲物へと肉薄し、返す刀で二人目の心臓を深々と貫く。
「なぜ棒立ちで殺されるのだ……!?」
「み、見えない! どこから攻撃されている!?」
悲鳴を上げる男爵領の兵士たちから見れば、その洗練された戦技は、大陸を震え上がらせている狼と薔薇の軍団の副長にふさわしい。
騙し討ち。それは戦術において下劣で、最も効率的な必勝法である。指揮官の鬼神のごとき突撃に呼応し、後に続く『狼と薔薇』の兵士たちも次々と血の海を築いていった。
王国の要衝は、まるで寄生虫に内側から食い破られるように、確実に陥落していく。
こうして、悪鬼の計略による偽装進軍は、王国の中央部を次々と大悪党の軍門へと降らせていくのだった。
――そして、王国東部。エルマの軍はすでに万にも届く勢いにまで膨れ上がっていた。
王都は円形で三層に区分けされている。農民街、平民街、貴族街である。
道中、捕虜とした貴族たちをその王都の門前で一斉に離す。
「ほら、帰れるぞ。とっとと行け」
ザックが尻を蹴り飛ばすと、我先にと貴族たちは王都の第一層の関所に駆け込んでいく。
だが、バルデ子爵のトーリスはいかない。
「行かねぇのか?」
「私はこちらの下働きの方が性にあってますな」
と、得意げな顔で言っている。トーリスは頭が働く。長年汚職をして生き延びてきたのは伊達ではない。この圧倒的な暴力の渦を間近で見て、勝馬の空気を感じ取ったのであろう。
半ば、自身と似たような『生き汚い生存本能』に、ザックは親近感を覚えるとともに、少しめまいがしたのだった。




