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きみの声だけ、聞こえない  作者: A


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3/14

隣になった彼女 -誠-


「お前、ほんと最高の席だよな。運のステータス極振りかよ」

「まぁ、寝やすい席ではあるな」

「違うわっ! 蓮見さんの隣がってことだ」


 月曜の朝。

 席に着くなり、隆と健介が絡んできた。


 席替え直後にも聞いたようなからかいは、週末をゲームで綺麗に溶かした身にいささか重い。

 重力に負けるように机へ突っ伏す。


「くー、俺ならこの機会、絶対無駄にしないのに」

「何を無駄にしないんだよ」

「そりゃお前、青春をだな」

「今で十分楽しいだろ」


 健介が本気で悔しそうに机を叩き、隆はその横で肩を揺らした。


「で、蓮見さんには興味ないのか?」

「興味以前に、よく知らない」

「その割には、金曜日に一緒に歩いてたらしいじゃないか」


 隆が言った途端、健介の顔が跳ね上がった。


「は? なにそれ?」


 騒ぎ出そうとしたその口を、隆が無理やりふさぐ。

 意味ありげな表情が、どうしてかこちらに向けられていた。


「そういえば、そうだったな」

「なんだ、隠し事か?」

「いや、今思い出した。荷物運ぶの手伝っただけだし」

「……お前なぁ」


 隆が大げさにため息をつく。

 健介は「この裏切り者」と言って、睨んでくる。


 別に、大したことではない。

 金曜、重そうな箱を抱えてふらつく子がいたから声をかけ、半分持った。

 それだけだ。


 ただ、一つだけ引っかかったことがある。

 押しつけられたらしい荷物を、蓮見さんは自分のことのように謝っていた。


 だから帰り際、無理なら断ってもいい、と言った。

 どう受け取ったのかは、よくわからなかった。


「で? なんか話したのか?」

「……別に」

「別にって……少しくらいはあるだろ」

「荷物の置き場所は聞いた」

「そういうことじゃない」


 二人はまだ何か言っていた。

 俺は適当に相槌を打ちながら、机に頬杖をつく。


 そのうち、廊下のざわめきが教室の入口に近づいてきた。

 蓮見さんが来たのだと、すぐにわかった。


 待ち構える女子。偶然を装う男子。なぜか混じっている他クラスの連中。

 その中心を、蓮見さんが歩いてくる。


 女子に話しかけられれば足を少し緩める。

 男子には歩幅を変えずに返す。

 近づきすぎた相手の前では、鞄を持つ手が体の前へ戻る。


 それでも、笑顔の形は崩れないし、歩く速度もほとんど変わらない。

 まるで、誰がどう動くのかわかっているみたいに。


 器用だな、と思う。

 たぶん、器用にならないと通れない場所なのだろうとも思う。


(毎朝あれなら、俺は教室に入る前に帰りたくなるな)


 蓮見さんは最後に小さく会釈して人だかりを抜けると、いつもの席へ鞄を置いた。

 隆と健介は、いつの間にかいなくなっていた。


「おはよう、蓮見さん」


 今日のノルマもこれで終了。

 そう思い、もう一度机に伏せようとする。


 けれど、返事はすぐに返ってこなかった。


「…………」


 真正面から視線が刺さる。


 どこか真剣な雰囲気に、目を逸らすことができなかった。


「……どうかした?」


 蓮見さんは俺の顔を見ていた。

 いや、顔というより、もう少し違うところを見ている気がした。


 一呼吸置いて、蓮見さんがまぶたを伏せる。

 それから、息を逃がすみたいに口元をゆるめた。


「おはよう、氷室君。あの、金曜日はありがとう」


 金曜の荷物運び。

 隆たちに言われるまで忘れかけていたことを、律儀に持ってきたらしい。


「気にしないでくれ。別に大したことじゃない」


 蓮見さんは自分の席に鞄を置いた。

 けれど、すぐには教科書を出さなかった。


 机の横に立ったまま、鞄の持ち手からゆっくり指を離す。


「……それでもだよ。私が、ちゃんとお礼を言いたかっただけだから」


 そう言ってから、蓮見さんはようやく椅子に座った。

 両手を膝の上に戻し、指を重ね直す。


「それなら、どういたしまして。また手伝えることがあったら言ってくれ」

「……いいの?」


 重なっていた指が、わずかに動いた。


「まぁ、暇な時なら」

「……暇なら、なんだ」

「そりゃ、当然だろ。俺たち、そこまで仲良くないし」


 なんでもない言葉だった。


 俺だって、いつでも何でも手伝うわけじゃない。


 家族や友達との時間は大事だし、新作ゲームの発売日だったら少し悩む。

 寝たい日なら、たぶん寝る。


 そのくらいの、普通の返事だった。


「っ──あははっ。うんっ! 普通はそうだよね」


 蓮見さんは、一瞬だけ目を見開いた。


 それから、膝の上に置いていた手を口元へ持っていく。

 指の隙間から、こらえ損ねた声が漏れた。


 周りの何人かが、驚いたようにこちらを見る。


 蓮見さんはその視線に気づくと、すぐに背筋を伸ばした。

 口元を押さえたまま、何度か小さく瞬きをする。


 さっきまで緩んでいた頬が、いつもの位置へ戻ろうとしていた。

 戻ろうとして、少しだけ失敗している。


「蓮見さんって、変わってるよな」

「ふふっ、氷室君もね」


 そう返されて、俺は咄嗟に反論できなかった。





◆◆◆◆◆





 チャイムが鳴り、一時間目が始まった。


 蓮見さんはもう、いつもの涼しい横顔に戻っている。

 俺は俺で、眠るための準備を淡々と整えた。


 昨日の夜に削った睡眠時間は、どこかで回収しなければならない。

 テストで点を取ってさえいれば、母さんも何も言ってこない。


(要は自己責任ってことだな)


 そういうことにして、ゆっくり眠りに沈んでいく。


 次に目を開けた時には、授業終了まで十分を切っていた。


 ある意味、理想的なタイミングだ。

 自分の体内時計の正確さに、思わず小さくガッツポーズを取る。


 その瞬間、隣から笑いを堪えるような気配がした。


 振り向く。


 蓮見さんは黒板を見ているふりをしていた。

 けれど、ペン先はノートの同じ場所に止まったままだ。


 肩だけが、ほんの少し上下している。


「……見た?」


 小声で聞くと、蓮見さんは一度だけ周囲を見渡した。


 それから、返事の代わりにノートの切れ端を差し出してきた。


『気持ちよさそうに寝てたね』


 几帳面な字だった。


 隣の席では、さすがに誤魔化しきれないらしい。


 教室で見かける蓮見さんは、授業中に紙を回すような人には見えなかった。


 何と答えるか。

 少し考えて、やめた。


 こういうのは、勢いで返した方がいい。


『次からは料金を取ることにするよ』


 紙を返す。

 蓮見さんはそれを読んで、口元に手を添えた。


 すぐに返事が戻ってくる。


『じゃあ、見るのをやめて先生に言うことにするね』


 冗談だとは思う。

 思うが、それをされると非常に困る。


 蓮見さんが言えば、男性教師は余計に張り切るだろう。

 説教のサンドバッグ状態になっても不思議じゃない。


『嘘です。むしろ、ずっと拝んでいてください』


 腹を見せた犬と、全力で土下座する棒人間を添える。


 線は少ないのに、妙に情けない顔になった。


 蓮見さんの肩が、また小刻みに揺れる。

 声は出していない。


 けれど、口元を隠す指の隙間から、整え損ねた笑みが見えた。


 入口で大勢に向けていた笑い方は、口元から始まっていた。

 今のは、目尻の方が先に笑っている。


『氷室君って、面白いんだね。失礼かもしれないけど、ちょっと意外だった』


 本人が使い分けているのかは、知らない。

 聞いたら困らせそうなので、今のところ聞くつもりもなかった。


『気にしなくていい。俺も、蓮見さんはもっと取っ付き難い人だと思ってた』


 紙を戻す前に、ちらりと隣を見る。

 蓮見さんは、返事を待つ時だけ黒板から視線を外していた。


 ペンを持つ手は、ノートの上で静かに止まっている。

 やがて、小さくペンが走る音がした。


『それでも、手伝ってくれたんだ』


 短い文字だった。

 けれど、そこだけ少し丁寧に書かれているように見えた。


 何を思って書いたのかは、わからない。

 わからないけれど、返事だけは決まっていた。


『それとこれとは、関係ないからな』


 困っているように見えたから手伝った。

 それ以上でも、それ以下でもない。


 誰かに手を貸す理由まで、いちいち気持ちと結びつける必要はないと思う。


 紙を戻すと、しばらく戻ってこなかった。


 横目で様子を窺う。


 蓮見さんは、俺が書いた紙を握ったまま下を向いていた。

 紙の端が、彼女の指の中で小さく折れる。


(……そんなに変なこと、書いたか?)


 そこでチャイムが鳴った。


 蓮見さんは一度だけチャイムの方へ目を向け、それから、まだ白いままの紙を見た。


 添えられた指が、その余白を何度もなぞる。


(……告げ口しないでもらえるよう、もう少し仲良くしておいてもいいよな)


 自分に言い聞かせるように理由をつけて、俺は伸びをしながら隣へ顔を向けた。


「今後も黙認してもらえると助かる。その謝礼として、このチロルチョコを進呈しよう」


 話しかけた瞬間、蓮見さんの肩が小さく跳ねた。


 ゆっくりとこちらを向いた顔は、少しだけ険しい。

 けれど、口元を結び直すのが一拍遅れていた。


「……これって、ただ自分が開けるのが億劫になっただけじゃないの?」


 半ば溶けかけたチョコの感触に気づいたのだろう。


 蓮見さんは形の崩れた包みを指先でつまんだ。

 それでも、机の上へ置く動作は丁寧だった。


「バレたか。でも、蕩けるチョコってなんか美味しそうに聞こえないか?」

「協力する気、なくなっちゃうなあ」

「わかったわかった。何味のチロルがいいんだ? 今度買ってくるよ」

「じゃあ、きなこ味」

「秋まで探し回らせる気か」

「別に、チロル以外でもいいんだよ?」

「他のは高いから無理」

「あははっ。わかった、それで手を打とうか」


 蓮見さんが楽しそうに笑う。


 その声に、教室の空気がふっと変わった。


 離れた席で、隆が露骨に眉を上げている。

 斜め前の男子も、まだこちらを見ていた。


「ありがたき幸せ。じゃあ、俺はトイレにでも行ってくるよ」


 このまま座っていると、隆が面倒な顔で寄ってくる。


 席を立ち、振り向かないまま廊下へ出た。


 背中に、視線を感じた気がした。

 けれど、振り返るほどの理由は見つからなかった。


 いつもの視線と同じだと思うことにして、俺はそのまま歩き出す。


 ただ、教室の音が遠ざかっても、さっきの笑い声だけは、少しの間、耳の奥に残っていた。


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