一人分の場所 -誠-
外が暗くなってきた頃。
ゲームをしていると、スマートフォンが揺れた。
『行きたい』
画面が明るくなって、通知が浮き上がる。
その文字だけで、誰だかわかった。
やっているゲームに、一時停止の機能はない。
体力がなくなれば最初から。
それでも、スマートフォンを手に取った。
『わかった』
『いつが空いてる?』
画面では、見慣れたキャラクターが倒れて暗転する。
スタート画面へ戻り、ムービーが流れ始めた。
それがもう一度、頭から流れ始める頃に、再びスマートフォンが揺れた。
『土曜日はどう?』
クラスメイトを家に呼ぶ。
普通に考えれば、それだけのことだ。
けれど、隆や健介を呼ぶ時とは違う。
あいつらなら、玄関を開けた瞬間から「腹減った」と言う。
早希が適当なことを言っても、適当に返す。
親父がよくわからない料理を出しても、気にせず食べる。
母さんが無表情で見ていても、勝手に怖がって、勝手に慣れる。
蓮見さんは、たぶん違う。
何が違うのかは、上手く言えなかった。
ゲームを閉じて、モニターの電源を落とす。
机の下では、溜め込んだ熱を吐き出すように、ファンが音を響かせていた。
◆◆◆◆◆
時計を見ると、七時を少し過ぎていた。
部屋の扉を開けた瞬間、階下からにぎやかな声が聞こえてくる。
「お兄ちゃんのハンバーグ、ちょっと小さくてもバレないかな?」
「そうだな。隅っこからちょっとずつ貰ってこう」
「やめろ」
悪巧みをしていたらしい二人の声に、階段の途中から割って入る。
リビングに入ると、親父が台所に立っていた。
早希はその横で、味見というには多すぎる量を皿に乗せている。
「なーんだ。今日はハンバーグ二個食べられると思ったのに」
「一個半な。父さんも食べる」
「いや、俺の分が丸々無くなってるんだが」
早希と親父が、揃って不満そうな顔をこちらに向ける。
「なんだ?」
「最近、お兄ちゃん帰るの早すぎ」
「たまにだろ。遅くなるの」
食器棚から自分の皿を取り出す。
テーブルの上に四枚。
いつもの数。
その四枚目を置いたところで、玄関の鍵が開く音がした。
「ただいま」
母さんが帰ってきた。
スーツ姿のままリビングに入ってきて、台所の方を見る。
親父。
早希。
俺。
順番に視線が動く。
「……なんだか、楽しそうね」
母さんは鞄を椅子に置いて、上着を脱いだ。
表情はほとんど変わらない。
でも、袖を抜く指先が、ほんのわずかにゆっくりになった。
家族ならわかる程度に。
「瑛里華さん、今日もお疲れ様」
「ええ。隼人さんも、ご飯ありがとう」
「なんくるないさー」
どこか調子はずれで、意味もたぶん違う返事。
それでも、我が家には妙に合っている気がした。
◆◆◆◆◆
「今度、クラスメイトを家に呼んでもいいか」
夕食の始まり。
いつものくだらない話が始まる前に、言葉を挟んだ。
いただきますの形で、三人の手が止まる。
視線が、こちらに集まった。
「いつもの二人?」
「違う」
母さんは別として、親父と早希が、無言のまま視線を合わせる。
「……なんでそこで止まるんだよ」
「いや、だって。お兄ちゃんが家に呼ぶ人って限られてるから」
早希が、ゆっくりと瞬きをした。
そのまま、親父の方を向いて続きを促す。
「……彼女か?」
「違う」
「……女の子か?」
「まぁ、そうだな」
二人の目が、一段階大きくなった。
そして、妙に輝き始める。
「「えーっ! なにそれ、詳しく」」
「うるさい」
「可愛い系?」
「綺麗系?」
「「どんな関係?」」
妙な連帯感で、問いかけを重ねてくる。
こうなることは、分かっていた。
無視して、何も言わない母さんの方に視線を向ける。
「来るのは、いつ?」
「よければ、今週の土曜」
母さんは何かを考えるように、一瞬目を伏せた。
それから、ゆっくり口を開く。
「……わかった」
「ありがとう」
母さんが食事を再開する。
俺はスマートフォンを取り出して、返事を打った。
『大丈夫そう』
すぐに、お土産はチロルでいいかと返ってきた。
菓子折りを要求してみると、即座に『それは無理』と届く。
冗談を一つ返してから、スマートフォンを伏せた。
早希が、こちらの体を肘でつつく。
「それで?」
「なにが?」
「どんな子?」
「…………会えばわかる」
「えー、教えてくれてもいいじゃん」
一瞬、どう言おうか迷った。
蓮見さんが、どんな人か。
言えることはいくつかある。
けれど、それを俺が先に言ってしまえば、蓮見さんがここに来る前から、何かが決まってしまう気がした。
家族も、そう見る。
蓮見さんも、たぶん、そう見られようとする。
それは違う気がした。
だから、やめた。
「ヒント」
「会えばわかる」
「二回言った」
「大事なことだからな」
「ずるい」
早希が不満そうに頬を膨らませる。
親父が箸を持ったまま、楽しそうにこちらを見ていた。
「でもさ。失礼とかあったら困るでしょ?」
「大丈夫。お前はどっちにしろそういう気遣いできないだろ」
「ははっ。確かにそうだな」
「いや、親父も同じだから」
二人が本気でショックを受けたような顔で固まる。
口元が、自然と緩んだ。
「普段どおりでいい」
箸の先を一度だけ止める。
早希が余計なことを言って。
親父がそれに乗って。
母さんが短い言葉で整える。
そういう家だ。
気を遣って、別の場所みたいにする必要はない。
蓮見さんにも、そこに来てほしかった。
「俺は、気に入ってるから」
言ってから、視線を皿に落とした。
早希が口を開きかける。
その前に、母さんの声がした。
「その子は」
短い声だった。
早希も親父も、自然に黙る。
母さんは箸を置かずに、こちらを見ていた。
「誠にとって、どういう子なの?」
どういう子。
クラスメイト。
隣の席だった人。
本を貸してくれた人。
いくつかの言葉が浮かぶ。
きっと、どれも正しくて、どれも違った。
友達だと答えれば、嘘ではない気がする。
でも、それだけで足りる気もしなかった。
考えてから、口を開く。
「まだ、よくわからない」
親父と早希が、同時に首を傾げる。
「でも、雑には扱いたくない」
母さんは一度だけ瞬きをした。
それから、短く頷く。
「そう」
それだけだった。
でも、母さんの中では、それで十分だったらしい。
親父は茶化さなかった。
早希も、静かに箸を持ち直す。
料理から、湯気が細く立ち上った。
いつもの食卓だった。
そこに、蓮見さんが来る。
まだ先のことなのに、テーブルのどこかに、もう一人分の場所が空いたような気がした。
◆◆◆◆◆
夕飯のあと、自分の部屋へ戻った。
スマートフォンを開くと、新しいメッセージが届いていた。
『どんな感じでいけばいいかな?』
『蓮見さんに任せる。気を遣う必要もない』
既読は、すぐについた。
それなのに、返事は来ない。
文字を打っている最中なのかもしれない。
画面を見たまま、もう一度だけ指を置く。
『俺が誘ったんだ。来てくれるだけでいい』
送ってから、画面を消した。
ベッドに寝転ぶ。
天井を見る。
これ以上の言葉は、たぶん重荷になる。
蓮見さんは、誰にも貸したことのない本を渡してくれた。
俺にも、知ってほしいものがある。
この家の、普段どおりのところを。
しばらくして、スマートフォンが震えた。
『楽しみ』
短い返事だった。
何か返そうとして、指を止める。
画面の上で、文字が続いた。
『でも、そのぶんだけ怖い』
何を怖いと思ったのかは、書かれていない。
その一文の向こうに、俺がまだ知らない蓮見さんがいた。
ここに、その人が来る。
いつも通りのはずの部屋が、少しだけ知らない場所に見えた。




