表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
領収書屋さんと霧の中の灯台 ――北町商店街、最後の一枚まで愛で保護します――  作者: 乾為天女


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/13

第6話 北の町の古い灯

 優空は、朝の霧が濃い日にだけ、少し早く店へ来る。

 その日は、商店街の看板の文字も半分ほど白く沈み、魚屋の軒先に吊られた青い網が、遠くのもののように見えた。大輝が暖簾代わりの布を出すと、優空は杖の先で入口の段差を確かめてから、ゆっくり中へ入った。

 「今日は、灯台が見えにくいね」

 「見えないのに、見に来るんですか」

 「見えない日は、あるかどうか確かめたくなるの」

 優空は笑い、いつもの椅子に座った。大輝は薄めの緑茶を出し、小さな皿に昨日の栗ごはんを丸めたものを置いた。多すぎた栗ごはんは、朝になるとおにぎりになり、昼になると誰かの口へ消える。余りものの行き先としては上々だった。

 店の奥では、啓彰が子どもたちを座らせていた。

 「話を聞く姿勢を整えてください。背筋を伸ばします。可純さんもです」

 「私は子どもじゃないわよ」

 「大人は見本です」

 可純は言い返そうとして、広河がまっすぐ見ているのに気づき、しぶしぶ背筋を伸ばした。

 優空は紙コップを両手で包み、霧の向こうへ目を向けるように話し始めた。

 「昔ね、まだ今より船の音が近かったころ、冬の朝は本当に何も見えなかったの。川と海の境がわからなくなって、自分の家の前の道までよそみたいになる。そういう朝に、旧灯台の光がぼんやり見えると、ああ、北町に帰ってきたって思った」

 紗那が手を挙げた。

 「光、ぴかぴか?」

 「ぴかぴかというより、ぼうっと。遠くの人が、ここですよって手を振ってくれる感じ」

 広河は自分の小さな手を振ってみせた。

 「姫みたい?」

 「姫より、もう少し働き者だったかな」

 可純が笑い、広河は少し考えてから、冠を押さえた。

 「姫も働く」

 「じゃあ、同じくらい」

 優空はうなずいた。

 大輝は、栗皮茶色のファイルを開いた。優空の話に出てくる時代と近い日付を探す。昭和の終わりごろの領収書に、「霧夜 茶葉代」とだけ書かれたものがあった。店名は、もうない茶舗。金額は小さい。

 「これ、もしかして」

 優空は眼鏡をかけ、紙をのぞきこんだ。

 「この字、覚えてる。お茶屋の清さんだわ。霧が濃い日は、灯台の下でお茶を出していたの。船の人も、仕事帰りの人も、あそこで少し休んだ」

 「領収書には、誰に出したかまでは書いてありません」

 「でも、出した人はいたのよ。飲んだ人もね」

 その言葉は、古い紙の足りない部分をそっと埋めるようだった。

 啓彰がまた手を挙げた。

 「質問してもよろしいでしょうか」

 「もちろん」

 「灯台は、観光地ではないのに、どうして残したいのですか」

 子どもらしいまっすぐさで、集まった大人たちのほうが少し黙った。

 優空は急がずに茶を飲んだ。

 「観光地じゃないから、毎日使っていたの。写真を撮るためじゃなくて、帰る方角を思い出すために」

 大輝はその言葉を書き留めた。聞き取り表の余白に、帰る方角、と記す。

 可純が隣からのぞきこんだ。

 「いい言葉ね。大きく貼ろう」

 「まだ聞き取りの途中です」

 「途中でも、いい言葉は逃げるわよ」

 「逃げません。紙に書きましたから」

 可純は納得したような、していないような顔で緑茶を飲んだ。

 店の外では、霧の中を人が通るたび、足音だけが先に聞こえた。宅配の台車、犬の爪、誰かの自転車のベル。姿が見えるころには、音のほうがもう通り過ぎている。

 大輝は旧灯台のほうを見た。白い霧の奥に、かすかな輪郭がある。見えないと言えば見えない。だが、そこにあると知っているから、目が探す。

 優空は帰り際、ファイルの前で足を止めた。

 「この紙、捨てないでくれてありがとう」

 「まだ、捨てないと決めただけです」

 「それが最初でしょ」

 優空は杖を持ち直し、入口で振り返った。

 「大輝くん、あの灯台はね、光っているときだけ役に立っていたんじゃないの。見上げる癖が、町の人に残っていた。それも、灯台の仕事だったのよ」

 仕事。

 その言葉が、大輝の胸に静かに落ちた。

 誰かの帰り道になること。毎日名乗らず、そこに立っていること。給料明細には載らなくても、確かに誰かを支えること。

 旧灯台の輪郭は、霧の中でまた薄くなった。けれど大輝の目には、さっきよりはっきり映っていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ