第47話 取引の表と裏
紙の証言が終わると、今度は数字の時間になった。
道雄は、資料の束を机に置いた。置き方がまっすぐすぎて、勇が「角で手が切れそう」と小声で言い、道雄に「切れるのは見積もりの無駄です」と返される。
「再開発案の取引条件を整理します」
道雄の声は、いつもより少し低かった。
会場の人々が姿勢を直す。
大輝は、数字が苦手な人たちの顔を見た。残したい気持ちがあっても、費用の話になると目が泳ぐ。壊したくないのに、払えないと言えずに黙る。反対の声が大きいほど、生活の不安を口にしづらくなる。
だからこそ、ここで逃げてはいけない。
道雄は、再開発会社の提示した資料を一つずつ確認した。
新しい記念碑の設置費。周辺整備費。管理費。土地利用の契約年数。商店街が使えると書かれている共用部分の範囲。
麻央が横から補足する。
「記念碑は、確かに建ちます。ただし、自由に集まれる下部倉庫のような場所ではありません。行事利用も、事前申請制になります」
「つまり、困った時に駆け込めない?」
優空が聞いた。
「はい。少なくとも、今のように鍵を預かって、毛布や非常食を置いておく使い方はできません」
会場の後ろで、賛成派だった店主が腕を組み直した。
「でも、新しい施設ができれば、人は来るんだろう」
担当者が頷く。
「物流施設に伴う人の流れは見込めます。雇用も――」
「その人たちは、北町で緑茶を飲みますか」
可純がぼそりと言った。
会場が一瞬静まり返る。
担当者は答えに詰まった。
大輝は、可純の言葉を引き取った。
「来る人が増えること自体は、悪いことではありません。でも、今ここで話しているのは、人が通る町にするか、人が戻れる町にするかです」
自分でも、少し大きな言葉になったと思った。
けれど、続けた。
「下部倉庫は立派ではありません。湿気もあります。床も直さないと危ない。けれど、そこには毛布を置けます。非常食を置けます。子どもが泣いていたら座らせられます。高齢の方が霧で不安になったら、緑茶を出せます。領収書の相談もできます。見た目の立派さでは測れない使い方があります」
麻央が、保存案の費用試算を出した。
「もちろん、残すなら現実的な負担があります。修繕費、保険、定期点検、鍵の管理、安全確認。そこを曖昧にして『残したい』だけでは、後で町が困ります」
涼が意見箱の紙を数枚選んで読み上げた。
「『残したいが払えない』。『壊すのは嫌だが、事故が怖い』。『反対と言う人の声が大きくて、賛成とも迷っているとも言いにくい』」
可純が少し肩を落とした。
大輝は、その横顔を見て、可純も傷ついているのだと分かった。大声は、誰かを奮い立たせることもある。けれど、誰かを黙らせることもある。
珠里が静かに手を上げた。
「払えない人を、町から追い出すような保存なら、私は反対です」
優空も頷いた。
「残すことで誰かが苦しくなるなら、灯台は喜びません」
「灯台が喜ぶかどうかは分かりませんが」
理彩子が真面目に言い、会場にまた小さな笑いが起きた。
「ただ、管理方法を現実的にすれば、危険は減らせます」
なつほは模型を前へ出した。
下部倉庫の使える範囲、立ち入り禁止にする場所、修繕が必要な床、子どもが触ってはいけない配線。模型で見ると、言葉だけよりずっと分かりやすかった。
「ここは閉める。ここは開ける。ここは大人だけ。ここは緑茶」
広河が指で示した。
「姫の説明、雑だけど合ってます」
なつほが言い、広河は得意げに胸を張った。
再開発会社の担当者は、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくり口を開く。
「こちらの計画にも、町のためという意図はあります」
「分かります」
大輝はすぐに答えた。
担当者が少し驚いた顔をした。
「でも、町のためという言葉の中に、町の人がいつでも使える場所が入っていないなら、私たちは確認しなければなりません」
大輝は、栗皮茶色のファイルを見た。
「この紙に残っているのは、立派な建物ではなく、使われた場所です。困った人が座った場所。濡れた靴下を脱いだ場所。冷凍コロッケが少し焦げた場所。そういう場所を、別の石碑で置き換えられるのか、考えたいんです」
「冷凍コロッケが焦げたのは、俺の技術の伸びしろです」
勇が言い、道雄が「伸びしろの管理計画も必要です」と返した。
笑いが起きた。
その笑いは、相手を追い詰めるものではなかった。
町が、自分たちの不完全さを認めながら、それでも選ぼうとしている音だった。
取引の表には、記念碑と雇用と整備がある。
裏には、使えなくなる場所と、消える記録がある。
大輝は、その両方を机に出したまま、誰も目をそらさずにいられる時間を作りたいと思った。




