第45話 霧の中の灯台
正朋が見つかった知らせは、商店街を一気に駆け抜けた。
集会所に戻るまでの道で、大輝は何度も声をかけられた。怪我はないのか。どこにいたのか。なぜ灯台のほうへ行ったのか。問いは次々に飛んできたが、正朋は母親の腕の中で泣き疲れ、答えられる状態ではなかった。
大輝は、正朋の握っていた紙を、濡れたハンカチごと小さな箱に入れて持っていた。
なつほが「すぐに広げちゃだめ」と言ったからだ。
「紙も、人も、濡れている時に無理をすると破れます」
その言い方があまりに真剣で、勇が「俺の心も今濡れてる」と言い、道雄に「乾燥工程に時間がかかります」と返されていた。
集会所へ戻ると、説明会の机はそのままだった。
スクリーンには、白い記念碑の完成予想図が映ったままになっている。誰かが消し忘れたらしい。その記念碑は、霧に濡れた商店街の空気からひどく浮いて見えた。
再開発会社の担当者は、会場の端に立っていた。
顔には疲れがあった。だが、その疲れは、正朋が無事だった安堵だけではなく、会場の空気が説明会前と変わってしまったことへの戸惑いでもあるように見えた。
涼が静かに前へ出た。
「本日の説明会は、中断とさせてください。子どもが迷子になった直後です。このまま判断を進めるべきではありません」
反対する声はなかった。
賛成派の店主も、腕を組んだまま頷いた。
可純は、何か言いたげに口を開きかけたが、珠里がそっと袖を引くと、黙って座った。今日の可純は、何度も黙る。その黙り方に、大輝は可純の本気を見た。
「ただ、一つだけ確認させてください」
大輝は、箱を持って立ち上がった。
さやが隣に来る。麻央が資料を閉じ、道雄がペンを置いた。
「正朋くんは、旧灯台の仮灯の近くで見つかりました。歌を聞いて、灯台の近くだと分かったそうです。詳しい話は落ち着いてから聞きます。でも、今日起きたことは、灯台が今も道しるべになっているという事実です」
担当者が眉を寄せた。
「それは偶然では」
「偶然も、何度も続くと、町の使い方になります」
大輝は答えた。
自分でも、少し強い言い方だと思った。けれど、声は震えていなかった。
なつほが箱の中の紙を確認した。
ハンカチごとそっと開き、乾いた紙を下に敷く。理彩子がライトを当て、麻央が横から覗き込んだ。
「古い領収書です」
なつほが言った。
「字は薄いけど、読めます。『迷子保護用毛布』『子ども用靴下』『緑茶』ってあります」
会場のあちこちで、息をのむ音がした。
優空がゆっくり立ち上がった。
「それ、たぶん、台風の年のものです」
「覚えているんですか」
「ええ。夜に、知らない子が灯台の下で泣いていたんです。服が濡れていて、靴下も片方なくて。商店街のみんなで毛布を出して、お茶を飲ませて、親御さんが来るまで待ちました」
珠里が続けた。
「その時の支払い、誰がしたかで揉めないように、誰かが領収書を取ったんです。でも、後で誰も請求しなかった」
「なぜ」
麻央が小さく聞く。
珠里は微笑んだ。
「請求する相手が、町ではなかったからでしょうね。困っていた子を助けた。ただ、それだけで終わらせたかったんです」
大輝の胸に、静かなものが満ちた。
領収書は、払ったお金を取り戻すためだけの紙ではない。
取り戻さなかったものを、忘れないための紙でもある。
正朋は今日、その古い紙を握っていた。
昔、誰かが迷子を守った記録を、今度は迷子になった子が守って戻ってきた。
可純が、とうとう泣いた。
大声ではなく、鼻をすすりながら、両手で顔を覆った。
「だから言ったのよ」
涙声なのに、言い方だけはいつもの調子だった。
「灯台は、ただの古い建物じゃないって」
涼が頷いた。
「今日の結論は出しません。後日、改めて話し合いを開きます。その時には、危険性だけでなく、実際に使われてきた記録と、今後の管理方法を含めて確認しましょう」
再開発会社の担当者は、少しの沈黙の後、頷いた。
「分かりました」
その返事が、本心からかどうかは分からない。
けれど、少なくとも今日、灯台を「使われていない建物」と言い切る空気は消えていた。
会場の外では、まだ霧が濃い。
旧灯台の仮灯は弱いままだ。
それでも、商店街の人々は、帰り道で自然とその光を見上げていた。
大輝も見上げた。
誰かを完全に守れる光ではない。迷子を出さないほど強い光でもない。
けれど、戻ってくるための目印にはなる。
霧の中で、その小ささが、かえって頼もしかった。




