第41話 北風と灯台姫
北風が強い日は、広河の灯台姫は少し危険だった。
本人は胸を張って歩くのだが、布で作った衣装は風をよく受ける。栗皮茶色のリボンは旗のように揺れ、白いマントは商店街の角を曲がるたびにばさりとふくらんだ。
「広河ちゃん、今日はその衣装、やめておきませんか」
大輝が店先で声をかけると、広河は即座に首を横に振った。
「姫は風の日も出ます」
「姫にも安全管理があります」
涼が言った。
「風の日にマントは、かなり引っ張られます」
「マントではない。灯台の光」
「光なら、なおさら飛ばないでください」
啓彰が礼儀正しく注意した。
だが、広河の決意は固かった。子ども領収書帳に「ひめのほご」と貼られて以来、本人の中で灯台姫の責任は三倍ほど大きくなっているらしい。
一彰は作戦表に「北風の日は衣装を短くする」と書き足そうとしたが、広河に「姫の背が短くなる」と抗議され、困った顔をしていた。
その午後、事件は惣菜屋の前で起きた。
可純が乾物屋の店主と、栗皮茶色の旗を置く場所について話している時だった。突風が商店街の北側から吹き抜け、広河の白いマントが大きくふくらんだ。
「あ」
紗那が声を出す。
次の瞬間、広河の肩から外れたマントが、栗皮茶色のリボンごと風にさらわれた。
「姫の光!」
広河が叫んだ。
「光じゃなくて布!」
可純が追いかける。
布は店先の旗をいくつか揺らし、勇の冷凍コロッケののぼりに一度引っかかり、そこからさらに舞い上がって、再開発会社が設置した説明会告知の看板へ飛んでいった。
看板は商店街の空き地の端に立っている。白い板に、取り壊し説明会の日付と会場が印刷されていた。その角に、広河のマントがぺたりと貼りつくように絡まった。
「危ないから待ってください」
涼が子どもたちを止める。
幸平が脚立を持ってきて、風の様子を見ながら看板へ近づいた。
「俺が取る。子どもは下がって」
広河は唇を噛んだが、啓彰に「待つのも保護です」と言われ、しぶしぶ下がった。
幸平がマントを外す。その時、看板の裏に貼られていた小さな紙が、風にめくれた。
「ん?」
幸平の眉が動いた。
「何か貼ってある」
涼が近づき、紙の端を押さえた。
大輝も、可純も、麻央も、同じように看板の裏を覗き込んだ。
そこには、説明会の日程変更を知らせる紙が貼られていた。
表に大きく出ている日付とは違う。時間も、会場も、少し変わっている。しかも紙は看板の裏側にあり、普通に通りを歩いていたら見えない位置だった。
「何これ」
可純の声が低くなった。
「日程変更のお知らせ……?」
麻央が紙を読み上げる。
「ただし、掲示開始日が書かれていません。これでは、住民に十分知らせたかどうか確認できません」
「裏に貼って、知らせたって言うつもり?」
可純が看板を睨む。
「まだ決めつけないでください」
涼はすぐに言った。
「風で表の紙が剥がれたのかもしれません。設置業者の貼り間違いかもしれません。ただ、この状態では告知として不十分です」
理彩子が看板の周囲を確認した。
「表の掲示跡はあります。でも、裏の紙は新しい。糊の乾き方も違います」
「乾き方まで見るの?」
勇が驚いた。
「見ます」
「俺のコロッケの焦げ方も見てましたもんね」
「それは匂いでわかります」
道雄は紙の内容を手帳に写した。
「説明会が早まっている。しかも会場が少し遠い。年配の人には負担です」
優空が眉を寄せた。
「私は、表の日付だと思っていました」
珠里も小さくうなずいた。
「うちの近所でも、変更は聞いていません」
大輝は、北風に揺れる看板を見つめた。
焦げた紙片。見積もりの妙な厚み。栗皮茶色の旗を受け取れない店の迷い。そして、看板の裏に貼られた日程変更の紙。
どれも一つだけなら、偶然や手違いと言えるかもしれない。だが、積み重なると、町の人が考える時間や、来る機会が少しずつ削られているように見えた。
「写真を撮ります」
麻央が言った。
「掲示位置、表の状態、周囲からの見え方。全部残します」
「子ども領収書帳にも貼る?」
紗那が聞いた。
「これは大人の確認ノートに入れましょう」
大輝は答えた。
広河は、幸平からマントを受け取った。布の端は少し汚れ、栗皮茶色のリボンは一か所ほどけている。
「姫、役に立った?」
広河が不安そうに聞いた。
可純がしゃがみ、リボンを結び直した。
「ものすごく立った。飛んでいかなかったら、見つからなかった」
「風に負けたんじゃない?」
「風を使ったのよ」
可純は大まじめに言った。
涼が横から、静かに補足する。
「ただし、次からは安全な長さにしましょう」
「姫、安全な長さになる」
広河は少し考えてから、重々しくうなずいた。
一彰はすぐに作戦表を直した。
――北風の日、衣装は短く。飛んだら大人を呼ぶ。看板の裏も見る。
啓彰はその横に「まず挨拶」と書き足した。
大輝は、看板の裏の紙を撮った写真を確認しながら、胸の中で静かに息を整えた。
説明会は近い。
ただ反対するだけでは足りない。だが、黙って見過ごすには、もう紙が集まりすぎている。
北風はまだ強く、栗皮茶色の旗を何度も揺らしていた。
その揺れは不安にも見えたが、同時に、小さな合図にも見えた。
見えないところに貼られた紙を、見える場所へ出す。
灯台姫の飛ばされたマントは、その日、確かに町の目になった。




