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領収書屋さんと霧の中の灯台 ――北町商店街、最後の一枚まで愛で保護します――  作者: 乾為天女


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第37話 捕らえられた紙片

 栗皮茶色の旗が商店街に増えた翌朝、正朋は大輝の店の入口で、掃除機を胸に抱えて立っていた。

 小さな腕には明らかに重すぎる家庭用掃除機で、ホースは床にだらりと伸びている。後ろから紗那が心配そうについてきて、さらにその後ろから広河が灯台姫の衣装の裾を持ち上げながら、なぜか行列の先頭のような顔をしていた。

 「おはようございます。正朋くん、その掃除機は」

 大輝が聞くと、正朋は真剣な顔で言った。

 「つまらせました」

 「また?」

 台所から顔を出した可純の声が、店の奥まで響いた。

 正朋は掃除機を少しだけ抱え直した。

 「お片づけをしました。栗皮茶の旗の糸が、床に落ちていました。糸は吸えます。でも、紙は吸ってはいけないと思いました。なので、紙じゃないと思って吸いました」

 「それ、吸ったんじゃない」

 可純が言うと、啓彰が正朋の横で姿勢を正した。

 「可純さん。事情聴取は相手の名誉を保つ言い方でお願いします」

 「掃除機に名誉があるの?」

 「正朋くんにです」

 大輝は笑いそうになりながら、長机の上を片づけた。

 「とにかく開けてみましょう。電源は入れないでくださいね」

 「はい。もう入りません」

 「入らない状態まで使ったんですね」

 ホースの先を外すと、最初に出てきたのは糸くずだった。次に、広河の衣装から落ちたらしい小さな金色の飾り。さらに、紗那の花丸シールの台紙、ラムネの包み紙、乾いた葉っぱが少し。

 なつほが、店の入口から覗き込んだ。

 「何かまた詰まったって聞いたけど」

 「聞くのが早すぎませんか」

 「商店街は配線より噂のほうが速いんです」

 理彩子も遅れてやって来た。手には透明な袋と、細いピンセット、白い手袋が入っている。

 「掃除機の中なら、古い埃や焦げ片が混じっているかもしれません。むやみに触らないで」

 「理彩子さん、準備が本格的ですね」

 「小火の原因を考えるなら、これも資料です」

 その言い方に、大輝は背筋を伸ばした。

 正朋の失敗で終わらせていいものではない。下部倉庫で小火が起きたあの日も、掃除機はたしかにそこにあった。あの時、紙片がいくつか吸い込まれた。焦げた端だけを大輝が拾ったが、残りは見つかっていない。

 紙パックを開くと、乾いた埃の匂いが広がった。

 紗那が鼻をつまみ、広河が「姫の部屋ではない」と後ずさる。可純は口では「うわ」と言いながら、誰より前に身を乗り出した。

 理彩子が手袋をはめ、埃を少しずつ白い紙の上に広げる。

 「焦げ片があります」

 その声に、店の空気が変わった。

 黒く縮れた紙の端が、灰色の糸くずに絡まっていた。ほんの爪ほどの大きさだ。文字らしいものは、見えない。

 「これ、前の小火の?」

 可純が声を低くした。

 「可能性はあります。掃除機を使った後、中を全部処分していなければ」

 「処分していないです」

 正朋が小さな声で言った。

 「ぼくが、ラムネを吸ったかもしれないので、怒られると思って、しまってありました」

 大輝は思わず額を押さえた。

 怒るべきか、感謝すべきか、味噌汁の具を増やすべきか、判断が追いつかなかった。

 なつほは細い道具を取り出し、紙片をそっと広げた。

 「湿らせないほうがいいですね。焦げて脆いです。歯の模型よりずっと緊張します」

 「歯と紙は違いますから」

 「でも、欠けたものを元の形に近づけるところは似ています」

 なつほは冗談めかして言ったが、手元は震えていなかった。細いピンセットの先で、黒い端を少しずつ持ち上げる。理彩子が横から拡大鏡を当て、麻央がスマートフォンで写真を撮る。航貴は入力用の画面を開いたまま、何度も瞬きをしていた。

 「読める?」

 大輝が聞くと、理彩子は首を傾けた。

 「全部は無理です。でも、数字が見えます」

 焦げていない端に、かすれた印字が残っていた。

 十二月ではなく、十一月下旬の日付。時間らしい数字。品名の一部。臨時清掃、という文字の「時清」だけが見える。

 さらに、依頼主欄の一部に、再開発会社の名前の下半分が残っていた。

 店の中が、静まり返った。

 可純が拳を握ったが、啓彰に見られていることに気づき、ゆっくり膝の上に置いた。

 「これで決まり?」

 「決まりという言い方は危ないです」

 麻央がすぐに言った。

 「ただ、小火のあった日に、再開発側の依頼で臨時清掃が行われた時間を示す可能性があります。前に出てきた非常食の搬入記録と、幸平さんの見た箱の話ともつながります」

 「つまり、灯台が勝手に危なくなったんじゃない」

 勇が入口から言った。いつの間にか冷凍コロッケの箱を持って立っている。

 「急がせた片づけで、古い延長コードを無理に使った。それを、建物全体の危険にすり替えたかもしれないってことか」

 道雄が続けた。

 「言い方は慎重にしましょう。証拠は一枚では足りない。でも、説明会で出された時系列とは合いません」

 大輝は、白い紙の上の小さな焦げ片を見つめた。

 これが、町を救う魔法の札になるわけではない。誰かを一気に悪者にして、商店街を一つにまとめるような都合のいい紙でもない。

 けれど、消えかけた一枚は、確かに言っている。

 雑に扱われたのは、古い建物だけではない。そこで積み重なってきた時間も、そこに集まった人の手も、まとめて「不要」と袋に入れられかけたのだと。

 「正朋くん」

 大輝が呼ぶと、正朋は肩をすくめた。

 「怒りますか」

 「怒ることはあります」

 「ありますか」

 「ラムネを吸ったことは、あとで話します」

 「はい」

 「でも、この紙を残してくれたことは、ありがとう」

 正朋は目を丸くした。

 紗那がすぐに花丸シールを一枚はがし、正朋の胸に貼ろうとした。啓彰が「衣服への貼付許可を取ってください」と止め、広河が「姫が許す」と勝手に許可した。

 小さな騒ぎの中で、大輝は焦げ片の写真を麻央へ渡した。

 「これ、資料に入れられますか」

 「入れます。ただ、感情で押し切らない形にします。日時、関連する伝票、幸平さんの証言、理彩子さんの調査、全部を並べます」

 「お願いします」

 大輝は深くうなずいた。

 掃除機の中に捕らえられていた紙片は、誰かを裁くためだけではなく、町がもう一度、自分たちの足元を見直すために出てきたのだと、大輝には思えた。

 そして正朋は、その日の夕方から、掃除機を持つ時に啓彰の監督を受けることになった。

 本人は少し不満そうだったが、胸の花丸だけは、帰るまで剥がさなかった。



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