第36話 栗皮茶の旗
栗皮茶色は、子どもたちに人気がなかった。
「じみ」
広河が言った。
「土みたい」
正朋が言った。
「おいしそうではあります」
啓彰が礼儀正しく言った。
大輝の店の長机には、布屋から分けてもらった端切れが積まれていた。赤、黄色、水色、白、そして栗皮茶色。子どもたちは当然のように明るい色へ手を伸ばし、栗皮茶色の布だけが、机の端でしんと残った。
可純はその布をつまみ上げ、顔をしかめた。
「旗にするには地味すぎない?」
「可純さんまで」
大輝は苦笑した。
「だって、保護って言うならもっと目立たないと。赤とか金とか、勝った感じの色がいいじゃない」
「まだ勝ってません」
麻央が冷静に言った。
「それに、勝つための旗ではありません」
早貴が、栗皮茶色の布を一枚広げた。
「この色、古いファイルと同じです」
その一言で、優空が顔を上げた。
棚の上ではなく、いつも机の近くに置かれている古いファイル。手で触れられすぎて角が丸くなり、表紙は栗の皮を煮出したような茶色に変わっている。中には、灯台の修繕、緑茶、非常食、迷子を保護するための毛布、名前のない寄付の領収書が詰まっている。
紗那がファイルを見て、布を見た。
「おなじ」
「そう。同じ色」
早貴はうなずいた。
「これは、反対の旗じゃなくて、記録を大事にしますっていう合図にしたいです」
大輝は、その言葉に胸をつかまれた。
反対の声は必要だ。だが、反対だけで町を覆うと、迷っている人の入口がなくなる。栗皮茶色の旗は、派手ではない。けれど、古いファイルを知っている人には意味が伝わる。知らない人には、聞くきっかけになる。
「いいじゃない」
珠里が言った。
「目立つ旗は、見た人に答えを迫ります。でも、この色は、何だろうと近づきたくなる」
「近づきたくなる?」
可純は布をもう一度見た。
「……おはぎみたいだから?」
「食べ物から離れてください」
涼が言った。
勇は小さく手を挙げた。
「冷凍おはぎなら扱えます」
「扱わなくていいです」
道雄がすぐに止めた。
子どもたちは、栗皮茶色の布を小さな三角に切り始めた。なつほが指を切らないように見守り、一彰が作業順を紙に書く。啓彰は「はさみを渡す時は刃を向けないでください」と、真面目な声で全員に言った。広河は灯台姫の衣装に同じ色のリボンをつけ、ようやく機嫌を直した。
「地味だけど、姫っぽい」
「どのあたりが?」
大輝が聞くと、広河は胸を張った。
「守ってる感じ」
その説明は大ざっぱだったが、妙に納得できた。
午後、できあがった小さな旗を商店街の店先に置いていった。大きく振るのではなく、入口の脇にそっと差す。値札立てに結ぶ店もあれば、植木鉢に刺す店もあった。勇の工場では、冷凍庫に貼ると霜で湿るため、受付のペン立てに差した。
最初に旗を受け取ったのは、優空の古い知り合いが営む乾物屋だった。
「反対運動の旗かい?」
店主が少し警戒した顔で聞いた。
大輝は首を横に振った。
「灯台に残っていた記録を、大事にしますという印です。賛成か反対かを、今すぐ言ってもらうものではありません」
店主は、栗皮茶色の小さな旗を見つめた。
「それなら、置いてもいい」
「ありがとうございます」
「ただ、うちはまだ迷ってるよ」
「迷っていることも、記録します」
大輝が言うと、店主は少し困ったように笑った。
「変な領収書屋さんだね」
「よく言われます」
次の店、その次の店と、旗は少しずつ増えた。
もちろん、受け取らない店もあった。
「まだ置けない」
そう言われた時、可純は何か言いかけた。だが涼に目で止められ、唇をぎゅっと結んだ。
「わかった。また来る」
可純はそれだけ言った。
店を出てから、深く息を吐く。
「余白つきって、苦しいわね」
「慣れます」
涼が言う。
「慣れる前に叫びそう」
「小さめに」
「小さめに叫ぶって難しいのよ」
大輝は二人の後ろで笑った。
夕方になるころ、商店街には栗皮茶色の小さな旗が点々と並んでいた。派手ではない。遠くからはほとんど目立たない。けれど、近づくと確かにそこにある。
古いファイルの色が、町の入口に移っていく。
紗那は旗を数えながら、花丸ノートに印をつけた。正朋は途中で数を忘れ、広河は「姫の領地」と言い出し、一彰がそれを「保護範囲」と書き直した。
優空は店先の旗を見て、静かに笑った。
「昔の紙の色が、外に出ましたね」
「はい」
大輝はうなずいた。
反対でも、賛成でも、勝利でもない。
誰かが置いていった小さな支払いを、忘れないための色。
北風に揺れる栗皮茶色の旗は、灯台の光が戻る前に、商店街の足元から静かにともり始めていた。




