第30話 幸平、夜の灯台で話す
幸平は、昼間より夜のほうがよくしゃべる人だった。
少なくとも大輝には、そう見えた。
昼の幸平は、必要なことだけを短く言う。配線の位置、部品の型番、床板の傷み、輸送に使う台車の幅。声は低く、言葉は余らない。可純がどれだけ話しかけても、「はい」「違います」「あとで確認します」の三種類でほとんど済ませてしまう。
その幸平から、夜に灯台へ来られないかと連絡があった。
十二月の夜風は、川と海の匂いを冷たく混ぜていた。大輝が旧灯台へ着くと、幸平は下部倉庫の前に立っていた。作業着の上に厚い上着を羽織り、手には小さな懐中電灯を持っている。
「すみません、遅い時間に」
「大丈夫です。さやも今日は遅いので」
言ってから、大輝は自分の声が少し沈んだことに気づいた。幸平はそこには触れず、灯台を見上げた。
「ここ、夜のほうが形がわかりますね」
灯台は、光を失ったまま立っていた。上のガラス室は暗く、壁の白さも夜に沈んでいる。それでも、霧の薄い空に輪郭だけは残っていた。
「子どものころ、父がこの灯台を見て帰ってきました」
幸平が言った。
大輝は黙って続きを待った。
「輸送機械の組立をしていて、帰りが遅い人でした。船関係の部品も扱っていたから、港のほうへ回ることもあって。霧が出ると、道がぼやけるでしょう。父は方向音痴ではなかったけれど、疲れていると、知っている道でも不安になると言っていました」
懐中電灯の光が、灯台下部の扉を照らす。
「ここが見えると、帰ってきたと思えたそうです」
「幸平さんも、見に来ていたんですか」
「父が亡くなってから、ときどき」
幸平は、少しだけ笑った。
「変ですよね。光ってもいないのに」
「変じゃないです」
大輝はすぐに言った。
幸平は、懐中電灯を下ろした。
「昼間は言いにくかったんです。父の思い出で残したい、なんて言うと、感情論になる気がして」
「感情も理由です」
「でも、それだけでは残せない」
「はい」
大輝は正直にうなずいた。
幸平は、作業着の胸ポケットから折り畳んだ紙を出した。古い部品店の納品書のコピーだった。
「小火の日、倉庫に臨時清掃の箱が運び込まれていました。僕は別の納品で近くにいて、見ました。でも、誰が何を指示したのかまではわからない。確証がないから黙っていました」
「話してくれて、ありがとうございます」
「悪者探しにしたくないんです」
幸平の声は低かった。
「古い延長コードを湿った床で使ったのは危ない。片づけを急がせた人もいる。けれど、町内会の人たちも、早くきれいにしたほうがいいと思って動いた。誰か一人を責めれば済む話じゃない」
大輝は、夜の灯台を見上げた。
小火の原因は、まだ紙の上ではつながりきっていない。だが、形は見えてきた。無理な片づけ。古い設備。急がせる空気。誰かを守るための場所が、雑に扱われたことで危険になった。
「幸平さんは、どうしたいですか」
大輝が聞くと、幸平はしばらく黙った。
「直せるものは直したいです。直せないものは、危ないと言いたい。残すために危険を隠すのは嫌です」
「私も、そう思います」
「それから」
幸平は、少し言いにくそうにした。
「父の話も、どこかに一行でいいから残したい。名前はいらないです。霧の日に灯台を見て帰った人がいた、と」
大輝はうなずいた。
「領収書には残っていないけれど、町の記録には残せます」
幸平は安心したように息を吐いた。
そのとき、遠くの商店街から歌声がかすかに聞こえた。航貴が子どもたちの練習帰りに、まだ歌っているのかもしれない。「星のような君」の旋律は、夜風に削られて、言葉までは届かない。
大輝はふと、さやの財布に入っていた領収書を思い出した。
胸の奥がまた少し痛む。
幸平は、気づいているのかいないのか、灯台へ向き直った。
「大輝さん」
「はい」
「これ、守秘義務みたいに黙っていたんです。自分の中だけの仕事だと思って」
「でも、話してくれた」
「はい。黙っていると、灯台が父だけのものになりそうで」
大輝は、その言葉をゆっくり受け取った。
誰かの思い出は、閉じ込めると重くなる。少し分けると、町の灯になることがある。
夜の旧灯台は暗いままだった。
それでも大輝には、そこに帰ってきた人の足音が、薄く積もっているように見えた。




